第17章 農村の扉を叩く ― 交渉と反発
独自市場を都市のど真ん中に叩き立て、民衆の生活線を確保した――だが、それは戦争の序章にすぎなかった。次の主戦場は、都市の外。豊かな土と風が吹きすさぶ、古くからの農村地帯である。
馬車の窓から見える景色は、都市とはまるで別世界だった。黄金色の畑がどこまでも広がり、古びた風車と、瓦屋根の家々が点在する。しかしその美しい景観の裏に、腐った現実が横たわっていた。
カストリア周辺の農村は長年、ギルドとの保護契約に縛られていた。収穫物の三割を納め、代わりに種子・肥料・護衛の提供を受ける――建前はそうだ。
だが実際は、
――種子の質は悪く、肥料は希釈され、護衛は滅多に来ず、収穫物の搾取だけが年々増えていく。農民たちは貧困に喘ぎ、搾取の輪から逃れられず、都市の繁栄をただ支える“土台”に過ぎなかった。そんな荒れた農道をきしませながら進む馬車の中。書類を膝に置いたリュシアが、長い睫の影を揺らしながら口を開いた。
「社長。農村を味方に引き込めれば、ギルドの兵糧攻めは完全に無力化できます。あの市場封鎖は、都市だけでなく――農村の協力がなければ成立しません」
声は静かだが、瞳は鋭い火を宿している。
「ただし……農民たちは保守的です。伝統と昔ながらが彼らの支えであり、同時に鎖でもあります。
長年ギルドに従属してきた彼らは、新しい仕組みに飛び込むことを極端に嫌うでしょう」
漣司は腕を組み、外の景色をじっと睨むように眺めた。
「……日本でも似たような光景を見てきた。地方は、合理性より前例を重んじる。利益より村の空気が支配する。未来を描けず、古い慣習にしがみつく……」
その声音には、過去の記憶と職業的な観察が混じっていた。
「だが――それを変えなければ、未来は永遠に来ない。都市を動かし、経済を動かし、次に変えるべきは……この土地そのものだ」
馬車が揺れ、乾いた土埃が窓の外で渦を巻く。次の戦場は、剣でも盾でもなく、銃声もない。――土と収穫を巡る、静かだが苛烈な経済戦争。
◇
黄金の麦畑が風に揺れ、ざわざわと波打っていた。陽光に照らされるその光景は穏やかだが、空気には緊張の匂いが漂っている。一行が向かったのは、ギルドの支配を最も強く受けている村の一つだった。
古びた木柵に囲まれ、瓦屋根の家が連なる、小さくも歴史ある村。そして村の入口で待ち構えていたのは――険しい皺を刻んだ老人だった。
杖を突き、まるで侵入者を追い払うように一歩前へ出る。
「二階堂商会だと……?ギルドに楯突くような不届き者を、この村に入れるわけにはいかん!」
老人の声は、麦畑を渡る風すらねじ曲げるほど鋭かった。背後では、農具を手にした村人たちが不安げにこちらを見ている。ガロウが反射的に口を開きかけたが――漣司が手で制した。
そのまま、静かに前に進む。老人の視線と真正面からぶつかり合う距離まで。
「俺たちは奪いに来たんじゃない。略奪でも、支配でもない。――取引をしに来た」
低く、だがよく通る声。老人の瞼がぴくりと揺れた。
「……取引、だと?」
「そうだ。契約の話を聞くだけでも拒むのか?」
その一言は、まるで乾いた大地に落ちた種のように、村人たちの心に小さな芽を生んだ。ざわ……と後ろの人垣が揺れる。
「ギルドと結んだ契約は、長年続いてきたものだ。だが、それが本当に村を守ってきたのか……それを考える機会くらいはあっていいはずだ」
老人の目がわずかに泳いだ。その揺れを漣司は見逃さない。
「俺たちがもたらすのは支配じゃない。――選択肢だ」
沈黙が、麦畑よりも深く広がる。やがて老人は、ぐっと杖を突き、視線をそらした。
「……話くらいは、聞いてやる。集会所に来い。村の者も集める」
その言葉は、頑なに閉ざされていた村の門が、きしみながら開いた瞬間だった。漣司は軽く頭を下げ、一行は村へと足を踏み入れる。
――農村攻略戦、その第一歩が刻まれた。
◇
集会所には村の長老たちが並び、壁際には不安そうな農民たちが立っていた。空気は、刀の刃の上に立つほど張り詰めている。
「ギルドとの契約を破れば、我らは種子も肥料も失う。商会とやらにそれを補えるのか?」
長老の問いに、漣司は即座に答えた。
「できる。すでに独自の流通網を構築している。倉庫街に市場を持ち、保険で信用を補完している。農産物の価格も、市場より二割高で買い取る」
村人たちがどよめく。だが、長老は首を横に振った。
「言葉は立派だ。だが、そんな美味い話が長く続くものか!」
その瞬間、リュシアが静かに帳簿を広げた。
「こちらが商会の決算書です。税収効果、利益率、在庫推移。全て数字で裏付けされています。……感情ではなく、数字を見て判断してください」
普段数字を扱わぬ村人たちが、思わず息を呑んだ。紙に記された整然とした数字が、未来への道筋を確かに示していた。
◇
だが、村長の顔に浮かぶ皺は深く、頑なさは揺るぎそうに見えなかった。
「だ、だがな……」
老人は震える指で髭を撫で、背後の村人たちをちらりと振り返る。
「わしらは――長い間、ギルドに守られてきたのだ。裏切れば、必ず報復される。あいつらはそういう連中だ。村が……村が焼かれるやもしれん!」
その言葉は恐怖そのものだった。火の匂い。悲鳴。焼け落ちる家々――村人たちの脳裏に染み付いた過去が、沈黙を深くする。集会所は汗と不安の匂いで満ち、誰もが息を潜めた。
沈黙。重苦しい空気が集会所を包む。その時、ガロウが椅子から立ちあがり、空気が弾けた。
「テメェらが守りたいもんはなんだァ?」
彼は叫ぶというより、魂そのものを投げつけた。肩幅の広い巨体が、まるで焔を背負ったように立ち上がる。
「伝統か? それとも、腹の足しかァ!? どっちなんだヨォ!!」
怒号が雷みたいに響く。次の瞬間、彼は手にしていた斧を床へ――容赦なく振り下ろした。
ガァンッ!!
石畳が砕け、破片が跳ね、農民たちが思わず悲鳴を上げる。だが、ガロウの目は怒ってはいたが、暴れているのではなかった。その瞳は真剣で、真っすぐで、誰よりも彼らの暮らしを見ていた。
「社長は言ってんダ!」
ガロウは胸を拳で叩きつけた。
「守るってよォ! 力じゃねェ、血の誓いでもねェ! 紙と数字で――契約で、ナ!!」
言葉を吐くたび、彼の喉が震えていた。怒りではなく、不器用なほどの誠意で。
「アンタらがどれだけ汗流してんのカ、俺らは知ってル! 重い土を耕して、腰ぁぶっ壊して、それでもギルドに搾り取られテ、それが当たり前みてェなツラすんのを見てらんねェだけダ!!」
拳を握り締め、歯をギリッと噛みしめる。
「信じられねェなラ、それでいイ!ずっと搾り取られてナ!」
吐き捨てるような言葉なのに、ガロウの声は震えていた。
「だが――変わりてェって思ってんならヨ。」
彼は村人たちひとりひとりの目を見る。
「俺らはその手を掴ム! 絶対に離さねェ!!」
村人たちの胸に、鈍い石の塊みたいに詰まっていた恐怖が、少しずつ揺れ出した。粗暴で、怖くて、だけど――。ガロウの言葉だけは嘘じゃない、と誰もが直感した。重く沈んでいた空気に、初めて熱が混じった。その荒々しさに、かえって農民たちの胸が揺れた。
◇
静寂を破ったのは、一人の若い農夫だった。
「……俺はやる」
村人たちが振り返る。真っ直ぐに漣司を見据え、拳を握っていた。
「ギルドに従っても、村の子ども達に腹いっぱい食わせられない。だったら変わるしかないだろ!」
その言葉が火種となり、村人たちの中から次々に声が上がった。
「俺もだ!」
「二階堂商会と契約したい!」
「ギルドに搾られるのはもう嫌だ!」
長老たちは動揺した。村長の顔は青ざめていた。漣司はゆっくりと立ち上がり、宣言した。
「農村は企業と同じだ。守りに入れば衰退し、攻めれば成長する。俺は合理的な未来を提示する。それを選ぶのは――あなたたちだ」
◇
翌日、村は二階堂商会との契約に判を押した。干からびた麦袋しか残らなかった倉庫に、すぐさま商会の馬車が入り、銀貨と新しい流通の仕組みが流れ込む。村人たちの顔には、長く忘れていた「明日」という言葉の重みが、ゆっくり戻りつつあった。契約書に署名した村長は、まだ震えの残る指でそれを撫でながら、かすれた声で言う。
「……ギルドは必ず報復してこよう。わしらは……どうなる?」
不安を濁した空気の中で、漣司だけが静かだった。炎に耐える鉄のように、どこまでも冷静で――しかし芯は熱い。
「報復は必ず来る」
漣司はそれを恐れでも虚勢でもなく、事実として受け止める口調で続けた。
「だが、来るなら望むところだ。その瞬間こそ――我々武装法人の存在理由が証明される」
畑の中央に新しく掲げられた旗が、風を受けてひるがえる。剣と天秤――武力と契約、力と理を両立する者だけが掲げられる紋章。ギルドの支配に縛られた大地に、初めて異なる影が落ちた。それは反逆の印でも、破壊の前触れでもない。ただ静かに、しかし確かに世界を変えていく――新時代の風そのものだった。
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