第32章 策と潜入 ― 奇襲の布石
夜の会議室。燭台の炎に照らされ、地図の上には街道と村落の線が赤と黒で書き込まれていた。
その前に立つ漣司は、仲間たちの顔を順番に見渡し、一つ息を整えて口を開く。
「――内政はようやく形になった」
落ち着いた声音だが、その奥には決意の熱がある。
「楽市楽座で都市の流れは動き始めた。商人たちは活気づき、街に金が回り出してる。民兵との契約で街道にも人が立ち始め、細いながらも守りの線は見えた」
仲間たちが頷く。しかし漣司の表情は決して緩まない。
「だが、本当の脅威は――これからだ」
漣司の指が赤い印――〈赤狼の牙〉の拠点を示す。
「奴らの頭目、グラド・バルザーク。力で人を従わせる男だ。兵数は百を超え、半ば『軍』と呼んで差し支えない。恐怖で統制し、反抗は許さない」
ロイが眉を寄せた。
「……じゃあ俺たちは、正面からぶつかったら――」
「多大な犠牲が出る」
漣司ははっきり断じた。その一言は、部屋の温度を一段階下げるほどの現実味があった。
しかし彼の声には一切の迷いが無い。
「だが、歴史にはそういう状況を覆した男がいる」
視線が仲間たちに向けられる。その目は、何かを確信している者のそれだ。
「お前たちは知らないだろうが、俺のいた世界に――『織田信長』という男がいた」
ロイが瞬きをし、リュシアもわずかに身じろぐ。ミナは興味深そうに腕を組んだ。
「戦国と呼ばれる大乱世の時代に生まれ、乱世を切り拓いた武将だ」
ロイが首をかしげる。
「……異世界の武将、ですか?」
「そうだ。だが、ただの武将ではない。彼は『座』と呼ばれる独占組織を壊し、誰でも商いができる『市』を開いた。人と富が流れ込み、都市を繁栄させた。――だが、それ以上に恐れられたのは戦の強さにある」
漣司の声が鋭さを増す。
「信長は、数で劣っていても臆さなかった。わずかな兵をもって、大軍を奇襲して打ち破った。歴史に残る戦い――『桶狭間の戦』だ」
ガロウが興味深そうに前のめりになる。
「少数デ……大軍を、カ」
「わずかの兵を率い、地形と情報を駆使して奇襲を成功させた。敵の大将首を取り、戦況をひっくり返した」
ロイ、リュシア、ミナ、そしてガロウ。員の視線が、漣司の指先――地図の一点に吸い寄せられる。
そこには赤い印、〈赤狼の牙〉本拠が描かれていた。
「俺たちもそれをやる。少数で、大軍の急所を突く。敵の頭目グラドを討ち、牙を折るんだ」
漣司の声が低く響く。ガロウがニヤリと笑う。
「面白ぇ。少数精鋭で牙の頭目をブッ叩くってわけカ。最高じゃねぇカ」
「だがただの突撃じゃ無謀だ」
リュシアが冷静に釘を刺す。
「敵は百を超え、こちらは五十にも満たない。正面戦で勝てる見込みは低いです。成功確率は――」
「だから情報戦を仕掛ける」
漣司は頷いた。
「敵の数、位置、補給線、士気。全てを知れば、百も十にすぎない」
彼の視線がミナに向く。
「潜入だ。〈赤狼の牙〉の本拠に忍び込み、動き、規模、物資、全ての情報を掴んでこい」
一拍置いて――ミナの唇がゆっくりと吊り上がる。そして、指先で短剣を軽く跳ね上げ、回転する刃を掌で受け止めた。
「……やっと来たよ、この仕事。ずっと待ってた」
ミナは短剣をくるりと回し、影のように細い笑みを浮かべた。
「任せてよ、社長。夜は――猫が獲物を狩る時間だ」
彼女の声はひそやかで、炎の揺らぎがさらに深まる。
「闇に溶けて、気づかれずに近づいて、喉笛だけを頂いてくる。そういうの、得意なんだよ」
燭台の炎が細く揺れた。その揺らぎは、これから始まる静かな戦の気配を確かに告げていた。
◇
夜更け、赤狼の牙の野営地。焚き火の光を避け、ミナは黒衣に身を包み、影のように忍び込んでいた。荷車の間を抜け、酒樽の陰をくぐる。耳に入るのは、荒々しい笑い声と鉄器のぶつかる音。
「……さて、頭目の天幕はどこかな」
呟いた瞬間、背後から声がした。
「おい、誰だ?」
振り向くと、そこに立っていたのは――チカとゴローだった。
「な、なんだテメェ!? 新入りか!?」
ゴローがクロスボウを抱えたまま叫ぶ。――次の瞬間、弦がビョンッと外れ、金具がカランと地面に転がった。
「お前また壊してんじゃないの!」
チカが即座に頭を小突く。
「壊してねぇ! これは戦略的調整だ!」
「はいはい、調整ね。毎回それ言ってるよね?」
「だってほんとに調整なんだって!」
ミナはぱちぱちと瞬きした。
(……なにこの二人、盗賊なのに漫才してるの?)
「ねぇアンタ、何者?」
チカの視線が疑いに満ちる。ミナは瞬時に表情を切り替え、猫なで声を作った。
「えっと~、今日から配属された新人でーす♡ ほら、暗いとこ向いてる顔でしょ? 猫目だし?」
にっこり笑ってウィンク。
「新人? そんな話あったか?」
ゴローがポリポリ頭をかく。
「でもまあ、確かに猫っぽい顔してるな」
「は? 猫っぽいって何よ」
「耳がピクピクしそうっていうか」
「ちょっと、それ褒めてるの?」
「どっちかっていうと観察?」
二人の軽快な掛け合いに、ミナは笑いをこらえて唇を引き結ぶ。
(……うん、この二人バカだ。だけどバカでも情報を持ってないとは限らない。使えそうなら使う)
焚き火の向こうでは、頭目グラドが鬼神のような声で号令を飛ばしていた。
「夜明けと同時に街道を塞ぐ! 燃やし、奪い、殺せ!」
その怒声を背景に、ミナは自然なふりで肩をすくめ、二人へ身を寄せた。
「ねぇ……あんたたち。今日の作戦って、どこまで決まってるの? ちょっと教えてくれない?」
二人は顔を見合わせ、同時に首をかしげる。
「作戦……だよな?」
「うん。あの……なんか、聞いてたっけ?」
「いや、俺らそういうのいつも聞かされないだろ。囮とか斥候とかさ」
ミナは心の中でため息をついた。
(やっぱり……ダメだ、この二人)
「そっか。じゃあ……話しやすそうな人、誰?」
二人はまた顔を見合わせ、同時に首をかしげた。
「……誰だろ」
「強いて言うなら……」
「強いて言うなら……?」
同時に口を開き――
「お頭?」
「お頭だな!」
即答だった。ミナはそっと額を押さえた。
(……知ってた。分かってた。でもせめて次に偉いヤツくらい教えてよ……)
◇
それでも、得られる情報はあった。盗賊団が明日、百を超える兵を街道に繰り出すという事実。そして、その指揮は頭目グラド自らが執ること。
ミナは闇に溶けるように姿を消した。残されたチカとゴローは、ぽかんとした顔で囁き合う。
「なぁチカ、今の娘……可愛かったな」
「アンタ、すぐそういうこと言うんだから」
「でもさ、なんか猫っぽくなかった? 目が光ってさ」
「はいはい、また猫ね。猫猫うるさいわよ、あんたは」
二人の声が小さく重なり合い、夜の焚き火の音だけがそれを包んだ。そして、気づかぬうちに、闇のどこかでミナの影が笑うような気配だけが、静かに残っていた。
その夜、商会の会議室に戻ったミナは報告した。
「敵は夜明けに動く。数は百以上、頭目グラドが直接指揮」
漣司は頷き、仲間たちを見渡す。
「なら、こちらも夜明けに動く。――桶狭間の奇襲を再現する」
燭台の炎が揺れ、壁に映る影は長く、そして不気味に伸びた。その揺らぎの中に、戦いの気配が濃く漂う。炎に照らされたその瞳は、次なる戦いを見据えて燃えていた。
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