第28章 備えと制度 ― 武装法人の礎
都市が賑わいを取り戻していくのは、まるで冬の底から春がひそやかに芽吹くようだった。倉庫街の荷揚げ場には朝から列ができ、商会発行の手形は再び市民の財布で音を立てて流通し始める。露店の呼び声、子どものはしゃぐ声、酒場から漏れる陽気な歌――どれもこれも、つい一週間前までは考えられぬ光景だった。
「二階堂商会が勝ったんだってさ!」
「これで飢えずに済む!」
噂は酒樽より早く、風より滑らかに街を駆け抜ける。希望は、人の口にのぼるだけでこんなにも色を増すのかと、誰もが驚いた。
だが――その城門をくぐり、一歩外へ出れば。
景色は、血の匂いをまだ忘れていなかった。
焼け落ちた荷馬車が黒焦げの骨のように転がり、矢尻は乾いた土に刺さったまま風に揺れる。破れた袋が野犬に食いちぎられ、中身をこぼした穀物が小石になじむように散乱していた。かつて人が通り、物が通り、希望が通った道のはずなのに――いまはただ、静寂が支配している。
街壁の上に立つ漣司は、その二つの世界を同時に見下ろしていた。明るすぎる街の灯と、残酷なまでに暗い荒野の影。光と影が境界線ひとつ隔てて共存しているその落差は、まるで世界がまだ「本物の秩序」を知らぬと示しているようだった。
「中は光、中は秩序。外は影、外は無秩序……」
呟きは風に溶けて消えたが、胸に宿った決意は揺らがない。
「――この落差を埋めることが、次の戦いだ」
彼の視線はもう都市の外を向いていた。ここに生まれた安定は、まだ壊れやすい硝子細工にすぎない。守りきるには、制度がいる。仕組みがいる。
そして――武装法人としての真の「礎」が要る。
都市を変えただけでは終わらない。次は、外だ。
荒野に秩序を。街道に光を。人々に逃げ場ではなく未来を。
そのための戦いが、静かに幕を上げようとしていた。
◇
会議室に沈む空気は、まるで嵐の前触れの静けさだった。
卓上に広げられた羊皮紙の地図には、赤と青の刻印が複雑に入り組み、都市の鼓動そのものが描かれているかのようだった。
赤――焼かれた馬車、襲撃された隊商、奪われた税貨。
青――商会の影走り隊が命懸けで切り開いた、安全の線。
漣司はその境界を辿りながら、一本の指をすっと立てた。
「青を広げ、赤を削る。やり方は――三つだけだ」
その声音は、地図に印された運命そのものを書き換えていくように、確固とした響きを帯びていた。
漣司が指を立て、
「第一に、軍備。兵力を増やし、ただ増やすだけでなく、庶民を守る側に組み込む。守られるだけの民は弱いが、守る民は強い。都市の外輪を、こちらの戦力で満たす」
筋の通った理屈に、ガロウが鼻を鳴らす。ロイは真剣な眼差しで次の言葉を待った。
「第二に、契約。通行料を取る以上、保証を付ける。払う者には安全を、破る者には制裁を。保険は命を買う仕組みだ。秩序は、金でも築ける」
ミナは口元にわずかな笑みを浮かべ、リュシアはすでに計算を始めている様子だった。
そして漣司の指が、地図の中央――都市の心臓部へと吸い込まれるように降りた。
「第三に、内政。都市そのものを楽市楽座に改める。商人を縛る座を壊し、誰もが商いできる市場を開放する。――富が動けば、人が集まり、人が集まれば都市は強くなる」
ロイが思わず声を上げる。
「楽市楽座……?」
漣司は静かに頷いた。
「かつて俺の故郷にいた英雄――織田信長という男が、実際にやってのけた。
独占を砕き、自由を掲げた。結果、荒れ果てた街道に商人が殺到し、国は豊かになった」
その語り口は歴史の教科書ではなく、戦場の戦略図を読み上げる軍師のそれだった。
「真似るんじゃない。応用するんだ。この世界の常識を、俺たちの手で塗り替える」
リュシアがペン先を地図に落とす。
ミナは指で青い印をなぞり、ガロウは腕を鳴らし、ロイは決意の色を宿す。
静かな会議室に、決意の熱が満ちていく。
「――青を増やし、赤を消す。それが、武装法人二階堂商会の次の戦だ」
その声は、まだ誰も見たことのない未来の都市の姿を、確かに描いていた。
◇
まず軍備。漣司は「民兵制度」を打ち出した。村人を雇い、街道の警備や見張りを仕事として与える。
「日当は銀貨一枚。負傷すれば治療費は商会が持つ。捕縛した盗賊には賞金を出す」
商会の旗の下に並んだ村人たちは驚きと期待の入り混じった顔をしていた。
「今まで命を懸けても飯一杯分にもならなかったのに……」
「子どもに笛を吹かせるだけでいいのか?」
ロイが前に出て声を張る。
「そうだ! 昨日まで死ぬ道だった街道が、今日からは働ける道になる! 剣を持てない者でも、鈴を鳴らす手はある!」
群衆に熱が走った。
次に契約。商会は「街道保全契約」を発表した。
通行する商人は定額の通行料を払い、もし盗賊に襲われれば損失の半分を商会が保証する。その代わり、商会は盗賊に徹底的な報復を行う。リュシアが帳簿をめくりながら説明する。
「保証があるなら、商人は損失の天井を知ることができる。天井が見えれば投資が可能になる。信用は数字で作れるのです」
商人たちは次々に署名した。
「盗賊に怯えて動けないよりマシだ」
「二階堂商会が敵を討ってくれるなら、払う価値はある」
最後に内政。都市の広場に告知板が立てられ、漣司自ら布告を読み上げた。
「本日より、ギルドの特権を廃止する!商いは誰でもできる!市場の使用料は半減、倉庫の貸出料も半減! ――これを楽市楽座と呼ぶ!」
群衆がどよめいた。
「誰でも市に出せるのか?」
「独占していた連中が黙っているはずが……」
「だからこそだ。独占は街を弱らせる。自由は街を太らせる。――俺は都市を太らせる」
◇
二階堂商会が掲げた「武装法人化」という前代未聞の改革は、戦場よりも先に従業員の生活を変え始めた。医療補助の導入。負傷者への治療費支給。退職金制度の新設。そして、労働者食堂――湯気の立つ温かい定食を、銀貨一枚以下で提供する福利厚生の中枢だ。
昼下がりの食堂は、驚きと期待と、まだ拭い切れない不安とが混ざり合う空気で満ちていた。
「――医療補助だト? 負傷しても治してくれるってか!」
ガロウが太い拳を鳴らし、まるで宝箱を見つけた子どものように目をきらめかせる。
筋骨の上に浮かぶ古い傷跡を撫でながら、嬉しさが隠しきれない。
「今までは斬られたら終わリ、歯が欠けりゃ引退だったんだゼ!」
ガロウが拳を叩き合わせ、目を輝かせた。すでに貯金計画を語り始める。
「こりゃ貯金し放題ダ……フフ、まずは俺専用の武具棚ヲ……いや、ベッドも新品ニ……いやいや、いっそ部屋借りテ――」
語りながら、すでに脳内で堅実な未来設計を暴走気味に膨らませている。
横で見ている者全員が、心の中でそっと「そんなに変わるのか……?」と思ったほどだ。
「ふーん。じゃあさ、盗み疲れた休暇とかもある? ほら、怪盗特別休暇みたいなさ」
ロイがすかさず頭を抱える。
「そんな制度、導入されるわけないだろ!」
リュシアは眼鏡を押し上げ、淡々と数字を告げる。
そんな混沌に、冷静な声が静かに差し込む。
「赤字にはなりますが――長期的な視点に立てば、人材投資といえます。労働効率は二割向上するでしょう」
リュシアが眼鏡のブリッジを押し上げながら、まるで天秤の片側に計算式を置くように淡々と告げた。紙束に走るペンの音が、彼女の言葉の信頼性をさらに補強する。
ガロウがぽかんと口を開け、ロイが溜息をつき、周囲の従業員がそれぞれに小さく笑う。
だがその笑いは、改革の重みを誤魔化すものではなく――むしろ、未来への覚悟を確かめ合うような柔らかい熱を帯びていた。
二階堂商会は、まだ途上だ。だが、確かな何かが動き出している。ここに集う誰もが、その気配を肌で感じていた。
◇
夕暮れが都市を包むころ、二階堂商会の旗が風を受けて高く鳴った。
漣司は広場に立ち、集まった仲間と市民の顔をゆっくりと見渡す。その眼差しは静かだが、底に燃えるものを隠さない。
「都市の中を守る仕組みは整った。――次は都市の外だ」
彼の声は、沈む陽の光に照らされて金属のように響いた。
「無法を切り開き、市場へと変える。武装法人とはそのためにある」
その瞬間、どこかで小さな鈴の音が鳴り、民兵が一斉に整列する。新たに掲げられた契約書の束が風にあおられ、薄紙がはためいた。布告板の前には自然と人だかりができ、期待とざわめきが渦を巻く。
楽市楽座の夜明けがゆっくりと訪れつつある。
秩序は書類の文字ではなく、今この広場に立つ人々の息遣いとともに形を持ち始めていた。
都市は確かに、新しい時代へと歩き出していた。
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