第37章 総力戦 ― 狼の牙を折る時
戦場の中心に、圧倒的な巨影が立っていた。赤狼の牙の頭目、グラド・バルザーク。
血に濡れた大剣が振り下ろされるたび、鉄と肉の裂ける凄まじい音が戦場に響き渡る。
「ひと振りで三人……」
庶民兵の一人が息も絶え絶えに呟いた。震えた声が、周囲の恐怖を連鎖させる前に、ガロウが吠えた。
「ビビるんじゃねェ! 退職金もらうまでは死ねねェんダ!」
咆哮と共に斧を振りかぶり、ガロウは巨体全てを使って突撃する。大剣と斧が激しくぶつかり合い、火花のように衝撃が四方に飛び散った。土煙が舞う中、ガロウの力強い一撃がかろうじて大剣を押し返す。
「さすが……!」
兵士たちの息が詰まる。圧倒的な力の差を前にしても、ガロウは一瞬、グラドの剣を押し戻して見せたのだ。まさに英雄の奮戦。
「力は認める。だが、俺の前では子供の遊びだ!」
しかし、次の瞬間。グラドの大剣が轟音と共に振り下ろされる。力の収束点に、ガロウの肩が打ち込まれた。巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。大地が轟き、砂利と土が飛び散り、衝撃で周囲の兵士たちの視界が揺れた。
「ガロウさん!」
ロイが駆け寄ろうとする。しかし、グラドの剣が容赦なく迫る。必死に槍を突き出すロイの腕が弾かれ、痺れが全身に走った。
「くそっ……重すぎる!」
額に汗が滲み、呼吸が荒くなる。土煙の向こうで、吹き飛ばされたガロウの姿が視界の端に揺れた。拳を握りしめ、必死に踏みとどまるロイの目に、巨人のようなグラドの影が迫る――まるで大地そのものが襲いかかってくるかのように。
◇
そこへ、猫のような影が横から割り込んだ。
「はいはい、こっち見てなさいよ!」
ミナが軽やかに跳び、短剣をグラドの足元に向ける。刃は鋼の鎧に弾かれたが、そのほんの一瞬、ロイは逃げることができた。
「ちょこまかと……鼠め!」
大剣が振り下ろされ、ミナは瞬時に身を翻して地面に転がる。砂埃を蹴散らし、宙を滑るように避けるその姿は、まるで舞う猫のようだった。
「ちょっと! 鼠じゃない、猫よ猫!」
ミナは身を翻し、振り下ろされる大剣を寸前で躱す。宙でひねりながら短剣を振り、グラドの足元を突く――鎧に刃は弾かれたものの、確実に一撃を当てることはできた。しかし、その衝撃はほんのわずか。グラドの巨体には微かな刺激でしかなく、彼の動きを止めるには遠く及ばない。
「ちっ……!」
悔しさに歯を食いしばるミナ。何度も攻撃を繰り返すが、巨人の盾となる鋼の鎧と圧倒的な筋力の前では、すべて水面に滴る一粒の水のように消えていく。それでも、わずかでも隙を作れば、ロイや仲間がその隙を突くチャンスになる――その思いだけが、彼女の体を次の動きへと駆り立てた。
◇
「社長……このままでは押し切られます!」
リュシアが必死に叫ぶ。声は戦場の喧騒にかき消されそうになりながらも、漣司の耳に届いた。
「わかっている」
漣司は大剣を握り直し、前に踏み出す。地面が微かに震え、砂利が跳ねる。
「グラド!」
「ほう、ようやく大将自ら出てきたか!」
刃と刃が激しく交錯し、火花のような金属音が弾ける。圧倒的な力の差に、漣司は何度も押され、膝をつきそうになる。筋肉が悲鳴を上げ、息が荒くなる。力の差は歴然だった。
「社長!」
ロイの叫びが飛ぶ。しかし漣司は歯を食いしばり、目を閉じて深く息を吸った。
「俺は一人で戦っているんじゃない!」
その言葉と同時に、リュシアの鈴が透き通った音色を戦場に響かせる。短く、しかし確実に心を震わせる音。戦場に、微かな風穴が開いた。
――恐怖に沈みかけた兵士たちの士気が、わずかに蘇る。漣司の背中には、仲間たちの想いが重なり、彼の一歩はさらに力強く前へと伸びていった。
◇
合図が放たれた刹那、二階堂商会は一個の生き物のように動いた。
ロイが前へ躍り出る。
「行くぞ! 左右展開――突撃ッ!!」
庶民兵たちが叫びを重ね、左右から雪崩れ込む。砂を蹴立て、槍と盾が壁となって迫り、グラドの視界と意識を強引に引き裂いた。正面の圧力が、巨体の動きを一瞬だけ止める。
その隙を、ミナが逃さない。影のように背後へ回り込み、冷えた瞳で詠唱を刻む。
次の瞬間――炎が走った。
地を舐めるように燃え広がり、足場を焼き、熱と光が巨人の動線を奪う。
「逃がさないわ」
焦げた砂が爆ぜ、グラドの踏み込みが鈍る。
そして――
地鳴りのような咆哮と共に、ガロウが立ち上がった。
「ォォオオオオッ!!」
満身創痍の身体を無理やり叩き起こし、斧を振りかぶる。
獣のような一撃が敵陣へ叩き込まれ、兵を、盾を、恐怖をまとめて薙ぎ払った。圧倒的な重量と執念が、前線をこじ開ける。
「退職金ボーナスは戦果次第ダァ!!」
狂気じみた叫びが、戦場に火をつける。
グラドの大剣が唸りを上げて振り抜かれ、漣司の剣を真正面から弾き飛ばした。
凄まじい衝撃。地面に走る亀裂、跳ね上がる砂利。常人なら、その一撃で終わっていた。
だが――終わらない。
横合いから、ガロウの斧が噛みついた。鋼と鋼が激突し、巨剣の軌道が逸れる。
同時に、ロイの槍が鋭く踏み込み、脇腹を抉る。
さらに一拍遅れて、ミナの短剣が宙を裂き、グラドの腕を浅く切り裂いた。
一撃ではない。連携だ。ガロウの斧が大剣を横から押し返し、ロイの槍が脇腹を突き、ミナの投げた短剣が腕をかすめる。刃と衝撃が連鎖し、圧倒的な力が少しずつ削られていく。
「ぐっ……!」
ついに、初めてグラドが膝をついた。戦場に一瞬の静寂が訪れ、兵士たちの目に希望の光が宿る。
巨大な巨人がたった一歩、後退したその瞬間――戦況は、確かに変わったのだ。
戦場が、凍りつく。誰もが息を止め、信じられない光景を見つめた。
巨人が、退いた。たった一歩。
されど、その一歩は――戦況そのものを塗り替える一歩だった。
兵士たちの瞳に、確かな光が灯る。恐怖ではない。希望だ。
二階堂商会は、今この瞬間、圧倒的な暴力を押し返していた。
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