第148章 青の守護者 ― 秩序の剣
昼下がりの港町セレヴァリアは、潮と鉄と香辛料の匂いが入り混じる独特の熱気に包まれていた。
港から伸びる商業通りの一角、武装法人二階堂商会の面々は、新店舗の準備に追われている。木箱が積まれ、麻袋が開かれ、天幕の支柱が立てられていく。ラクリア製の金属工具、オルテリア産の魔石、そして二階堂商会特製の看板――ひとつひとつに、彼らの歩んできた軌跡が詰まっていた。リュシアは帳簿を小脇に抱え、帳面を繰りながら声を飛ばす。
「ロイ、荷の検品は済みましたか? 不良があればすぐ報告を」
「はい、副社長。金具の歪みも見当たりません」
隣でガロウが鉄骨を担ぎ上げながら鼻を鳴らす。
「こんぐらいの支柱なラ、オレひとりで十分ダ!」
だがミナがすかさず口を挟む。
「はいはい、あんたが壊したら意味ないから慎重にね!」
「壊さねェヨ!」
「信用ないのよ~ガロウってば!」
現場には笑い声がこだまし、港風がその明るさを運んでいった。
――その空気を、異質な音が切り裂いた。
◇
カツ、カツ、カツ――。
重く、規律を刻む靴音が、港町の喧騒を切り裂いた。背筋に、思わず力が入る緊張が走る。
通りの向こう、深紺の制服に身を包んだ一団が、まるで軍隊の行進のように歩いてくる。
肩章には銀糸の刺繍、胸には七芒星と犬の紋章。長靴は鏡のように磨かれ、動きには一切の乱れがない。整列は完璧で、通り全体に圧力が漂った。
その集団は店舗の前に立ち止まり、先頭の女性が一歩前に出る。青銀色の髪は後ろできっちり束ねられ、肩から背中にかけて滑らかに流れる。制帽の下から覗く瞳は氷のように冷たく、見る者の心を無言で貫く。肩幅のあるまっすぐな立ち姿は生真面目そのもので、微塵も隙を見せない。
制服の細部も厳格だ。深紺のジャケットは胸元でぴたりと閉じられ、袖口と肩章には銀糸の装飾。腰には整備されたサーベルが下がり、戦闘に備えた完璧な準備を物語っている。
「――新参者か?」
その声は低く、だが圧倒的な支配力を持っていた。瞬間、ガロウが反射的に身を乗り出す。
「あァ? なんだテメ――」
ロイがすぐにその腕を掴み、制した。
「ガロウ、落ち着け」
彼は柔らかな笑みを浮かべ、代わりに前へ出る。
「失礼いたしました。私ども、武装法人二階堂商会と申します。この度、ラクリア製品およびオルテリア製品の販売を予定しております」
人当たりの良い声が、張り詰めた空気をわずかに和らげた。しかし、彼女らは微動だにしない。冷たい視線を向けたまま、淡々と質問が飛ぶ。
「営業許可証は提出しているか?代表者は誰だ?」
威圧というより、徹底した職務の声だった。そのやり取りに、奥から騒ぎを聞きつけた漣司が現れる。外套を整え、整然と歩み出る。
「――代表者なら、ここにいる」
堂々たる姿に、港の風がひときわ強く吹き抜けた。
「武装法人二階堂商会 代表取締役、二階堂漣司です。営業許可証は先日、商業連盟の窓口へ提出済みです。……ところで、あなた方達は?」
その物腰は穏やかだが、芯は硬い。彼の瞳には、相手の真意を探る鋭さが宿っていた。
一瞬、空気が止まった。
やがて、先頭の女性はわずかに頷き、帽子のつばを押さえる。
「そうか。名乗りがまだだったな。失礼した」
凛とした声。
「我ら、セレヴァリア海上警備団〈ブルーハウンド〉。第7地区守護長――リゼ・ヴァン=グレイスである」
彼女の名を告げると同時に、背後の隊員たちが一斉に直立した。その整列動作は芸術的で、地面にまで威圧の波が走る。
「この地区の治安維持を担当している。――禁制品、闇取引、港湾法違反。いずれも粛清対象だ。心得ておけ」
その言葉に、威嚇の色はない。ただ、絶対の信念だけがあった。漣司は表情を崩さず、静かに頷いた。
「承知しました。私どもは正規の商業登録のもと、法を順守いたします。もしご指導を仰ぐことがあれば、その際はよろしくお願いいたします」
その返答に、リゼの瞳がわずかに細められる。彼女は数秒、漣司を見据え――やがて、帽子のつばを指先で叩いた。
「ならば良い。――治安を乱すな」
くるりと踵を返す。
深紺のコートが翻り、陽光を弾く。彼女が通りの角を曲がるまで、誰も息を吐かなかった。
◇
昼下がりのセレヴァリアは、相変わらず活気に満ちている。
荷車が行き交い、商人が声を張り上げ、帆船の影が水面を裂く。だが二階堂商会の面々の胸には、先ほど刻み込まれた規律の足音が、まだ残響のように鳴っていた。
張り詰めた空気を破ったのは、ミナのいつもの調子だった。
「カタそ~……融通きかなそ~……あの雰囲気、リュシアさんそっくりじゃない?」
リュシアの声が氷のように落ちる。
「ミナ、今……何か言いましたか?」
「いえっ! なんでもありませんっ!!」
ミナが慌てて木箱の裏に隠れ、ガロウが笑いをこらえる。ロイは小さくため息をつきながら帳簿を閉じた。
「港の番犬とは聞いていたが、随分と牙が鋭いですね」
「牙というより、律だろう」
漣司が短く答える。
「秩序を守る者に、感情は不要……そういう顔だった」
ガロウが腕を組み、苦笑する。
「あの調子でつっかかってたら、マジでブチ込まれてたかもナ」
「あなたの声の方が治安を乱してますよ」
リュシアが即座に刺す。笑いが起きた。だがその笑いの裏には、誰もが感じていた緊張が残る。ここは、ただの港町ではない。商人たちの欲望と、国家の秩序がせめぎ合う戦場だ。
漣司は空を見上げた。
高い青の下、ブルーハウンドの旗が風にたなびいている。
「……この街のルールを知るには、まず番犬を理解するところからだな」
潮風が吹き抜け、商会の新しい看板の布をはためかせた。その音はまるで、次なる商戦の号砲のように響いていた。
セレヴァリア――秩序と野心が交錯する街。
ブルーハウンド――セレヴァリア海上警備団。
そして、その名を背負う第7地区守護長、リゼ・ヴァン=グレイス。
あの瞳は、敵を探していたのではない。違反を待っていたのでもない。ただ「秩序」を測っていた。
◇
漣司は静かに視線を下ろす。
「ロイ。商業連盟との書面、もう一度確認しておけ。細部までな」
「はい。税率、保管規定、港湾搬入経路も再確認します」
「リュシア、在庫の帳尻は?」
「誤差ゼロです。――ですが、次にあの紺の制服がこの通りを歩く時刻は、把握しておくべきかと」
理知的なやり取りの裏で、ミナが小声で囁く。
「ねえねえ……あの人、絶対夜もあの顔で巡回してるよね。寝るときも規律とか言ってそう」
「言わねェだロ」
「言わないでしょう」
ガロウとロイの同時反応に、場がわずかに和む。だが漣司だけは、笑わなかった。番犬は、ただ噛むためにいるのではない。噛む必要がない状態を保つために存在する。
つまり――。
「この街で商うということは、あの規律の内側に立つということだ」
港の向こうで、深紺の旗が再び揺れた。陽光を受け、七芒星と犬の紋章がきらりと光る。
秩序を盾にする者。
秩序を利用する者。
秩序を壊す者。
三者が交わる街、セレヴァリア。
漣司の瞳が、わずかに細まる。
「理解するだけでは足りない。……使えるものは、使う」
その声音は低く、しかし確信に満ちていた。
遠くで鐘が鳴る。港湾区の時報だ。それは日常の音でありながら、どこか戦場の開始を告げる号令にも似ていた。
看板の布が外される。
《武装法人二階堂商会》
新たな拠点。新たな舞台。そして――新たな駆け引き。
セレヴァリアの青空の下、秩序と野心は、静かに牙を研ぎ始めていた。
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