第18章 庶民代表 ― ロイ・フェンネル
農村との契約が結ばれてから数日。二階堂商会が構える倉庫街は、もはや裏通りではなかった。荷馬車の車輪が夜通し石畳を軋ませ、麦袋を担いだ労働者たちが汗を光らせ、香辛料や干し肉の匂いが昼と夜の境界を曖昧にしてゆく。都市市場が封鎖されてなお、ここだけは呼吸していた。貨幣が動き、人が集まり、信用が生まれ、また巡る――まるで新しい血管が都市全体に通り始めたようだった。
その喧騒を切り裂くように、倉庫の大扉が激しく叩かれる。
「社長に会わせてくれ!」
まっすぐで、嘘のない声。振り返ったミナは、荷物抱えたまま目を丸くした。
「あんた……この前の農村で真っ先に声を上げた兄ちゃんだね?」
扉の前に立つ青年は、麦畑の陽光をそのまま浴びたような快活さをまとっていた。褐色に焼けた肌、風にさらされても折れない茎のような背筋。そして、真剣な眼差しの奥に灯った芯の強さ。
「ああ。俺はロイ・フェンネル。あの農村の出だ」
名前を告げる声は誇りと少しの照れを混ぜている。
「契約のあと、村に活気が戻った。銀貨も入ってくるし、子どもたちの顔からも不安が消えた。……だから礼を言いに来た。――いや、それだけじゃない」
ロイは拳を握った。その手は大地を耕す者の手。硬く、ひび割れ、しかしどこまでも力強い。
◇
執務室に案内されると、ロイは扉が閉まるのを待たずに膝を折り、深く頭を垂れた。その姿は粗野さとは無縁で、むしろ祈りにも似た必死さがあった。
「二階堂商会に――どうか俺を加えてください。俺は農村の声を届けたい。市民が何に困っていて、何を求めているのか。どう動けば彼らが信用を寄せるのか……俺にしかできない役割があるはずなんです」
漣司は机越しに静かに彼を見つめる。その眼差しは、かつて日本で数百人の面接をしてきた経営者の目――嘘も虚勢も、一秒で見抜く目だ。
「理由は立派だ。だが――」
指先で机を軽く叩きながら、漣司は問いを突きつけた。
「お前は何を差し出せる?」
試される瞬間。ロイは逃げなかった。むしろ胸を張り、言葉を力に変えて放つ。
「俺が差し出せるのは、誠実な労力と信頼です。農村で生きてきて、人の声を聞くのは得意です。剣は強くありません。でも――」
拳を握る。爪が皮膚に食い込み、血が滲みそうなほどの強さで。
「声と汗で戦う覚悟なら、誰にも負けません。人を繋ぐ役なら、必ずやってみせます!」
その真っ直ぐすぎる言葉に、部屋の空気がわずかに揺れた。ミナが口元を吊り上げ、面白そうに笑う。
「ねぇ社長、この人さ……ただの田舎者じゃないよ。あたしと組ませたらどう? 街でも村でも、庶民の情報ごっそり拾えるよ!」
彼の瞳には、不安も恐れもなかった。あるのはただ、一つの願い。――自分の生まれた土地を、搾取から救いたい。その意志だけが、揺らぎなく燃えていた。
◇
しかし、リュシアは容赦なく切り捨てた。その声音は氷を削るように冷たく、言葉は寸分の揺らぎもない。
「……感情論に過ぎません。経営とは結果を数字で証明する行為です。民衆の心を掴むなど、不確実性に満ちた要素に依存すべきではありません」
彼女の言葉は一刀両断で、どこにも逃げ場がない。ロイは息を呑み、わずかに肩が震えた。
だが――次の瞬間、その震えは決意へと変わった。ロイは顔を上げ、まっすぐリュシアを見返す。その瞳は、恐怖ではなく“覚悟”を宿していた。
「……確かに、数字は重要です。でも――数字だけで人は動きません」
言葉が震えていない。農村で何度も理不尽に晒されながら、それでも諦めず声を上げてきた者の強さがあった。
「腹が満たされるだけでは駄目です。心も満たされなきゃ、人は信用しない」
沈黙。その静寂の中で、リュシアの眉がわずかに跳ねた。
(真正面から……私に?)
彼女が今まで踏みにじってきた数多の反論とは違う。弱者の泣き言でもなければ、愚かな逆張りでもない。根拠と覚悟を携えた意志ある言葉だった。執務室の張り詰めた空気を、漣司の口元に浮かんだ柔らかな笑みがほどく。
「いいな」
その一言で、全員の視線が社長に集まる。
「感情と数字――どちらも組織には必要だ。リュシア、お前の分析は完璧だが、彼はその完璧にはない穴を埋められる」
指先でロイを示す。
「数字に現れない民の声。それを読み取る役は……今の二階堂商会には欠けていたパーツだ」
ガロウが「オオッ」と吠え、ミナが満面の笑みでロイの背中を叩く。だがロイ本人は、ただ静かに――
胸の奥で燃える決意を、さらに強くするだけだった。
◇
こうしてロイ・フェンネルは、正式に二階堂商会の一員となった。
肩書きは「庶民代表兼営業補佐」市民や農村の声を直接吸い上げ、商会の戦略に反映させる役割を担うこととなった。その夜、倉庫の広場でロイの紹介が行われた。群衆の中に立ち、彼は声を張り上げる。
「ロイ・フェンネルです。農村の出身です。二階堂商会は単なる商売人の集まりではありません。私たちは皆さまの生活を守り、未来を築くために戦います。私が責任を持って尽力いたします」
その爽やかな笑顔と真っ直ぐな声に、群衆から歓声が上がった。
「ロイだ! あの村の若者だ!」
「彼が言うなら信じられる!」
漣司はその光景を屋上から見下ろし、深く頷いた。
「……やはり人心掌握は数字だけでは届かない。彼の存在は、二階堂商会をさらに強固にする」
◇
その後、商会の会議室。リュシアはなお不満げだった。
「社長。彼は魅力的ですが、危険でもあります。庶民に人気を得すぎれば、逆に商会内部に第二の権力を生むかもしれません」
漣司は苦笑した。
「リュシア、経営はバランスだ。カリスマを抑えつければ不満が生まれ、放置すれば暴走する。だから管理するんだ。彼を営業補佐にしたのはそのためだ」
ガロウが大声で笑った。
「いいじゃねェカ! 爽やかイケメンが仲間に加わったんダ。士気も上がるってもんだロ!」
ミナはにやにやしながらロイの肩を叩いた。
「おい兄ちゃん、庶民代表ってのはな、村のために汗かきまくるのが仕事だぜ? 裏路地駆け回ったり、子どもにお菓子配ったり、時には酒場で酔っぱらい相手に説教したりね!」
「そ、それは違うだろ!」
場が笑いに包まれる。
◇
だが、その朗らかな空気の底で――確実に、闇は形を成していた。ギルドが農村の離反を黙って見逃すわけがない。古い秩序を壊されれば、報復という見せしめを行うのがあの組織のやり方だ。その気配を察してか、ロイは夜風の吹き抜ける倉庫街の外で、漣司にそっと囁いた。
「社長、村のみんなを守れますか?」
暗がりの中でも、ロイの瞳は揺れていない。故郷を守る者の、覚悟の問いだった。漣司は視線をそらさなかった。
「守るさ」
答えは恐ろしく速く、そして揺らぎがなかった。
「俺たちは武装法人だ。契約で結んだ仲間は、利益のためじゃなく――責任のために守る。たとえ命を張ることになってもな」
ロイは短く息を呑み、それからゆっくりと、深く頷いた。
「……なら、私もこの旗の下で戦います。村も街も、仲間も――背負う覚悟があります」
その瞬間、夜空を裂くように強い風が吹いた。倉庫の屋根に掲げられた剣と天秤の旗が、大きくはためく。赤い炎のように揺れ、重い影が地面に刻まれる。
それは――新たに加わった仲間の決意を受け止め、未来へと進む二階堂商会の象徴だった。そして静かな夜の中で、漣司はひとり、確かに悟った。この戦いは、もう後戻りできない。
ここから先は――武装法人の真価を示す戦場だ。
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