第149章 静かな開店 ― 商いの第一歩
港町セレヴァリアの陽光が、二階堂商会の新店舗を照らしていた。
木製の看板には新たに刻まれた二階堂商会の紋章――剣と秤。風に揺れるその姿は、まるでこの街での再出発を告げているようだった。漣司は店の前に立ち、ゆっくりと仲間たちを見回す。リュシアは帳簿を抱え、ルーチェは整然と商品を魔法で浮かせて並べ、ロイは店先を丁寧に掃き清めていた。
その姿を確認すると、漣司は短く告げる。
「――ここからは商売の正攻法でやる。営業開始だ」
その言葉に、皆の背筋が伸びる。だが、これがセレヴァリアでの第一歩――地道で、忍耐を要する戦いの始まりでもあった。
◇
そして、数日後。
ミナは店の奥でほおづえをついていた。頬に手を当て、テーブルの上の木彫りの置物を指でつんつんと突く。
「……ヒマー!」
店内には香草の香りが漂い、窓の外には活気ある商人たちが通りを行き交う。
しかし、二階堂商会の店内には客の姿がない。開店してまだ日が浅いとはいえ、貿易都市の中心にある店としては、驚くほど静まり返っていた。
「せっかく、貿易都市に来たのにさ~」
ぶつぶつ不満を口にしながら、ぽつりと呟いた。
「社長が正攻法でやるとか仰々しいこと言ってたくせに、やることは地味ー!」
ぶーぶーと文句を言いながら、ミナは机に突っ伏す。隣で帳簿を整理していた二階堂商会の若い女性社員が、苦笑しながら答えた。
「しょうがないですよ。今日はミナ様が当番なんですから」
「だからって、こんなに暇なのは初めてよ。港町に来たんだから、もっとドッとお客さんが来てもいいと思わない?」
「最初の数日は、どこの商会さんもこんな感じですよ。みんな様子見なんです」
「ふーん……。でも様子見される側って、退屈なのよねぇ~」
ミナは椅子の背もたれにぐてっと体を預け、両手をぶらぶらさせた。
「お菓子でも置けば、お客さん寄ってくるかな?」
隣で帳簿を整理していた女性社員が、苦笑しながら答える。
「それ、子どもは来るかもしれませんけど……」
「じゃあ、大人も釣れるお菓子にする!お酒入りとか!チョコに魔法を仕込むとか!」
「ミナ様……それはそれで問題ですよ!」
ミナはふん、と肩をがくりと落とし、また机に突っ伏す。
カラン。
二人のやり取りが静かな店内にこだまし、外を吹く潮風がドアベルを鳴らした――。
ミナが顔を上げると、一人の女性客が店に入ってきた。上品な布のドレスに身を包み、港の光を背にしている。
「いらっしゃいませ!」
と、ミナが慌てて立ち上がる。客は店内を一巡し、棚の上のラクリア産の工芸品に目を留めた。
それは、水晶と魔導金属を合わせた透彫細工――光の角度によって、虹のように輝く。
「……綺麗ね」
その一言とともに、彼女は品を手に取り、笑顔で言った。
「これ、いただくわ」
ミナの目が一瞬きらりと光った。
「まいどあり~!」
それが――セレヴァリアでの、二階堂商会最初の売上だった。
◇
さらに数日が経った。
初めての客が噂を広めたのか、徐々に人が集まり始めた。ラクリア製品の緻密な造形、そしてオルテリア産の魔石装飾の珍しさ。精緻な技術を集めた商会として、二階堂商会の名が少しずつ街に浸透していく。
開店から一週間後、役員会議が開かれた。店の奥、木のテーブルを囲んで皆が集まる。
リュシアが帳簿を広げ、報告を始めた。
「売上の推移を確認しました。大規模ではありませんが、日ごとの来店者数は着実に増加しています」
ロイが頷きながら補足する。
「商品の評判は上々です。特にオルテリア製品の精密さは芸術品として見られているようですね」
漣司は静かに聞きながら、短く言った。
「よくやった。まずは順調な滑り出しだ」
その言葉に、ミナが口を尖らせる。
「でもねぇ、退屈よ。暇な時間の方が長いし~」
「商売は地道なものだ」
「派手なことをすれば信用を失います」
リュシアが即答する。
「わかってるけどさ~……」
ミナは椅子の背で身体を揺らしながら、言葉を引き延ばす。深く考えていないときの、あの癖だ。
「……ねぇ、せっかくだからさ。今までの展開みたいに、ほら――」
場の空気を軽くしたいときの、半分冗談の前振り。
「アビスマーケットの撲滅とか、やってみない?」
その瞬間、空気が張りつめた。軽い調子の提案だった。いつもなら、漣司が苦笑して受け流す――その類の冗談のはずだった。
漣司の視線が、ゆっくりと持ち上がる。逃げ場を残さない、一直線の視線だった。軽口を受け止める目ではない。判断を下す者の目だ。
「ミナ――」
名を呼んだだけ。怒鳴っていない。声は抑えられていた。感情を叩きつける叱責ではない。
――判断を下す側の声だった。
「……お前は、あの市場の危険を知っているはずだ」
個人の好奇心や、場の勢いで踏み込める場所ではない。そこに踏み入るという選択が、商会全体にどれだけの代償を強いるか。それを理解した者だけが出せる、重さ。
「軽々しく踏み込む場所じゃない。あそこに正義は通用しない」
低く、噛みしめるように告げる。反論の余地を削るための言葉ではない。事実を、事実として置く声だった。
「――前にも、言った筈だ」
ミナの表情が、はっきりと変わる。口を開きかけて、言葉が出てこない。冗談で返せる空気ではないと、即座に理解したのだ。漣司の言葉には、怒りではなく本気が滲んでいた。
「……はい。ごめんなさい」
彼女がうつむくと、漣司は深く息を吐き、会議を進めた。小さく、短い謝罪。いつものふてくされた調子は、そこにはなかった。漣司は、それ以上追及しなかった。ただ一度、深く息を吐く。怒りを鎮めるためではない。背負う覚悟を、ひとりで引き取るような呼吸だった。
「店の拡張は焦らない。今は、地盤を固めることに専念する」
決定事項として、静かに告げる。
「……本日はここまでだ。解散」
◇
夕暮れ。
ミナは倉庫の裏で、木箱に腰かけていた。潮風が吹き抜け、遠くでカモメの声が重なる。波の匂いと、港の終業を告げるざわめきが、ゆっくりと夜へ溶けていく。
そこへ、ロイが静かに歩み寄った。
「……社長は、少し言い過ぎたかもしれないけど」
ミナは、視線を落としたまま苦笑する。
「わかってる。心配してくれたんでしょ? でもさ、言い方が堅いんだよねぇ」
「社長なりの優しさだよ」
ロイは否定も同調もせず、穏やかに続ける。
「ミナの無鉄砲さを、誰よりも理解してるからこそ、厳しく言ったんだと思う」
ミナは返事をせず、空を見上げた。港の灯りがひとつ、またひとつと点り、夕陽が海の縁に沈んでいく。
「……ほんと、あの人って真面目よね」
「うん。どんな状況でも冷静だし、判断が早いよな」
「だから怖いんだよ」
ミナは小さく笑う。
「ああ言われると、ぐうの音も出ないんだもん」
「でも、それだけ本気なんだと思う」
ロイの声は低く、落ち着いていた。
「社長はいつも、みんなのことを考えてるから」
ミナは息をひとつ、ゆっくり吐いた。
「……完璧すぎて、近づきづらいけどね」
「完璧じゃないさ」
ロイは首を振る。
「背負うものが多いだけだよ。だから慎重になるんだ」
ロイの声は穏やかで、静かな優しさを帯びていた。ミナはわざとらしく肩の力を抜き、軽く笑った。
「……なら、私がちょっとくらい騒いでも、許されるかな」
「まあ、ほどほどにな」
ロイは苦笑する。
「あんまり心配かけるなよ」
「ふふっ、努力してみるわ」
ミナはしばらく黙っていたが、やがて木箱から腰を上げた。
「よーし。じゃ、明日も頑張ろっかな」
振り返って、明るく言う。
「今度はちゃんと、笑顔で売るの!」
ロイは頷き、穏やかに答えた。
「それが一番良いな」
潮風が二人の間を抜け、店の看板が小さく揺れる。セレヴァリアの夜は、静かに深まっていった。
――静かな商いの始まり。
その裏で、確かに、新しい風が吹き始めていた。
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