第29章 敵の火種 ― 無法者たちの宴
夜が降りきった荒野に、灯火がいくつも散っていた。それは星ではない。焚き火と松明――〈赤狼の牙〉が巣食う根城の灯だ。
都市から半日。
崩れ落ちた修道院の残骸は、今や盗賊たちが勝手に積み増した木材と鉄板で無骨な要塞へと姿を変えていた。聖性の欠片などとうに失われ、代わりに血と獣脂と酒気が層になってこびりついた、獣穴の匂いが荒野へ流れている。
夜風が吹けば、その臭気はまるで魔物の息吹のように漂い、近くに住む者すら寄せつけない。
焚き火の周りでは、肉が焼ける音と鉄器のぶつかる甲高い響きが乱れていた。
笑い声は下卑たものばかり、宴と呼ぶにはあまりに刺々しく、どこか血の匂いを伴っている。
「――南の街道は、オレたちの狩場だ!」
その中心で、頭目グラド・バルザークが野獣のように咆哮した。
声は修道院の半壊したアーチに反響し、焚き火の炎が音に怯えるように揺れる。
二メートルを優に超える体躯。
片目には黒革の眼帯。露出したもう片方の眼は、乾いた荒野でも炎と同じほど赤く爛々と光を宿す。
背を見れば、皮膚の上に走る無数の傷痕が、ほとんど鎧のように盛り上がっていた。
敗北の痕ではない。死を弾き返してきた者だけが持つ、暴力の勲章だった。
「二階堂商会だァ? 笑わせんな!」
グラドは酒壺を乱暴に掲げ、口の端から酒と怒りをこぼした。
「都市の中でしか吠えられねェ奴らが、何を気取ってやがる。外は無法だ。掟も守りもねェ、ただの野だ。そこで強ェのは――牙を持つ奴だけだ」
酒壺を地面に叩きつけると、陶器が砕け散り、酒の匂いが一層濃くなる。
盗賊どもがそれに呼応するように雄叫びをあげ、焚き火の火が一瞬だけ爆ぜた。
「商隊を増やす? 上等だァ!」
グラドの声が荒野に響く。どこまでも広がる夜の闇にさえ、彼らの狂気は染み込んでゆく。
「獲物が増えたってことだからなァァッ!」
その瞬間、周囲の盗賊たちが一斉に酒壺を掲げ、獣のような影が壁に大きく伸びた。
焚き火の赤い火が、彼らの背に描かれた〈赤狼の牙〉の紋を照らして揺らす。
まるで、焔そのものが牙を剥いて吠えているようだった。
荒野に、宴の喧騒が満ちる。その音は、遠い都市へと届くことはない。
――けれど確実に、迫りくる災厄の足音だけは、静かに増幅されていた。
◇
その輪の外れに、少し場違いな二人の姿があった。
「……ねぇゴロー。これ、本当に、上手くいくの?」
赤毛を高く束ねたポニーテールが揺れる。女盗賊チカは盗賊団きっての俊足斥候であり、本来なら獣のような鋭い眼を持つはずなのに、どういうわけか睨んでもどこか愛嬌が先に立つ。闇夜の焚き火の光が頬を照らし、眉間の皺すら可愛らしく見えてしまうのだから、本人としては不本意で仕方ない。
「当たり前だろチカ! 頭目の言う通りに罠張って、商会の連中が来たら叩き潰して奪うだけだ。……簡単、簡単」
青髪の青年ゴローが胸を張った。筋肉は細いが、足は速い。目は鋭敏。頭も回る……はずなのだが、どうしてか抜けている部分が多く、理屈を語るほどにボロが出る。腰にはクロスボウを携えているのに、なぜか今は分解途中。
チカは眉を寄せ、小声で囁く。
「でもさ……聞いたことない? 二階堂商会の社長って、数字と剣と人の心を同時に操るんだって。なんていうか、ちょっと……怖くない?」
「噂なんて風の音さ! 狼の牙は風より速いっての!」
ゴローが得意満面で断言した、その瞬間だった。
――カチッ。
金属の小さな悲鳴。次の瞬間、クロスボウの部品がひゅん、と宙を舞い、焚き火の中に落ちて火花を散らした。
「あーーっ! お、お、おちたぁ!? やべっ! やべぇってこれ!」
「だから言ったでしょアンタ、道具は丁寧に扱いなってば!」
「ちょちょちょ! あちちち! チカ踏むな! それ俺の部品ッ!!」
火の中に手を突っ込むゴローと、その背中を平然と踏み台にするチカ。
二人の騒動に、周囲の盗賊たちは腹を抱えて笑い出した。
「赤狼の牙のくせにトロすぎだろ!」
「でもまあ、あいつら斥候としては優秀なんだよな。足も目も利くし」
「うんうん、使えるとこだけは使えるんだよな、妙に!」
からかう声が次々飛び、焚き火の輪に笑いが広がる。
チカとゴロー。
赤狼の牙の滑稽さを象徴する二人――
しかし、彼らが動けば風が動き、敵影が動く。団の誰もがそれを知っている。
――そして、その二人の初仕事は、二階堂商会という都市の牙を試すこと。
荒野の夜は深まり、焚き火は赤く揺らめき、
二人のドタバタすら、これから始まる嵐の前触れのように燃え上がった。
◇
グラドがまた杯を指で潰すように握りつぶし、甲高い破裂音が宴の喧騒を一瞬で叩き斃した。割れた陶片が地面に散り、修道院跡の石床を転がる音さえ、盗賊どもの鼓膜に食い込んでくる。
「笑うのは勝ってからにしろォ!」
低く這うような声だった。だが次の心臓の鼓動で、その声は突然、焚き火を噴き上げる獣の吠え声に変わる。
「都市の奴らは必ず街道を出るッ! 来るのを待て! 群れを離れた瞬間、牙を突き立てろ!燃やせ! 奪え! 殺せ!! それが――赤狼の牙の掟だァァ!!!」
怒号に呼応するように、焚き火が轟音を上げて跳ね、赤い狼の紋章が石壁に揺らめいて走った。盗賊たちは歓声を爆ぜさせ、剣を掲げ、酒壺を空に向けてぶち撒ける。その熱気は戦場の前夜というより、獣の巣が飢え狂う瞬間そのものだった。
その狂騒の輪の影――光から半歩外れた場所に、チカとゴローは並んで腰を下ろしていた。熱気にあてられながらも、どこか別世界の住人のように肩を寄せ合っている。
「ねぇゴロー、うちら……このまま盗賊で食ってけるのかな」
チカは焚き火を見つめながらぽつりと言った。赤毛のポニーテールが火に照らされて揺れ、普段は快活な瞳が、今だけは不安げに揺らいでいた。
「しっ……! 声がでけぇっての!」
ゴローは慌てて人差し指を唇に押し当てる。だが言いながら自分の膝には工具が散乱しており、クロスボウはいまだ半分分解されたまま。緊張感があるんだかないんだか分からない。
「……でもまあ、俺たちは盗賊だしな」
彼は肩をすくめ、火に照らされた横顔に居心地悪そうな苦笑を浮かべる。
「今さら真っ当に戻れねーよ。でもな、チカ。頭目の言う通りに動けば、意外とちゃんと食えるかもな。まあ、少なくとも生きてはいける」
「ふふ。意外と現実的だね、あんた」
チカは軽く笑って肘でつつく。けれどその笑みは、冗談半分でありながら、胸の奥では別の感情が芽を出していた。
――恐怖と、そして……それ以上に、どうしようもなく消えない期待。
「だったらさ……ちょっとワクワクするかも。はじめて大きな獲り物ってやつでしょ?」
「お、おう。ま、任せとけ! 俺たち、斥候としては優秀だからな! ……たぶん!」
喧騒と咆哮に満ちた盗賊団の宴。
その中心で荒野の獣たちが牙を研ぎ狂気に染まっている一方――
輪の端でひそやかに未来を案じるチカとゴローだけは、まるで違う温度で夜を迎えていた。
互いの表情に映る焚き火は、不安と小さな希望、両方の色を揺らめかせながら。
◇
翌朝、カストリアの城壁に立つ漣司の周囲には、まだ夜の名残が残る薄霧が漂っていた。
城下町を包む朝の光は淡く、遠方の荒野に立ち昇る黒煙を照らす。煙はゆらりと空に伸び、朝の静寂を切り裂くように揺れていた。
「……ただの山賊じゃない。組織的だ。計画的に待ち伏せ、商隊を殲滅した……潰すには、剣だけじゃ足りない」
冷たい風を切るその視線は、敵の牙を正面から折る決意に燃えていた。
漣司は手にした望遠鏡を覗かずとも、荒野の状況を頭の中で組み立てていた。黒煙の向こうに潜む牙、潜伏する影、燃え残る馬車と血痕――全てが、彼の戦略眼を刺激する。
冷たい風が彼の髪を揺らし、マントをひらりと翻す。瞳の奥には、敵の牙を正面から叩き折る決意が炎のように燃えていた。
「奴らはただ暴れるだけの愚か者じゃない……都市の外で支配を誇ろうとするなら、我々も力を示さねばならない」
漣司は城壁の欄干に手を置き、仲間たちの顔を思い浮かべた。
リュシアの冷徹な分析力、ガロウの豪胆な攻撃力、ミナの狡猾な立ち回り、ロイの声で士気を高める力――全員を一つにまとめ、牙の根を断つための指揮を練る。
「次は、奴らの根を完全に断ち切る。契約と兵法、そして武力で――必ず、二階堂商会の名を示す」
漣司は剣を握り直し、視線を黒煙の向こうに定める。城壁の影に仲間たちが並び、朝の光を受けて彼らの武装が輝く。荒野を覆う静寂は、次の戦の序曲に過ぎなかった。
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