第51章 新たなる地平 ― 第二部開幕
漣司は吹き抜ける高風の中、
塔の最上階で静かに息を吸い込んだ。
足元に広がるカストリアは、もはやかつての瀕死の街ではない。
朝の光に照らされ、商人が声を張り上げ、
職人たちが再建した工房から煙が上がり、街路には二階堂商会の旗――
剣と天秤の紋章が誇らしげにはためいている。
かつて盗賊団と腐敗したギルドの食い物にされ、
希望すら奪われかけたこの街は、いまや自立し、
自らの腕で稼ぎ、守り、歩み始めた。
その光景を、漣司はまるでひとつの作品を見届けるように眺めていた。
「都市を掌握した今、次は外の世界だ」
呟いた声は、静かな高空に吸い込まれていく。
しかしその胸中に渦巻く野心は、
誰にも聞こえずとも確かに熱を帯びていた。
塔の縁へ歩み出る。視界の向こうには、無数の可能性が広がっていた。
荒廃した村々。交易路を牛耳る盗賊団。利権で縛られた小都市。
カストリアはまだ序章。
二階堂商会という武装法人の理念――
「経済と武力で秩序を築く」
という新たな価値観は、この都市だけのものでは終わらない。
リュシアが静かに近づき、肩越しに同じ景色を見つめた。
「……ここからが本番ですね、社長」
「そうだ。市場を守っただけでは足りない。世界を繋ぎ、立て直す。そのために、俺たちは武装法人になったんだ」
剣と契約書を掲げる旗が、風に大きく揺れた。
その音はまるで、次の戦いへ向けた出陣の合図のように響き渡る。
──第二部『武装法人拡大編』 幕開け。
◇
会議室に集う役員たち。
その視線が、自然と一人の女性へと収束していく。
リュシア・アークライト。
武装法人二階堂商会の副社長にして、
財務と戦略のすべてを握る参謀。
銀髪をきっちりと整え、切れ長の瞳には一切の曇りがない。
氷のように澄んだ気配は、
感情よりも常に「最適解」を選び取る彼女の生き方そのものだった。
帳簿、法務、交渉、リスク管理――
数字と論理の領域において、彼女に並ぶ者はいない。
その冷静さは時に冷酷に見えるが、
誰よりも仲間と蓮司の未来を案じ、
弱みを決して人前に見せぬ強さでもある。
分厚い資料が、机の上に静かに広げられた。
リュシアは一度だけ全員を見渡し、
淡々と、しかし逃げ場のない現実を突きつける。
「周辺の村のうち、三割は盗賊の脅威に晒され、二割は地方領主の搾取に苦しんでいます。残る村々も疲弊し、自治の機能を失いつつあるわ」
紙の擦れる音だけが、会議室に冷たく響いた。
眉をひそめたのは、ロイ・フェンネルだった。
ロイ・フェンネル
武装法人二階堂商会の役員にして、庶民代表兼営業部長。
そして前線では大盾を構える防衛要員――
いわば商会の壁を担う男である。
農村育ちの素朴な体躯と柔和な笑顔は場を和ませるが、
ひとたび守ると決めた瞬間、その背中は誰よりも頑丈になる。
剣よりも盾を信じ、利益よりも人の暮らしを見てきた。
数字の向こう側にある「夜」を、彼は知っている。
ロイが静かに口を開く。
「都市の門からわずか半日の距離でも、夜は襲撃が日常だ。兵を派遣するにも、僕らの守備力を削ぐわけにはいかない」
穏やかな声の奥に、現場を知る者だけの重みが宿っていた。
そこでガロウが拳を打ち鳴らす。
ガロウ・ベルガース。
武装法人二階堂商会の役員にして、警備部門長。
かつて傭兵団《牙の旗》を率いた元団長であり、
今もなお商会の剣と看板を一身に背負う獣人戦士だった。
二メートルを超える巨躯、黒鉄色の毛並み、金色に燃える双眸。
肩が盛り上がり、太い首筋の筋肉が蠢くたび、
会議室の空気そのものが圧迫される。
理屈よりも現場、交渉よりも突破。
部下の士気を一声で引き上げる天性の戦闘指揮官であり、
同時に、義に厚く不器用な男でもある。
獣のように息を吐き、牙を覗かせて吼えた。
「だったら討ち滅ぼせばいいダロ!牙の旗を広げりゃ、村も黙って従う!」
机の上の資料が、低い衝撃でわずかに跳ねる。
即座に、氷のような声がそれを切り落とした。
「……それでは、ただの侵略です」
リュシアの視線が、真っ直ぐにガロウを射抜く。
熱と理、獣性と秩序。会議室の空気が、
目に見えない火花を散らして張り詰めた。
「武装法人が掲げるのは、略奪ではなく経営による支配。商会の名の下に利益と安定を与えることが、本来の使命です」
ルーチェが袖を整え、背筋をすっと伸ばした。
ルーチェ=ヴァルノア。
武装法人二階堂商会の役員にして、
魔導局筆頭を務める専属魔導士。
白金の髪と小柄な体躯に、光を宿す琥珀の瞳。
外見はまだ若いが、その内には、
浄化と光の魔導を極めた稀有な精神性と、
誰よりも真っ直ぐな責任感を秘めている。
礼節を重んじ、虚飾を嫌い、力を誇ることをよしとしない。
彼女にとって魔法とは、己を飾る武器ではなく――
人を導き、守るための灯だった。
静かにうなずき、真顔のまま口を開く。
「拙者も同意いたす。民に富と安寧を与えねば、導きとはならぬ」
凛と澄んだ声が、会議室の空気をやさしく張り詰めさせる。
荒々しいガロウの熱とは対照的に、
ルーチェの言葉は静かな光のように場を照らしていた。
だが、その芯に宿る意思の強さは、誰の剣よりも揺るぎない。
漣司は沈黙ののち、口を開いた。
「買収だ」
一言に、場の空気が変わる。彼は続ける。
「村を金で、契約で、株で縛る。兵も土地も特権も、帳簿の上で組み込めばいい。刀や矢より、効率的で確実だ」
リュシアは目を細めた。
「……つまり、外の村を商会の子会社とするのですね」
「そうだ。だが一気には無理だ。まずは一つ、見本となる村を徹底的に掌握する」
ロイがうなずいた。
「納得してもらうには、見える利益が必要ですね。護衛、交易路、そして……福利厚生」
漣司の脳裏に、日本で培ったノウハウがよみがえる。
「退職金制度に、医療支援、教育費補助。都市で始めた仕組みを地方にも流し込む。村人にここに従えば生きられると思わせればいい」
ミナがにやりと口角を吊り上げた。
本来なら、真っ先に視線を奪う存在であるはずの少女が、
なぜか最後の紹介になってしまった。
――ミナ。
金のツインテールを揺らす、小柄な少女。
外見はまだ十四、五にしか見えないが、
その身のこなしは猫のように軽く、視線は獲物を逃さない。
姓を名乗らず、ただ「ミナ」とだけ呼ばれる彼女は、
武装法人二階堂商会の役員――情
報部門を預かる潜入・諜報の要だ。
裏路地で生き延びてきた経験が、
鍵開け、潜入、情報収集、逃走技術といった汚れ仕事を、
遊びのような軽さでこなす技に変わっている。
普段は調子がよく、冗談と悪戯で場をかき回すムードメーカーだが、
ひとたび仕事となれば、誰よりも冷静で抜け目がない。
そんな彼女が、悪戯っぽく片目を細めた。
「社長、接待で懐柔するのも忘れずにね♪」
軽口の裏には、相手の欲と弱点を嗅ぎ分ける、
諜報屋らしい計算が透ける。
「……その手は最後の切り札だ」
蓮司が即座に切り返すと、
ミナはくすっと笑い、肩をすくめた。
◇
会議が終わった後も、漣司は窓辺に立ち、
夜の街を見下ろしていた。
灯りが連なる市場の光は、
まるで都市が一つの生命体のように呼吸しているように見える。
ここは異世界。
かつての日本とはすべてが違う。
だが、それでも漣司は、この問いだけは忘れられなかった。
――法人とは何か。
日本で彼が率いた会社は、競争に勝ち残り、
成長し、やがて裏切りに沈んだ。
だが、この異世界で立ち上げた法人は違う。
剣と契約書を併せ持ち、民を守り、仲間の未来を請け負い、
そして——この世界の勢力図すら書き換える器。
企業ではない。軍でもない。その境界すら超えた、新たな力の形。
だからこそ、彼は痛感していた。
ここから先は、生半可な覚悟では通用しない。
「ここからが本当の勝負だ」
独り言は、静寂の中で刃のように鋭く響いた。
漣司は執務机の脇に立てかけていた木刀を取る。
昼は経営。数字と人材の渦を泳ぎ切るための知略の戦場。
夜は剣と魔法の修行。
身体を極限まで追い込み、戦場で仲間を守るために必要な力を磨く時間。
どちらも欠けてはならない。
そして、そのどちらか一方でも怠れば、
武装法人の未来も、この都市の人々の明日も失われる。
部屋の奥で、魔導灯が揺れた。
その淡い光の中で、漣司はゆっくりと構えを取る。
呼吸は深く静かで、心の奥で燃える決意は、
遠く市場の光と同じリズムで脈打っていた。
木刀を握る掌に、過去の痛みと現在の責務が宿る。
だが、そこに迷いはない。
彼は前を向いた。
武装法人二階堂商会の未来は、ここから始まる。
◇
――都市掌握から、すでに二か月。
その間、二階堂商会はさらなる強化を遂げていた。
リュシアは会計帳簿の改訂に取り組み、
都市の商人たちへ標準帳簿を配布した。
記録の透明化と統一が進み、不正は大幅に減少。
都市経済は次第に法人の「会計法」に依存するようになっていた。
ロイは兵制を改革した。
農民兵に訓練を施し、正規軍として組織化。
兵士たちは「給金と福利厚生」を得ることで士気が高まり、
戦闘力も向上した。
ガロウは日々その兵を鍛え上げた。
木剣を握り、若い兵士を容赦なく叩き潰す。
その豪快さは恐れられる一方、
士気を高める源泉でもあった。
漣司自身も彼を相手に木刀を振るい、
幾度となく打ち倒されながらも技を磨き続けた。
ミナは情報網を拡大し、市場や酒場に目を光らせた。
都市の噂はすべて彼女の耳に届き、
外部の商人や流浪者の動向まで掴み始めていた。
そして、新役員ルーチェ。
彼女は商会の一角に「魔導部」を立ち上げた。
光魔法を基盤としつつも、基礎理論の共有、魔力制御の訓練を始める。
その姿は天然な言動で仲間を困惑させつつも、志だけは真剣だった。
「拙者が導く光の部門、魔導部にて候!」
彼女は誇らしげに宣言し、
若い魔導士志望者たちを率いて魔法陣を描かせる。
「光あれ、と唱えるがよい!」
……派手に爆発して、仲間に水をかけられることもあった。
漣司もその場を訪れ、彼女の実験を観察する。
「……ルーチェ、派手さよりも精度を重視しろ。経営でも魔法でも、本質は同じだ」
「承知つかまつった! 拙者、精度も鍛えてみせようぞ!」
ぎこちないながらも、確かに法人に「魔法の知」が根を下ろし始めていた。
◇
「都市を掌握した今、次は外の世界だ」
漣司は塔の窓辺で静かに呟いた。
眼下には、再生を果たした都市が脈打つように輝いている。
だが彼の視線は、そのさらに遠くへ伸びていた。
――荒れ果てて野盗が巣食う村々、いくつもの争いに割かれた小都市。
二階堂商会の旗は、もはやこの都市だけのものではなく、
ひとつの都市に収まる器ではない。
「法人は組織だ。剣も魔法も、金も、信頼も、数字も、すべては組み合わせだ。次は地方を含め、更に大きな都市を――買収し、統治する」
凪ぐ風が塔頂の旗を大きくはためかせた。
蒼い盾紋章が夜空に吸い込まれるように翻り、
漣司の瞳に映る光景をさらに鮮烈にする。
漣司の瞳に映るのは、広大な大地と、まだ見ぬ敵と、
未来の子会社たちだった。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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