第55章 人の口は真実を語る ― ミナ編
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
バルメリアの街は昼を過ぎても賑わいを見せていた飾り立てられた街路、金銀の布に包まれた屋台、陽気な音楽。
誰が見ても「繁栄している都市」にしか見えない。
だがミナは、こういう表向きの賑わいほど信用していない。
むしろ、こういう場所にこそ裏がある。
漣司から任務を受けたミナは、猫のような身軽さで街の人々の中に溶け込んでいった。
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――やっぱりね、人の口は正直なんだよ。数字よりずっと。
数字を語るのはリュシアさんの領分。
けれど人の本音を聞き出すのは、あたしの仕事。
だから今日も、可愛い笑顔と舌先三寸で、この街の心臓を探るんだ。
まずは果物屋。陽に焼けたリンゴが山のように積まれ、その奥に気のいいおばちゃんが座っていた。
「こんにちは! この果物、美味しそうじゃないですか~♪」
おばちゃんがにこにこして答えてくれる。
「見栄えはいいけどねぇ……儲かってるのは上の人ばかりさ」
やっぱり。
その言葉の重みは、果物よりずっと熟れていた。靴屋でも、肉屋でも、酒場でも――
どこへ行っても、愛想笑いの裏から 同じ言葉 が漏れた。
「繁盛してるように見えて、実は借金まみれ」
「奢侈禁止令が出るって噂もある。もう贅沢ごっこも限界だよ」
店主たちは、誰もがこの街がヤバいことに気づいている。
でも声を上げれば潰されるから、黙って化粧を塗り続けているだけ。
屋台の陰で、あたしはそっと指を鳴らした。
――ふふ、思った通りじゃん。
この街は派手に着飾ってる分、ほころびも多い。
笑顔が厚化粧なら、裏の事情は濃い隈みたいに滲む。
「さて……そろそろ本命の情報、引っこ抜きに行こうか」
あたしは軽いステップで通りを渡り、次のターゲット――噂の集まる賭場へ向かった。
軽やかな笑みを浮かべながらも、心の奥では獣みたいに牙を研ぐ。
――この街の裏側、全部ひっくり返してあげる。
◇
夕方。酒場の扉を押し開けた瞬間、むっとする酒気と油の匂いが鼻をくすぐった。
喧噪、笑い声、愚痴、怒号――ここは街の裏の声がすべて溶け込む鍋みたいなものだ。
――さあ、情報、ぜんぶ吐いてもらおうか。
私はカウンターの端に腰を下ろし、視線を集めるためにわざと大げさに手を上げた。
「マスター! この街でいちばん強いお酒、ちょうだい!」
振り返った男たちの視線が、一斉に私へ吸い寄せられる。その反応に、私は内心でニヤッとした。
「お嬢ちゃん、飲めるのかい?」
「かわいい顔して強い酒なんて」
可愛いとか言われても別に?口説いても意味ないよ?
でも――情報を引き出すためなら、武器にはする。私はにっこりと商売用の笑みを浮かべた。
「ふふ、飲みながらお話しましょ♪」
その場は一気に盛り上がった。
兵士上がりの男が愚痴をこぼし、商人が取引の失敗を喋り、酔っぱらった老人が泣き出す。
気がつけば私は、まるで宴会の中心みたいになっていた。
ドッと笑いが起きて、あっという間に場の空気が私に向く。
男たちは競うように杯を持ち上げ、口も軽くなり始めた。
「ったくよ! 最近の税金の高さはなんなんだ!」
「商売が繁盛してるように見える? あれ全部ハッタリだ!」
「上の連中が吸い上げてるだけだよ! 俺たちなんか干からびちまう!」
酒が回った舌は、まるで壊れた蛇口みたいに止まらない。
私はほどよく酔ったふりをしながら、男の肩にもたれかかった。
(もちろん目は冴えたまま。演技よ、演技)
「ねぇ……どうしてそんなに困ってるの……?」
「市場の売り上げ? あれ全部、帳簿ごまかしてるって噂だ!」
「借金で首が回らねぇ店も多い。繁栄なんて幻だ、幻!」
その瞬間、男たちは完全に私の掌の上だった。
私は誰よりも軽やかに、誰よりも深く、街の裏側へ潜り込んでいく。
「ふぅん……もっと面白い話、聞かせてくれない?」
――この街は確かに華やか。でもね、弱いところほど甘くて、美味しい情報が詰まってるの。
酒と笑い声の渦の中、私はさらに一歩、都市の虚飾の真相へと近づいていった。
◇
でも、その中に――ひときわ重い言葉が混ざった。
「……ここの市議会さ、赤字を隠してるんだ。誰もが知ってるが、口に出せば潰される」
その声は、酒と煙にまみれた店の奥。酔いつぶれかけた中年商人が、ぽつりと漏らしたものだった。
――はい、ストップ。今の、めちゃくちゃ重要。
私は反射的に肩をすくめつつ、耳は全神経をそちらに向ける。
「へえ、そんな噂があるんだ……」
軽く相槌を打ちながら、心の中では跳ねるようにガッツポーズしていた。
――赤字隠し。帳簿の粉飾。
やっぱりリュシアさんの読みは当たってた。市場で拾った借金まみれの繁盛、露店主たちの作り笑い、それら全部が一本の線でつながっていく気配がした。
私は何食わぬ顔でグラスを傾ける。でも笑みは自然と、いつもの小悪魔なものになっていた。
「ねえねえ、その話、もっと聞かせてよ♪ 私、こういう噂大好きなの」
商人は酔った勢いでさらに饒舌になる。私は頷き、笑い、身を寄せ、自然に言葉を引き出していく。
――そう、情報は奪うんじゃない。落ちてくる瞬間を掬うのが私のやり方。
◇
……と、そこまでは完璧に計算どおりだった。
「ミナちゃーん! 結婚してくれー!!」
次の瞬間、横から酔っぱらい兵士が飛びついてきた。
「ちょっ……なにしてんのアンタ!? 私は情報集めに来ただけなんだけど!?」
私は半ば椅子から引きずり落とされながら、叫ぶ。周囲は――大爆笑。
「ミナちゃんかわいいぞー!」
「ミナちゃーーん!!」
酒場全体がミナコールで揺れていた。
……いや、確かに私は小悪魔系かもしれないけど!別に酒場のアイドルになりに来たわけじゃないんだけど!?なんでだろう、これが私らしいって言われたら、ちょっと否定できないのが悔しい。
酔っぱらいを肘で押し返しながら、私はニヤリと心の中で呟く。
――まあ、いいか。情報はたっぷり手に入ったし。
あとはリュシアさんと社長に渡せば、街の裏側は丸裸だ。
そして私は、笑顔のままカウンターの上の金貨を指ではじいた。
「ごちそうさま。……じゃ、またね♡」
酒場の男たちの歓声を背に、私は颯爽と夜の街へ消えた。
◇
夜。
宿に戻ったミナは、少し乱れた髪を直しながら報告の準備をしていた。
表向きの繁栄は虚飾にすぎない。庶民は重税に苦しみ、兵士たちも不満を抱えている。
今度は、金持ちそうな建物に忍び込んでみるか。
その情報を携えて、彼女は窓から夜の街へまた飛び出た。
夜気を裂いて屋根を奔るミナの影は、月明かりよりも細く鋭い。
さきほどまで宿で整えていた髪も、風を切るたびに再び乱れたが、彼女は気にも留めない。
背負ったのは報告のための情報だけではない。
――この街の奥底に沈む、見えない悲鳴の重さだ。
裕福な者ほど鼻で笑い、貧しき者ほど声を上げられない。
その歪みを確かめるように、ミナは気配を消して屋根から屋根へ移り、やがて金細工の彫られた立派な門の前へと辿り着いた。
「さて……次はお金持ちの懐を、少しだけ軽くしちゃおうかな」
囁きは夜風に溶け、彼女の身体は影そのものへと変わる。
鋭い刃のようにほとんど無音で門を越え、指先は鍵の構造をなぞっただけで解錠の音すら立てない。
――盗賊は、闇に紛れてこそ真価を示す。
ミナの姿は月を背にふっとかき消え、残ったのは静まり返った夜の庭と、そこへ忍び込んだ一陣の影の気配だけだった。
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