第42章 一次試験 ― 書類に記されたもの
朝日が都市の石畳を照らすよりも早く、商会の建物の前にはすでに人の波がうねっていた。
まだ露の残る時間帯だというのに、広場はざわめき、吐く息すら熱を帯びている。
――「魔導士募集」
その四文字が掲示されてから、わずか数日。
噂は噂を呼び、尾ひれをつけ、都市の隅から隅まで駆け巡った。
冒険者ギルドを渡り歩いてきた歴戦の術者。
農村で独学の魔法を磨いてきた若者。
学問都市から流れてきた魔法学徒。
そして――明らかに怪しい、自称大魔導士たち。
期待と野心、不安と虚勢。
ありとあらゆる感情を背負った者たちが、商会の正門前に長蛇の列を成していた。
「おーい! 押すな! 割り込むな! 番号順だ、番号順!」
ロイの張り上げた声が、朝の空気を切り裂く。ただ怒鳴るのではない。理路整然と、しかし力強く。
その声音には戦場をくぐり抜けた者だけが持つ説得力があった。
ざわついていた列が、次第に落ち着いていく。
文句を言いかけた者も、彼の真っ直ぐな視線に射抜かれ、黙って列に戻った。
受付前には、簡素な木机が並べられている。その上には、ずしりとした重みを感じさせる羊皮紙の束。
名前。
来歴。
修練年数。
師の名。
得意とする魔法系統。
――一次試験は、力ではなく「経歴」から始まる。
戦場の武力とは違う、しかし同じくらい重要な選別。
二階堂商会が、単なる寄せ集めではないことを示す第一歩だった。
「次! はい、用紙に記入してこちらへ」
ミナの明るい声が、張り詰めた空気に軽やかな風を通す。
彼女は慣れた手つきで記入済みの羊皮紙を受け取り、素早く目を走らせ、番号を振っていく。
◇
審査室には、朝の光が静かに差し込んでいた。
重厚な木机の向こう、リュシアは背筋を伸ばして腰掛け、積み上げられた書類の山に向き合っている。外の喧騒が嘘のように、室内は張り詰めた静寂に包まれていた。
一枚、また一枚。
彼女の指先が羊皮紙をめくるたび、かすかな擦過音だけが響く。
「……山で一人修練し続け、星の声を聞いた」
読み上げられた一文に、リュシアの眉がわずかに寄った。
指先が止まり、数秒の沈黙。
「抽象的すぎますね。具体的な修練内容、師系統、制御経験の記載なし……」
淡々と呟き、評価欄に短く書き込む。その所作に、迷いは一切ない。
次の書類。
「地方の教会で十年祈祷を積み、回復魔法を学んだ。施療の経験あり、戦闘参加歴なし」
リュシアは一度視線を上げ、書類全体を俯瞰するように見渡した。
「経歴は明確。思想も温和。命令系統への理解も見られる……組織適性は高いですね」
静かな評価だが、その一言には確かな重みがあった。
この審査室で行われている作業こそが、一次試験の本質――
それは単なる形式的な選別ではない。
一次試験は、書類選考と簡潔な質疑応答によって構成される。問われるのは魔力量でも、派手な術式でもない。
過去に何を学び、どこで生き、どのような判断を重ねてきたか。
そして――組織の一員として、力を「どう使う人間なのか」。
二階堂商会が求めているのは、制御不能な力ではない。
命令を理解し、責任を背負い、仲間と歩める者。
人格と適応力を見極めるための、極めて現実的で冷徹なフィルター。
ここを通過できる者だけが、ようやく次の段階へ進む資格を得る。
実技、応用、戦術――力を測られる二次試験へ。
リュシアは再び視線を落とし、書類の山に手を伸ばした。
静かな部屋で積み重ねられていく判断のひとつひとつが、やがて商会の未来を形作る。
その重責を、彼女は疑いなく受け止めていた。
◇
列の後方――喧騒からわずかに外れた場所で、一人の小柄な影が静かに歩みを進めた。
周囲のざわめきとは不釣り合いなほど、その足取りは落ち着いており、まるで最初から自分の順番が来ることを知っていたかのようだった。
影は受付の机の前で立ち止まり、音も立てずに羊皮紙を差し出す。
「ふむ……これに、拙者の名と経歴、そして得意とする術を記せばよいのだな?」
年若い見た目に似つかわしくない、どこか重みを帯びた古風な口調。
その響きに、ミナがきょとんとした顔をする。
「……えっと、そうよ。名前と経歴、思想、得意な術を書いて」
さらり、と音もなく零れ落ちる白金色の髪。
朝の光を受けて淡く輝き、まるで金属とも絹ともつかぬ、不思議な質感を放つ。
露わになった顔立ちは幼さを残していながら、その琥珀色の瞳には揺るぎのない静謐が宿っていた。
背は低く、体躯も華奢。それでも不思議と「小さい」とは感じさせない。
その場に立つだけで、周囲の空気がわずかに張り詰め、視線が自然と集まってしまう――そんな種類の存在感だった。
「ルーチェ=ヴァルノアと申す。拙者、光の術を修めし者なり」
凛とした声が、はっきりと名を刻む。
「……へ?」
思わず、間の抜けた声がミナの口からこぼれた。
だがそれも一瞬。彼女はすぐに口角を上げ、いつもの調子に戻る。
「ちょっと変な喋り方ね。まぁいいわ、はい番号札」
ルーチェは札を受け取ると、小さく、しかし完璧な所作で一礼した。
その動きは洗練されており、長年培われた礼法の名残を感じさせる。
そして振り返りもせず、審査室へと歩き出す。
背後で続く喧騒など、最初から存在しなかったかのように。
その小さな背中が扉の向こうへ消えた瞬間――
なぜかミナは、胸の奥がざわつくのを覚えた。
(……なんか、すごいの来た気がするんだけど)
まだ誰も知らない。
この時、何気なく手渡された一枚の番号札が、二階堂商会の未来に深く刻まれる「始まり」だったということを。
◇
扉の向こう――審査室に満ちる静謐の中で、リュシアは差し出された羊皮紙を受け取った。
指先に伝わる紙の感触は軽い。しかし、そこに記された文字は、不思議な重みを帯びている。
「氏名、ルーチェ=ヴァルノア。修練歴七年、師は白耀導師アルマ……」
淡々と読み上げながら、リュシアの視線が文字を追う。
整った筆致。過不足のない行間。自己を誇る言葉も、過度にへりくだる表現もない。若年の応募者にありがちな虚勢や誇張が、そこには一切見当たらなかった。
「思想――『魔は人を導く光にてあれ、己が利のみにあらず』……」
その一文に至り、リュシアはわずかに目を細める。
理想論に聞こえかねない言葉でありながら、どこか地に足がついている。教義をなぞっただけの空虚さではなく、長い修練と内省を経て、自らの中に沈殿させた信条の匂いがあった。
(……整然としている)
字は読みやすく、構成にも破綻がない。
経歴、思想、魔導士としての在り方――すべてが一本の線で結ばれ、揺らぎがない。思想に偏りはなく、倫理観も健全。師の名も明確で、記述に逃げがない。
そして何より、書類全体から伝わってくるのは、静かな自信だった。
声高に語らずとも、自分が何者であるかを知っている者だけが持つ、澄んだ芯。
リュシアは羊皮紙から視線を上げ、扉の向こうに座るであろう少女の姿を思い浮かべる。
まだ言葉を交わしてもいない――それでも、確信に近い感覚が胸に宿っていた。
(このルーチェ=ヴァルノア……ただ者ではありませんね)
「そなたの問いに応ずるがよいか?」
ルーチェが正座のように膝を揃え、真っ直ぐに視線を向ける。
「いいでしょう」
リュシアは頷いた。
「では問います。あなたの魔法は、都市を守るためにどう役に立ちますか?」
「幻光は、戦場を惑わす灯火。敵を欺き、仲間を守る。人の心を鼓舞し、闇を払う。拙者の光は派手に映ろうとも、それは士気を支える焔となる」
堂々たる口ぶり。しかしその古風な言葉遣いに、場は一瞬、柔らかく和む。
ミナなら「面白くていいじゃん!」と笑い飛ばすだろうが、リュシアは慎重に、しかし真剣に頷いた。
「……なるほど。思想は明確ですね。経歴も虚偽ではないでしょう」
「変な喋り方ですね」
ロイが呟いたが、リシュアは
「思想・経歴等に問題なし。――一次試験は通過とします」
ルーチェは深く一礼した。
「かたじけない」
その瞬間、審査室の空気がわずかに震え、静かな熱を帯びた。書類の山の間に漂う緊張、これから始まる試練の予感、そして誰も知らぬ力の誕生――それらが混ざり合い、場に微かな光を宿したかのようだった。新たな波乱が、確かに、静かに灯った。
◇
こうして、一次試験は次々に進んでいった。
列に並ぶ者たちは皆、希望と緊張を胸に抱えていた。派手な言葉で自分を誇張する者は、書類や応答でその矛盾を見抜かれ、自然と脱落していく。
逆に、控えめながらも明確な意志と実績を示す者は、静かに通過の印を受けた。
リュシアの目は厳しく、しかし公平だった。
書類に目を通すたび、文字のひとつひとつから人となりや価値観を読み取り、思想や倫理観に偏りがないか、修練の積み方に無理や虚飾がないかを確かめる。
「この者は経歴に虚偽がなく、思想も偏っていない……技能も基礎はしっかりしている。組織の理念に沿う可能性が高い」
リュシアは淡々と記録に目を落としながらも、次の試験段階を見据えていた。
一次面接は、まだ人材を振り分ける序章に過ぎない。
ここでの選別は、武装法人二階堂商会の魔法戦力を形作る土台にすぎないのだ。
列が途切れ、次の候補者が控室に呼ばれるたび、審査室の空気は緊張と静かな期待で満たされる。
小さな火種が集まり、やがて大きな焔となる瞬間を待つかのように――。
リュシアは静かに呟いた。
「一次試験はここで区切る。武装法人の魔導士として通用するかどうか、芽は確かに見えた……。本当の力を示すのは、ここからです」
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