第53章 敵を知り己を知る ― 情報収集開始
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
夜のバルメリア。
二階堂商会の一行は、都市の片隅にある宿を借り切り、会議室に集まっていた。
外はまだ市の灯りと人波で賑わっているが、部屋の中には重い空気が漂っていた。
市議会での冷遇。
「田舎都市の商会」と嘲られた悔しさは、役員たちの胸に燻っている。
ガロウは拳を固め、机を叩きつけんばかりに苛立ちを見せていた。
「クソッ! あんな小僧どもに見下されるなんザ、耐えられねエ!」
ロイも苦渋を噛みしめるように口を開いた。
「……あの都市を救った我々の功績を、まるで無視する態度。正直、許せません」
ルーチェも珍しく眉を吊り上げていた。
「拙者とて腹立たしく!田舎呼ばわりとは、聞き捨てならぬ!」
仲間たちの声が熱を帯びていく中で、漣司は静かに口を開いた。
「――いいじゃないか」
その声に、一同が振り向く。彼は微笑を浮かべ、淡々と告げた。
「先ほども言ったが、規模の小さい都市が侮られるのは当然だ。大事なのは、感情ではなく数字だ」
リュシアが細い指で眼鏡の位置を直し、冷静に頷く。
「今は耐え、観察せよということですね」
「そうだ」
漣司は立ち上がり、机の上に用意していた羊皮紙を広げた。
そこにはバルメリアの地図と、市場・兵舎・学院・酒場などの主要施設が記されている。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず。――孫子の兵法だ」
彼は仲間たちを見渡す。
「今、俺たちがすべきことは、この都市の実態を知ること。繁栄に見えるが、違和感がある。数字が噛み合っていない。だが確証はまだない」
仲間たちは息を呑む。漣司の直感は、これまで何度も彼らを勝利に導いてきた。
「それぞれの得意分野を活かし、情報を集めてこい」
◇
最初に一歩を踏み出したのは、リュシアだった。
淡い銀髪が揺れ、氷のように澄んだ視線が会議卓の向こう――まだ見ぬ敵を射抜く。
「ならば、私は商人組合と公開帳簿を洗います。この都市の会計には、必ず歪みがあるはずです」
声音は静かだが、断定に迷いはない。
数字は嘘をつかない。
だが、人は数字に嘘を混ぜる――その裏を剥ぎ取るのが、彼女の役目だ。
帳簿の一行一行が、やがてバルメリアの喉元を締め上げる鎖となるだろう。
数字の裏を見抜くのは、彼女にとって日常の仕事にすぎない。
続いて、ミナが椅子の背にもたれ、軽やかに肩をすくめた。
「私は市場と酒場ね。商人も労働者も、酔えば本音を零すものよ。愚痴と噂話ほど、正直な情報源はないわ」
口元には笑み。だが、その奥の瞳は獲物を探す猫のそれだった。
闇に溶け込み、誰にも気づかれず真実を掬い上げる――
情報部門の女王としての顔が、そこにあった。
ロイは一度深く息を吸い、拳を胸に当てる。
「俺は、庶民と話します。働く者たちの中に入り、同じ目線で暮らしの声を聞く」
飾り気のない言葉。だが、それこそが彼の強さだった。
権力にも金にも与しない誠実さ。
庶民の信頼を背負うその姿は、武装法人二階堂商会が力だけの組織ではない証明でもある。
その信頼こそが武装法人の力の根幹だった。
「待ってましたァ!」
ガロウが椅子を蹴って立ち上がる。巨躯が動くだけで、場の空気が震えた。
「オレは兵舎だ! 剣を交えリャ、兵士の腹の底が見えル! 誰が誰に金を流してるかモ、体で分かるだロ!」
荒っぽい。だが、その豪胆さは真実をねじ伏せる力でもあった。
恐れられ、信頼され、時に笑われる――それが彼の流儀だ。
最後にルーチェが一歩前へ出た。
「では、拙者は魔法学院へ参る! 学徒や師範らと交われば、この都市の魔導の現状が見えるはず!」
最後に、ルーチェが一歩前へ出る。
琥珀の瞳を真っ直ぐに上げ、胸に手を当てた。
「では、拙者は魔法学院へ参る! 学徒、師範、研究者らと語らえば、この都市の魔導の現状――その光と闇、すべてが見えるはずにござる!」
古風な口調に、思わず誰かが小さく笑った。
だが、その笑いに侮りはない。彼女の光は、人と人を繋ぎ、組織に道を示す力を持っている。
それぞれが異なる道を選び、異なる武器を手にした。
だが目指す先は一つ――バルメリアという巨大な都市の、虚飾の奥に潜む真実。
◇
漣司は、集まった全員の顔をゆっくりと見渡した。
一人ひとりと視線を交わし、その奥に宿る感情――
憤り、闘志、そして静かな覚悟を確かめるように。
「よし。各自、動け。期限は一週間だ。夜になれば必ず、ここに戻れ」
短く、だが迷いのない命令だった。
仲間たちは一斉に頷く。先ほどまで胸を焼いていた怒りは、すでに刃のように研ぎ澄まされている。
感情で殴りかかる段階は終わった。今は――敵を知り、弱点を掴む時だ。
翌朝。
二階堂商会の役員たちは、それぞれの役目を胸に刻み、バルメリアの街へと散っていった。
――リュシアは、閉ざされた帳簿と数字の海へ。
取引の裏、会計の歪み、不自然な収支。繁栄を装う都市ほど、数字は正直だ。氷のように冷たい瞳で、彼女は一行一行を切り裂いていく。
――ミナは、市場と酒場、人の溜まり場へ。
笑顔の裏で囁かれる不満、酒に溶けた本音。耳に入る愚痴の一つひとつが、都市の病巣を示す地図となる。
――ロイは、工房と倉庫、汗にまみれた現場へ。
労働者と同じ目線で立ち、同じ椅子に腰掛ける。彼の誠実さは壁を作らない。押し殺された怒りや諦めが、やがて言葉となって零れ落ちていく。
――ガロウは、兵舎へ。
剣を交わし、酒を酌み交わし、笑い合う。力の世界に生きる者たちの腹の内は、正直だ。士気、待遇、忠誠――それらは、金と権力の匂いを確実に孕んでいる。
――ルーチェは、魔法学院へ。
学徒の眼差し、師範の言葉、魔導の水準と扱われ方。光を携える彼女だからこそ見える、この都市の“魔法の価値”と歪みがある。
それぞれが、必ず繁栄の裏側を掴むという確信を胸に。
漣司だけは、そのすべてを見送ったあと、静かに窓辺へと歩み寄った。
眼下に広がるのは、活気に満ちた大都市バルメリア。
白い石畳、往来する人々、鳴り止まぬ商いの声。
――表向きは、非の打ち所がない。
「表面は華やかだ」
独りごちるように呟く。
「だが、数字の裏は隠せない」
彼の視線は、すでに未来を見据えていた。この都市が抱える歪み、その価値、その値段を。
「……この都市は、必ず買える」
その声を聞く者はいない。
だが、確信だけが、静かに、しかし確かに――部屋の空気を満たしていた。
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