第14章 寝返りの杯 ― 接待は戦場
夜の倉庫街は、いつもなら潮風と油の匂いが漂うだけの無口な一角だ。
だが今夜だけは――その静寂を破る蠢く熱狂があった。
重厚な鉄扉の隙間から漏れる光と、耳慣れぬ嬌声と、野太い雄叫び。誰が見ても明らかだろう。
二階堂商会、前代未聞の奇策――「キャバクラ接待大作戦」
その幕が、狂気と笑いに彩られて静かに上がっていた。
倉庫内部は、急ごしらえとは思えない豪奢な装飾で埋め尽くされている。
天井に吊るした提灯と色付き布のカーテンが、まるで異世界の夜祭を思わせた。
どこで拾ってきたのか謎のソファはふかふかで、木箱を並べて急造したカウンターは職人の器用さが光る。そして会場の真ん中では、樽酒やワイン瓶がピラミッド状に積み上げられ、明らかに翌朝には後悔を生みそうな光景が広がっていた。
そんな混沌の中心で――リュシアは圧倒的な存在感を放っていた。
白すぎる肌がライトに照らされて淡く輝き、バニースーツに包まれた身体は、動き一つで硬直してしまうほどぎこちない。頭のうさ耳が申し訳程度に揺れ、尻尾はぴんと張ったまま。トレイを胸元に抱え、無表情のまま客席へ向かう姿は、逆に妙な神々しさを放っていた。
「お……お酒のおかわりです……」
棒読み。いや、処刑文書と言われても通る重さ。
だが、その硬さこそが観客の笑いを引き上げた。
「もっと柔らかく!」
「ほら笑って!殺気消して!笑顔だリュシアさん!」
野次が飛ぶたび、リュシアの瞳が無言で「理解不能」と訴えてくる。
しかし客席の職人たちはその表情さえもツボにハマり、腹を抱えて転げ回った。
ミナは、テーブルにひょいと飛び乗ると、スポットライトを浴びた歌姫のように腕を広げた。
「はいはい!もっと飲めー!今夜は全部出してけー! 金貨でも銀貨でも、財布ごと置いてけー!」
「ぎゃははは! 本当に言いやがった!小悪魔すぎんだろ!」
「このガキ……天性の接客力じゃねぇか!」
そして――別次元の存在感を放つは、当然あの男だった。
ガロウ。
巨大な獣人、筋肉の塊。その男が上半身裸に蝶ネクタイ、腰にはタイトな黒ズボンという理解不能な姿で、舞台中央を占領していた。獣人という種族の威圧感など、彼の前では飾りに等しい。ある意味で、人間よりも人間味のある男だった。
「歌えッ! 踊れッ! 飲めーーッ!!今夜だけの、狂気の宴だぁぁァ!」
雄叫びとともに、腰を――むやみに――全力で振る。
観客の一人がワインを噴き出し、別の一人が椅子からひっくり返った。
「やめろ!! 怖いんだよ!!」
「でも……なんか酒うめぇ!!」
ミナが呟くように笑う。
「ね? いい感じに壊れてきたでしょ、この人たち」
リュシアは遠巻きにその地獄絵図を見守りながら、そっとトレイを抱き締めた。
「……二階堂商会は……どこへ向かっているんでしょう」
その呟きは、熱狂の渦にかき消された。
倉庫を満たすのは叫び、笑い、酒、そして不可解な熱量。
まるで血を流さない戦場のように、誰もが一度入れば正気を置き忘れる。
――そして、この狂宴こそ、恐怖と快楽が入り混じる前代未聞の接待空間だった。
◇
狂気の夜宴のただ中――
最も重たい腰を据えていたのは、他でもないギルド幹部の初老の商人グラフトだった。
つい数日前まで、
「二階堂商会など野盗と同じだ! 潰してしまえ!」
と怒号を飛ばし、血管を浮かべていたその男が、今は、バニー姿のリュシアに酒を注がれ、ミナに太ももへちょこんと腰を掛けられ、ガロウの上半身裸ダンスの余波を全力で浴び、
――頬は真っ赤、目は迷子、心は迷走の果てへ。
「な、なぜだ……。なぜ私は……こんなに心が揺れている……?」
震える声は、まるで己が知らぬ己に怯える老人のそれだった。
リュシアは無表情でグラスを差し出しながら、うさ耳をわずかに揺らす。
その無機質とも言える麗しさが、逆にグラフトの理性を削り取っていく。
「ど……どうしてバニー姿でそんな冷たい目ができるんだ……?」
「分かりません。職務ですので」
職務。その淡々とした言葉が、なぜか胸に刺さる。
ミナはそんな彼を見下ろし、まるで子どもが新しい玩具を見つけたような笑顔で肩を叩いた。
「ほらほら、もっと飲めよーおっちゃん! あたしが座ってるだけで元取れるんだぞ、幸せ者だなぁ!」
「お、押しが強い……! だが嫌ではない……ぬぬ?」
そんな混乱の渦のなか、ひときわ落ち着いた漣司が席へ歩み寄る。
彼の影は灯火に照らされて長く伸び、その姿だけが異様な静けさを纏っていた。
「おい、グラフト」
差し出された杯には、ただの酒ではなく――
二階堂商会という生き方そのものが注がれているようだった。
夜の炎に照らされ、彼の影だけが異様に大きく伸びる。
「俺たちは敵を力でねじ伏せるだけじゃない。酒を酌み交わし、利益を分け合う。
……これが武装法人のやり方だ」
漣司の声は、耳ではなく胸の奥に響いた。グラフトの喉が、乾いた音を立てて上下する。
「私を誘っているのか……?し、しかし……ギルドに逆らえば……」
そこへ、バニー姿のまま、冷ややかに笑むリュシア。
「ギルドに従えば、取り分は削られ続け、仕事量は増え、責任だけが積もるだけです。
あなたは数字を読める人でしょう。どちらが得か……分かっていますよね?」
その一刺しで、グラフトの肩が震えた。すかさずミナが追撃する。
「こっち来なよ! うまい酒あるし、飯もうまいし、あたしの歌もつける!ね?
悪い話じゃないでしょ?」
ガロウが胸を叩く音が、雷鳴のように響いた。
「裏切り者に退職金は出ねェ!!だが社員になれば――家族ごと全力で守ってやル!!!誓ッてナ!!!」
その力強さは、脅しでも虚勢でもなかった。ただの、筋肉と魂の本音だった。
「……こ、これは……いかん。いかんのだ……!だが……だが……っ」
心が、ぶらり、と。大黒柱が倒れるように音を立てて――。
グラフトの表情に、長年頑固だった石壁がひび割れる音が、確かにあった。
「……わかった」
しばしの沈黙の後、グラフトは静かに目を伏せた。
指先で杯の縁をなぞり、やがて、決意を固めたように顔を上げる。
「私も二階堂商会に加わろう。利益と未来があるのは……ここだ」
その一言が落ちた瞬間。グラフトの胸の内で、何かが軋む音を立てて傾いた。
長年、計算と疑念で塗り固めてきた天秤が――
ついに、片側へと大きく振り切れる。
深く、肺の底まで沈み込むような吐息を一つ。
それから彼は、覚悟を込めて杯を掲げた。
対する漣司は、すでにその結末を知っていたかのように、わずかに口角を上げる。
ためらいなく杯を取り、軽く打ち合わせた。澄んだ音が、室内に響く。
「歓迎する」
漣司の声は低く、だが確かな力を帯びていた。
「今日からお前は――渉外部長だ」
「政治、ギルド、利権、裏取引……」
「その全部を、俺に教えろ。隠し事はなしだ」
その言葉が契約条項の最終行であるかのように、
次の瞬間――
グラフトの視界が、白く弾けた。
現実とは異なる階層で、冷たい光が走る。
理性に直接刻み込まれるような、無機質で明瞭な感覚。
――《買収スキル、発動》
――《対象:ギルド幹部 グラフト》
――《条件合意、契約成立》
光の文字列が次々と展開し、最後に強く収束する。
――《買収完了。ギルド幹部グラフトを二階堂商会・渉外部門に登録》
閃光が消えたとき、グラフトの中で所属という概念が、静かに書き換えられていた。
もはや彼は、外部の協力者ではない。利害で繋がる同盟者ですらない。
――大きな歯車だ。
二階堂商会という巨大な機構に、新たな一枚が、確かな音を立てて組み込まれた。
漣司は杯を置き、淡々と告げる。
「これでいい。回り始めた以上、止まる選択肢はない」
グラフトは短く笑い、目を伏せた。
「……恐ろしい男だ。だが――嫌いじゃない」
商会は、また一段、深く、強くなった。
◇
宴は、もはや宴のカテゴリでは収まらなかった。
狂気と笑いと金の匂いが渦巻く、旋風のような接待戦場である。
グラフトはもはや完全に別人になった。
普段は皺の奥に慎重さと疑いを潜ませていた男が、今は椅子の上で足をバタつかせながらミナと手をつなぎ――
「み、ミナちゃんの歌に合わせて……お、おおおどるぞォッ!!」
――と意味不明な雄叫びを上げていた。
ミナはそんな老人を完璧にあしらい、笑顔でぐるぐる回しながら叫ぶ。
「もっと声出せー! 飲んだら踊れー!」
「踊るッ!! 私が踊るぞーーッ!!」
その横で、リュシアはバニースーツの胸元を気にしながら、顔を真っ赤に染めて接客を続けていた。
「……社長の命令だから……仕方なく……」
そう呟きながらも、彼女の一挙一動は場のテンションを着実に上げていく。
ガロウは相変わらず半裸でテーブルの上を闊歩しながら、
「オレはァ! 今日だけはァ!!正式にィ!!ホストだゼェェェ!!」
と絶叫。客たちは涙を流して笑っていた。
倉庫の天井に吊るされた燭台の炎が揺れ、影が踊り、金貨のように煌めく光が会場を包み込む。
漣司はその中心で杯を掲げ、満足げに口角を上げた。
「経営は戦争だ。だが時に、酒と笑いも武器になる。
今夜の勝利は剣でも手形でもなく――接待の力だ!」
天井から吊るされた「剣と天秤」の紋章が炎に照らされ、倉庫は熱狂の渦に沈んでいった。
その夜の接待は、翌日には街全体の噂になった。
「あのグラフトが二階堂寄りになったらしい」
「商人が数人、心変わりしたそうだ」
「ギルドの支配が揺らいでいる」
一人の幹部が寝返り、数人の商人が心を揺らした。ギルドにとっては小さな亀裂かもしれない。
だが漣司にとっては、それが巨大な買収劇の始まりであることを確信させるものだった。
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