第145章 セレヴァリア入門 ― 海の市場の鼓動
貿易都市セレヴァリア。
大陸中央から運ばれる一級品を求め、商人と冒険者が絶えず流れ込む―バルメリアの遥か南東、紺碧の海と接する活気の街。
朝焼けが港を染め上げていた。
潮風は濃く、胸いっぱいに吸い込めば、喉の奥に塩の刺激が残る。丘を下りきった二階堂商会の馬車隊は、ついに海沿いの街路へと踏み入れた。
――セレヴァリア。
オランティア地方最大の貿易都市。海へと張り出す三つの桟橋を核に、街路は外へ外へと渦を描くように伸びている。夜明けとともに交易船の帆は畳まれ、港はすでに次の顔を見せ始めていた。
朝の市場の胎動。露店の呼び声が重なり、香辛料の匂いが鼻を刺し、金属を打つ音が乾いた響きを刻む。笑い声、値切りの怒声、異国の言葉――それらすべてが混ざり合い、街そのものが大きく息をしているかのようだった。
「すっごい……!」
ミナが、思わず声を漏らす。
見渡す限りの通りに並ぶのは、果実、布、宝飾、魚介、薬草、書物。荷車が縦横に行き交い、通訳が身振り手振りで言葉を繋ぎ、金貨が触れ合う澄んだ音が、市場のがリズムを作っていた。
「交易船、ざっと見て百隻以上はありますね」
リシュアが記録板に目を走らせる。
「この規模で日常運転……さすが、海の玄関口です」
ロイが静かに頷いた。
「陸の商会の動きとは、まるで別の生き物ですね」
流れも速度も、価値の生まれ方すら違う。その差を、彼は一目で理解していた。
ルーチェは、ただ圧倒されたように目を見開いている。
「まるで人が光を織っておるようじゃ……見事でござる」
肩のテリアが小さく鳴き、空へ向かって翼を広げる。陽光が鱗に反射し、七色の輝きが通りの石畳に散った。
「目立つぞ、ルーチェ」
漣司が、ルーチェの肩――正確には、そこに乗ったテリアへ向けて、苦笑混じりに言った。
「キュル……」
まるで自覚があるように、テリアは控えめに羽をたたんだ。
◇
港の通りを進むほどに、街の熱は増していった。
異国の言葉が交錯し、見慣れぬ衣装が行き交い、肌の色も髪の色も混ざり合う。色と音が幾重にも重なり、セレヴァリアという都市そのものが渦を巻いているかのようだった。
漣司は歩みを止め、広場を見渡す。
「……これは、数字では測れんな」
視界に映るのは、人の流れ、貨の流れ、そして感情の流れ。どれも帳簿には載らない。リシュアが隣で頷く。
「この規模なら、既存商会同士の競争も熾烈でしょうね」
ロイは手帳に走り書きをしながら、低く呟いた。
「治安維持だけでも、一つの産業になりそうです」
その冷静な分析の裏で、街の喧騒は止まらない。
――その中で。
「……なんか、懐かしいかも」
ミナの声は、あまりにも小さかった。放っておけば、人のざわめきに溶けて消えてしまいそうなほどに。
「懐かしい?」
ロイが振り向く。
ミナは、わずかに視線を逸らし、片眉を上げた。唇の端だけで笑う。
「うん。なんかね……覚えてるわけじゃないんだけど」
軽く息を吐き、指先で自分の髪先をくるりと弄ぶ。照れ隠しのような、癖のような仕草だった。視線が、行き交う人波の向こうを彷徨う。
「ここ、見たことある気がするの」
一瞬、空気が変わった。全員の視線が、自然とミナに集まる。ミナは空を見上げ、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「ちっちゃいころさ。物心ついたくらいの頃にね――」
朝の光が、彼女の髪を淡く照らす。
「あたし、大陸中央からここに連れてこられたんだって。セレヴァリア経由で、カストリアに渡ったらしいんだけど……」
そこで、ほんの一瞬だけ言葉が詰まる。
「すぐに、親は亡くなっちゃってさ。気づいたら……盗賊やってた」
ルーチェの眉が、そっと下がった。
「そうであったか……」
ロイは手帳を閉じ、リシュアは小さく唇を噛む。誰もが、次の言葉を探して沈黙した。その空気を破ったのは、ミナだった。
「ちょっと、そんな顔しないでよ」
苦笑しながら、軽く手を振る。
「もう昔の話だって。今はちゃんと――二階堂商会のミナなんだから!」
無理に明るくした声。けれど、その響きは確かに、今の彼女の居場所を示していた。
◇
重くなりかけた空気を察してか、ミナがぱっと顔を上げ、勢いよく話題を投げた。
「しゃちょー! この街も、買収しちゃうの~?」
その一言で、周囲の沈黙がふっとほどけた。漣司は小さく笑って首を振る。
「買収は、そう簡単なものじゃない」
軽く言い切るが、その声音には経験が滲んでいる。
「今まで街ごと取り込めたのは、奇跡に近い」
「え、そうなの?」
ミナが目を丸くする。漣司は視線を港の向こうへ投げた。
「オルテリア、ラクリア、バルメリア。どれも事情が噛み合った結果だ」
指折り数えるように、淡々と続ける。
「資源の枯渇。政の腐敗。そして――信用の崩壊」
一つひとつが、街の致命傷だった。
「それらが、商会に入る理由を作っていた」
リュシアが補足する。
「ですがセレヴァリアは違います。港湾連盟、商人組合、輸送協定……三重の統治構造。一産業を動かすだけでも莫大な資金と時間が要ります」
ミナは頬を膨らませる。
「なんだ~。じゃ、何するの?」
「まずは立つことからだ」
漣司が視線を遠くにやる。港の向こうでは、荷降ろしを終えた商船が一斉に帆をたたみ、朝日を反射していた。
「この都市は巨大な海だ。泳ぎきるのではなく、まず足をつける。――末席でいい、正攻法で入る」
その言葉に、リュシアの瞳が光った。
「つまり、陸で通じた常識を、そのまま持ち込むわけにはいかない。この港町の商いの流れに、こちらが合わせる――ということですね」
「そうだ。法と数字は共通言語だ。だが、ここでは潮の流れを読めない者は沈む」
ルーチェが頷き、杖を胸の前で握る。
「ならば、我らも潮の灯を学ぶ時でござるな」
「学ぶだけで済めばいいけどね~!」
その横顔を見て、ミナがにやりと笑った。
「うんうん。読めないと――また落ちるもんね。水の中に」
「……あれは、不慮の事故でござる」
「はいはい。事故、事故」
軽い笑いが起きる中、ミナは両手を軽く広げ、にっこりと笑った。
「きっとまた、面倒なのがいっぱいいるんだろうなぁ~!」
ガロウは鼻で笑い、分厚い肩をゆっくり回した。鎧の継ぎ目が、低く金属音を立てる。
「面倒な奴がいたラ、殴る準備は出来ていル」
「セレヴァリア海上警備隊に捕まるぞ!」
ロイの制止に、さらに笑いが起こる。
◇
朝陽が完全に昇った。
港の上空にはカモメの群れが舞い、波止場には船員と商人たちの掛け声が重なり合う。人の流れ、荷の流れ、金の流れ。それらすべてが、一つの都市の鼓動を形作っていた。漣司は静かにその光景を見渡し、口の中で小さく呟いた。
「ここが……次の舞台か」
風が彼の外套を揺らす。テリアが小さく鳴き、朝の光を受けて羽を震わせた。
――武装法人二階堂商会、セレヴァリア上陸。
数字と剣が、再び新たな市場へと歩みを始める。
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