第52章 バルメリア ― 規模の差と冷遇の洗礼
城壁都市バルメリア。
カストリアの北西にあるオランティア地方の有力都市。人口はカストリアの約五倍と言われる。周辺の肥沃な土地を背景に、豊かな市場と厚い城壁を持ち、城壁都市として名を馳せていた。
都市カストリアを掌握してから、いくつもの月日が流れた。
二階堂商会は治安を立て直し、交易路を整理し、周辺の村々と契約を結ぶことで、確かな影響圏を築き上げていた。
剣と魔法だけでなく、契約と信用によって――都市は、確かに「動いて」いた。
だが、世界はまだ広い。
カストリアはあくまで起点にすぎない。
次なる交渉相手として名が挙がったのは、北方に位置する城壁都市バルメリア。
人口はカストリアの約五倍。
周囲には肥沃な穀倉地帯が広がり、街道が幾重にも交差する物流の要衝。
地方都市でありながら、その存在感はすでに「一国」に近い。
武装法人二階堂商会の旗を掲げた使節団は、丘陵を越え、街道を進み――
やがて、その姿を視界に捉えた。
灰色の城壁。それは「防御」というより、「隔絶」を目的とした壁だった。
何層にも重なる石積みは古く、同時に新しい。補修と増築を繰り返した痕跡があり、都市が長く、そして貪欲に生き延びてきた歴史を物語っている。
見張り塔は等間隔に並び、門前にはすでに商隊と人の列が渦を巻いていた。
「……やはり大きいな」
ロイが、思わず低く呟いた。
庶民出身の彼にとって、この規模は直感的な重圧として胸に迫る。
城壁の高さ。通りの幅。人の数。すべてが、カストリアとは段階が違った。
ここでは、一個人の声など、簡単にかき消される。
そう感じさせるだけの量が、バルメリアにはあった。
「けど、そこまでの大都市じゃないよ」
ミナが目を細め、軽い調子で言う。
だが、その声音は冗談めいていても、情報屋としての確信を含んでいた。
「私の耳に入る噂じゃ、バルメリアは立派に見えても中身は腐ってる。役人と商人組合の癒着、重税、裏取引……庶民の不満は、かなり溜まってるわ」
「なら、チャンスだナ!」
ガロウが腹の底から笑い、大剣を肩に担ぐ。その姿は、城壁を前にしても一切怯まない。
「俺らの強さを見せつけてやりャ、尻尾振って寄って来るだロ!」
「……強さだけでは駄目だ」
漣司は、静かに首を振った。
その視線は城壁の上ではなく、門の向こう――都市の内部を見据えている。
「都市規模の差は確かに大きい。だが、我々がやるべきは力の誇示じゃない。武装法人としての交渉だ」
剣を振るえば従う――そんな段階は、すでに過ぎている。
ここでは、力をどう使い、どう抑え、どう価値に変えるかが問われる。
その言葉に、一同は静かに頷いた。
だが同時に理解していた。
この都市は、カストリアの延長線にはない。
門をくぐった瞬間から、相手は都市同士として牙を剥いてくる。
彼の言葉に一同は頷いたが、やがて門前でその覚悟は試されることになる。
◇
バルメリアの城門前は、まるで都市そのものの鼓動を可視化したかのようだった。
重なり合う人波、軋む荷車の車輪、呼び込みの怒号と金属音――
石畳は長年の往来で磨かれ、門楼の上からは無数の視線が注がれている。
カストリアとは明らかに違う。ここは「地方の中心」を自認する都市の顔だった。
二階堂商会の旗を掲げ、使節団としての入城を申し出ると、門番の一人が書類に目を落とすこともなく、鼻で笑った。
「カストリア? ああ、あの田舎都市ね」
「その田舎の商会の名を出されても、ここでは通用しませんよ。順番を守って待つんだな」
言葉は軽く、だが刃のように刺さる。
周囲にいた商人や傭兵までもが、興味半分の視線をこちらに投げてきた。
ガロウの顔が、見る間に朱に染まる。
「テメエ……俺らを誰だと思ってやがル!」
一歩踏み出しかけたその肩を、ロイが慌てて掴んだ。
「ガロウ、待て!」
ルーチェもまた、珍しく感情を隠さぬ表情で前を睨む。
「田舎などと断ずるは、不遜な! 都市に大小はあれど、誇りに貴賤は――」
空気が張りつめ、今にも火花が散りそうになった、その瞬間。
「よせ」
低く、しかし不思議なほどよく通る声が、場を断ち切った。
漣司だった。
彼は門番を見据えたまま、穏やかな笑みすら浮かべている。
「いいじゃないか。規模の小さい都市が侮られるのは、むしろ自然なことだ」
「社長……!」
ロイが悔しげに歯を食いしばる。漣司は視線を外さずに続けた。
「日本でもそうだった。数倍の資本を持つ相手との交渉など、腐るほど経験した」
彼の視線が、門の奥、巨大な都市の内側へと向けられる。
「大事なのは、結論を急がないことだ。むしろ軽んじられている今こそ、相手を測る好機だ。結論を急ぐ必要はない」
その声は静かだった。
だが胸の奥で、確かな火が灯っているのが、仲間たちにはわかった。
怒りではない。虚勢でもない。
数え切れない交渉の場で踏みにじられ、それでも立ち上がり続けた者だけが持つ、冷えた情熱――。
リュシアもまた、小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「……確かに。感情で交渉を始めた時点で、負けですね」
門番は変わらず退屈そうな顔をしていたが、その内側で何かが静かに動き始めていることを、彼自身はまだ知らない。
田舎都市と嘲られたその瞬間。
二階堂蓮司の胸中では、バルメリアという巨大な都市を市場として見据える、冷静で燃えるような算段が、すでに組み上がり始めていた
◇
入城を許され、彼らはついにバルメリアの内部を踏む。石畳の大通りは広く、露店と商館が軒を連ねていた。人の流れは絶えず、香辛料や織物の香りが漂う。カストリアの五倍という規模は、確かに伊達ではない。
「これが……都市の姿なのか」
ロイが呟き、胸に拳を当てた。だがミナは耳を澄まし、唇の端を上げた。
「でもね。笑顔で商いしてても、裏では文句だらけ。税が高すぎる、役人が賄賂を取る……そんな声が聞こえる」
「数字の歪みもあるわ」
リュシアは歩きながら、通りの物価を素早く計算していた。
「人口に対して流通量が不自然。内部に膨張と停滞が同居している」
「……つまり、表向きは豊かだが、実際は危ういってことだナ」
ガロウが唸る。漣司は目を細め、都市を見渡した。
「派手な街並みに騙されるな。見栄と腐敗は、必ず脆さを孕む」
◇
やがて一行は、市議会へと通された。
厚い石壁に囲まれた大広間は、天井が高く、重厚な柱が等間隔に並んでいる。
磨かれた床石の冷たさが足裏から伝わり、並ぶ席には、絹や毛皮をまとった有力商人、年嵩の議員たちが居並んでいた。その視線には、露骨な好奇と――侮りが混じっている。
やがて、中央席に座る代表格の議員が、わざとらしく名簿をめくり、鼻で笑った。
「二階堂商会? ああ……あの田舎都市を統治している、という噂の?」
数名の議員が小さく失笑する。
「カストリアの支配など一過性のものだろう。我らバルメリアと肩を並べるには――百年早いな」
その言葉が落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
ガロウの拳が音を立てて握り締められ、額に青筋が浮かぶ。
ルーチェも思わず椅子を蹴り、立ち上がりかけた。琥珀の瞳に、真っ直ぐな怒りが宿る。
「無礼な……!」
だが――。
漣司は、微笑を崩さなかった。
背筋を伸ばしたまま、椅子に深く腰掛け、視線だけを議員たちへ向ける。その眼差しは冷静で、どこか遠くを見据えている。
「笑わせてもらおう」
低く、よく通る声だった。
「しかし、笑う者はいずれ――数字と現実の前で口を閉じることになる」
一瞬。
大広間から、音が消えたかのような沈黙が落ちる。
議員たちは互いに顔を見合わせ、やがて再び鼻で笑った。
取るに足らぬ小商会の強がりだ、と言わんばかりに。
だが、その嘲笑の裏で、他の役員たちは気づいていた。
漣司だけが、この場を「屈辱」とは捉えていないことを。
彼の視線は、今の席次や嘲りではなく、この都市の流通、この議会の権力構造、その先にある崩れる瞬間へと向けられていた。
――田舎商会と嘲られた、武装法人二階堂商会。
だが、この冷遇こそが、後に語られる逆転劇の、静かな第一歩となる。
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