第3章 武装商会の試練 ― 契約を脅かす陰謀と裏切り
カストリアとの契約から数日後。
二階堂商会は初の正式な商取引に臨もうとしていた。
レンドル村の小麦を馬車に積み込み、
護衛の獣人傭兵団「牙の旗」を伴い、都市へと向かう。
だが、順調な船出に必ず影を差すのが世の常だった。
出発前夜。リュシアが帳簿を確認していた時、不自然な数字に気づいた。
「……在庫が二割、消えている?」
漣司は眉をひそめた。小麦は村人総出で袋詰めし、倉庫に保管していたはずだ。
盗難にしては規模が大きすぎる。
翌朝、調査の結果が出た。
なんと「牙の旗」の一部兵士が、密かに袋を抜き出し、
盗賊団へ横流ししていたのだ。
漣司は獣人兵を前にして、怒りを押し殺した声で問いただした。
「なぜだ。お前たちは我が商会の子会社だろう」
兵士は牙を剥き、逆に居直る。
「俺たちは雇われただけだ! 商会とか子会社とか知らん!
ギルドが裏で金を積んできたんだ!」
その言葉に村人たちはざわめき、信頼が揺らぐ。
漣司は静かに息を吐き、背後のリュシアを見やった。
「リュシア。どう見る?」
彼女は淡々と告げた。
「裏切りは即刻切り捨てるべきです。商会に不要な赤字部門は存在させない。
……処分を」
その声は氷の刃のように冷酷だった。漣司は思わず苦笑した。
日本でなら「内部不正」や「背任行為」の処分を検討するところだが、
この世界では温情をかける余地はない。
漣司は宣言した。
「牙の旗の裏切り者どもを解雇する。契約は破棄だ」
リュシアが魔術を展開し、裏切り者の兵士たちは闇の鎖に縛られた。
残る兵士たちは恐怖に震え、頭を垂れた。
「裏切らない限り、商会はお前たちを守り、利益を分配する。それを忘れるな」
漣司の言葉に、兵士たちは一斉に跪いた。
◇
だが、試練はそれだけでは終わらなかった。
小麦を積んだ商隊が都市へ向かう途中、峡谷の狭道で待ち伏せを受けた。
現れたのは武装した山賊たち――背後には商人ギルドの影がちらつく。
「契約なんぞ無効だ! ここで荷を置いていけ!」
村人たちは恐怖で怯えた。
だが漣司は、まるで株価の急落に直面したトレーダーのように、
冷静な眼差しを保っていた。
「リュシア」
「はい、社長」
漣司の合図で、リュシアが詠唱を開始する。
氷の魔力が渦を巻き、峡谷全体を覆った。
彼女のローブがはためき、瑠璃色の瞳が不気味に光る。
その姿は村人の目には「死神」に映っただろう。
同時に、漣司は「企業買収スキル」を発動させた。
――《対象評価開始》
――《敵対組織:山賊団》
――《構成員:17名》
――《武装力:低》
――《資金力:微少》
――《交渉による買収成立確率:30%》
数字は淡々と並び、情け容赦なく価値を示す。
そこに善悪も憐憫もない。ただ「使えるか」「使えないか」だけが存在していた。
漣司は、かつて株価の上下を見つめていたときと同じ目で、その情報を見下ろす。
心拍は乱れない。躊躇もない。必要なのは、判断だけだ。
「……十分だな」
低く呟き、彼は前に出る。
「吸収合併だ」
次の刹那、スキルは発動し、
首領の精神へと経営者の声が残酷なほど直接に響きわたる。
「お前たちに選択肢をやる。死ぬか、我々二階堂商会の戦闘子会社になるかだ」
──リュシアの詠唱が極点に達した瞬間、世界の温度が一気に奪われた。
大地は鋭い悲鳴を上げるように白く凍結し、
彼女の足元から氷霜が蜘蛛の巣のように四方へ走る。
空気そのものが砕けて散るようなキィンという音が峡谷に響き、
山賊たちの吐息は白い煙となって震え、
皮膚に触れるだけで切り裂くほどの冷気が肌を裂いた。
リュシアのローブが風に翻るたび、裾から溢れる魔力が鋭い氷刃へと変わり、
まるで意志を持つ獣の群れのように山賊へ滑り寄る。
氷影は足元から這い上がり、冷たい毒のように脚へ絡みつく。
瞬く間に霜が膝まで噛みつき、筋肉の熱を奪い、関節を固め、
まるで「逃げる」という概念そのものを奪い取るようだった。
地に伏した山賊の喉から漏れた悲鳴は、氷の世界に吸い込まれて粉々に砕ける。
冷気が首領の肺を締め上げ、息をするたびに内部が凍りつくような痛みが走る。
リュシアの瑠璃色の瞳は、凍てついた湖面の奥に潜む獣のように淡く煌めいた。
その光を見た瞬間、誰もが理解する──
人の姿をしているだけで、本質は氷原に咲く殺意そのもの──
そう錯覚せずにはいられないほど、リュシアは完璧に氷の死を体現していた。
「……従う!」
首領の叫びが、砕けた声で峡谷に響く。
「俺たちは……商会の傘下に入る!」
その言葉が紡がれた瞬間――
漣司の掌が、静かに、しかし確かに金色へと染まった。
光は脈打つ。世界が、その意思を測るように、わずかな沈黙を置く。
――条件確認。
承認者の恐怖、屈服、そして明確な意思表示。
すべてが揃った瞬間、空気が震えた。
『――条件確認完了――』
『対象:山賊団〈黒牙〉』
『承認:首領による完全服属宣言』
重く、冷たい声が、世界そのものから響き渡る。
『――スキル発動:「企業買収(M&A)」――』
金色の光が爆ぜた。
氷結した大地を伝い、光は鎖のように山賊たちの足元へ絡みつく。
帳簿の幻影が宙に展開され、戦力、装備、経験値が数値として抽出される。
虚偽と反抗の意志が砕け散り、
利用価値だけが、冷酷に再構築されていく。
――《買収完了:山賊団「黒牙」を二階堂商会の警備部門として登録》
――《新規戦力:戦闘要員17名/支配権取得》
敵対組織を力で買収する。経済戦争と武力制圧を融合させた、
前代未聞の手法だった。
通知が消えたあとも、世界はしばらく金属音の余韻を残して震えていた。
山賊たちは膝をつく。それは忠誠ではない。義務ですらない。
――支配された本能が、頭を垂れさせていた。
その光景は、勝利というよりも、儀式だった。
経済と暴力。契約と恐怖。
相容れぬはずの二つが、漣司の掌の中で、完璧に噛み合う。
敵組織を評価し、価値を算出し、不要な抵抗を氷で削ぎ落とし、
最後に買収という名の支配で呑み込む。
それはもはや商会の手法ではない。
帝王が領地を拡張するための、戦争術そのものだった。
◇
商隊は無事にカストリアへ到着した。
だが、商人ギルドの動きはなお油断ならない。
今回の裏切りも待ち伏せも、背後にギルド長マルコの影があるのは明白だった。
契約交渉を勝ち取ったものの、相手は表では握手し、裏では刃を向けてくる。
まるで日本で経験した敵対的買収戦のようだ。
漣司はギルド館の前に立ち、夕陽に照らされる街を見下ろした。
「……これでわかった。この世界でも、経営は戦争だ」
薄闇に溶け込むように立つリュシアが、横目で漣司を見た。
その口元に浮かぶのは、微笑とも、血に濡れた氷刃のきらめきともつかない表情。
「社長。利益のためには、いつでも血を流す覚悟が必要です」
「覚悟なら、とっくにできてる」
漣司は拳をゆっくり握りしめた。爪が食い込み、痛みが骨の奥にまで響く。
その痛みこそが、自身の選んだ道が生半可ではないことの確認だった。
――これが、武装法人二階堂商会にとって最初の試練であった。
裏切り者を切り捨て、敵対組織を力で吸収し、取引相手との契約を寸分違わず守り抜いた──
ただそれだけの一日のはずが、この世界の勢力図をわずかに、しかし確実に軋ませた。
その日を境に、二階堂商会は村の商団という枠をひとつ脱ぎ捨てる。
都市ギルドの目が、ひっそりと、だが確かに彼らへ向き始めたのだ。
「契約を破らぬ商人」
「武力で買収を行う異端」
「黒牙を従えた新興勢力」
噂は尾ひれをつけて膨張し、恐れと興味の両方を街へ浸透させていった。
どこかの酒場で囁かれた小さな話題が、翌日には商人組合の会議をざわめかせる。
一介の商会に過ぎなかった名前が、徐々に勢力の音色を帯び始める。
そして──商会が得た新たな信用と恐怖の均衡は、
同時に多くの者にとって障害とも脅威ともなり得た。
その結果として、必然的に訪れる。
次なる試練は、さらに大きな陰謀と戦乱の渦へと繋がっていく。
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