第30章 前哨戦 ― 牙を試す刻
朝靄がゆっくりと晴れ始める街道に、澄んだ鈴の音が等間隔で刻まれていく。
まるで時間そのものが歩いているような規律正しいリズムだ。
先頭には白地に蒼い牙を描いた二階堂商会の旗。
風を切るたび、鋭い曲線が光を裂き、行軍の中心で誇らしげに揺れていた。
荷車三台が軋みも少なく進むのは、昨夜のうちに整備が完了しているからだ。
側面には簡易の防板が取り付けられ、荷綱は結び直され、運搬記録はすべて蓮司の指示どおり同じ位置に固定されている。
その周囲を固めるように、民兵二十名が二列で歩む。
鎧の継ぎ目は油が差され、槍の切っ先は朝日に一斉に光を返す。
いずれも歩幅が揃い、まるで一つの身体のように動いていた。
「同じ時間、同じ音……」
街道脇の農夫が、荷車を見送りながらしみじみと漏らす。
「ほんと、不思議なもんだな。昨日までより、空気が落ち着いて見える」
「だな。毎日この時間に通るってだけで、こんなに安心するとは思わなかった」
別の男が感心したように頷く。
「盗賊も、これじゃ手を出しにくい。人数も、動きも、バラバラじゃないからな」
それも当然だった。
今、商隊を動かす一つひとつの配置、速度、休息時間――
すべてが蓮司の計算と指示の上に組み上げられている。
隊列の中央では、記録係の少女が走りながら羊皮紙に記号を書き込んでいた。
荷車と民兵の間隔、音の乱れ、視界の死角。
違和感があれば即座に飛び、次の休憩で蓮司に報告できるよう仕組まれている。
「速度、一定。視界良好。……後方、問題なし」
民兵長が低く呟くと、前列の二人がすぐさま合図を返し、歩幅を微調整する。
このほとんど無言の連携こそが、蓮司が短期間で築いた動く都市の秩序だった。
だが――。
その整った行軍の先。
薄靄の向こうに横たわる曲がり道の彼方には、まだ見ぬ影が息を潜めている。
荒野で唸りを上げる〈赤狼の牙〉の気配は、誰にも悟られないまま、じわりじわりと街道へにじり寄っていた。
前哨戦の幕は、静かに、確実に上がろうとしていた。
◇
丘の上。朝靄に煙る茂みは静かだったが、その裏に潜む盗賊たちの心臓は、騒がしい太鼓のように鳴っていた。
赤毛をポニーテールに束ねたチカが、手製の銅管スコープを覗き込み、眉をひそめる。
「ねぇゴロー、やっぱおかしいってば。あの隊列、動きが揃いすぎてる。昨日までの商隊と全然違う」
青髪の細身の盗賊、ゴローが隣で草をかき分けながら、呑気に返す。
「気のせいだって。人間なんて数が揃えば歩幅もバラけるし、そもそも村人が戦えるわけ――あっ!」
言葉が喉で止まった。
ゴローの瞳が、化け物でも見たかのように見開かれる。
視線の先には、隊列最前列で斧を担ぎながら歩く巨漢――ガロウ。
陽光を浴びて金色に輝く筋肉と、獲物を見つけた狼のような笑みを浮かべる。
「……あ、やべ。目ぇ合った」
チカは銅管をめいっぱい握りしめ、声を裏返す。
「だから言ったじゃん! 逃げるよ、今すぐ!」
「ま、待て! せめて報告してから……ッ!」
ガロウが斧の柄を地面に叩きつけた。
ドガァンッ!!
大気が裂け、土煙が爆発し、丘の茂みがまとめて揺らぎ、隠れていた盗賊たちの頭上を衝撃波が撫でていく。
「ぎゃあああああああああ!!!?」
チカとゴローは絶叫しながら、茂みの間で身をよじり転げまわる。ゴローは必死に銅管を握り直すが、部品が外れ、チカの頭にコツンと当たった。
「ちょっ、ゴロー! なにやってんのよ!」
「ご、ごめ……あああああっ!」
草の中で手足をバタつかせる二人の直上を、整然とした影が通り過ぎていく。
二階堂商会の行軍隊列――。
一歩ごとに揃う靴音、揺れない荷車、民兵たちの目線は一定。
旗手が風に翻る旗を支え、その間もガロウは悠然と列を進む。後ろからは漣司と仲間たちの隊列が続き、整然と、そして圧倒的な迫力で迫ってくる。
まるで訓練された軍隊のような迫力が、丘の上の盗賊たちを無言で押しつぶしていく。
「……なにあれ……村人じゃない……ぜんっぜん村人じゃない……!」
チカは引きつった笑みを浮かべ、ゴローは半泣きで草にめり込みながら叫んだ。
「む、無理! 今日の仕事、絶対ボーナスつけても割に合わねぇ!!」
丘の上に、まるで嵐の前の緊張と滑稽が同居する瞬間が訪れた。
◇
「敵襲!」
リュシアの声が響き、民兵が鈴を一斉に鳴らした。音重なり合う音がまるで鼓動となり、列は揺るがずに進む。ミナは軽やかに短剣を抜き、茂みへ跳び込む。
「ほら出てきなさい! 猫みたいに隠れても、爪痕は残すんだからね!」
盗賊たちは慌てて飛び出す。刃と刃が火花を散らし、飛び交う音が緊張感を一層高める。ロイは瞬時に反応し、農民の盾となる。矢を弾き、盾に伝わる衝撃に息を呑む。
「怯むな! 鈴を鳴らせ! 音が続く限り、俺たちは崩れない!」
牙の旗が咆哮を上げ、突撃する。
「退職金までもらえる戦士なんざ聞いたことねェ! 今日も退職希望者を募集中ダァ!」
ガロウの斧が唸りを上げ、目の前の盗賊の槍を粉々に叩き割る。斧の衝撃で地面にひびが走り、飛び散る砂埃が戦場を赤く染める。
ミナが軽やかに翻り、短剣で次々と敵を制圧。
「逃げても無駄よ! 今日の夜は、爪痕つけ放題~!」
ロイは民兵を守りながら声を張る。
「音を、俺たちの力を信じろ! 盾も剣も、俺たちの誇りだ!」
列は完璧な統率で前進する。牙の旗が翻るたび、火花と金属音が共鳴し、戦場に躍動感と緊張のリズムを刻む。
◇
一方その横では、チカとゴローが慌てふためきながら必死に逃げ回っていた。
「ちょっ、ゴロー! クロスボウ壊れてるじゃん!」
「修理中だったんだよ!! 今はただのお荷物なんだよ!!」
ゴローは半泣きで残骸を抱え、チカは頭を抱えて飛び跳ねる。
「アンタねぇ!! 戦場に分解中の武器持ってくる奴がどこにいんのよ!」
「俺だよ!! ここだよ!! ……って、待てチカ。俺が囮になる!」
一瞬、風が止んだ。
「……マジで? ゴローが? ちょっとカッコいいんだけど?」
「って言いたいけど無理!!! 一緒に逃げよ!!!」
「最低ッ!!」
二人は次の瞬間、木の葉を巻き上げながら同時に全力疾走した。
「うわああああ枝ッ!!」
「チカ、こっち! って痛っ!!」
「アンタが転んでどうすんのよ!! ほら、手!!」
手を繋いだまま、二人はジグザグに木陰を縫い、時に転がり、時に激突しながら逃げていく。
枝にぶつかって転びそうになりながらも、互いに手を取り合い、無我夢中で逃げる様子は、戦場の混乱の中で一際目立っていた。
◇
戦闘は短くも苛烈で、荒野には血と汗の匂いが残った。盗賊たちは押し返され、半数以上が地に伏した。生き残った者たちは狼狽しながら退散し、残されたのは破れた旗と血の跡だけとなった。
リュシアは倒れた盗賊の手から木札を取り上げ、冷徹な目で確かめた。
「また三つの三角の印。やはり赤狼の牙……」
ロイが剣を握りしめ、荒い息を吐いた。
「……勝った、のか?」
「前哨戦にすぎない」
漣司は冷静に答え、旗を高く掲げる。その瞳には、次に待ち受ける戦いを見据える光が宿っていた。
「奴らは牙を試したに過ぎない。これからが本当の狩りだ――だが我々の剣と契約が、この荒野を制す」
風が一瞬止み、鈴の音だけが静寂に凛と響く。荒野に漂う緊張の中、前哨戦の幕は上がった
――だが、真の戦いは、まだ始まったばかりだった。
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