第138章 別れの朝 ― 新たなる風へ
三日後の朝。
バルメリアの東門には、いつになく人の波ができていた。朝靄を裂いて昇る陽が、街を黄金に染めていく。二階堂商会の旗が風をはらみ、まるで次の旅をせき立てるようだった。
「やっぱり人が多いわね……」
ミナが呟く。
「この調子だと、バルメリアで商会パレードでも開けそうでござるな」
ルーチェが苦笑する。肩の上では、ホーリードラゴンのテリアが小さく鳴いた。金色の翼が朝日を反射し、人々の歓声がひときわ高まる。
◇
「監査役、バルメリアの帳簿はすべて再点検しておいてください。――甘い処理は一行も許しません。」
出発前、リシュアは市庁舎前で、現地の監査役を相手に冷ややかに釘を刺していた。監査役は脂汗をかきながら、ただただ頷くばかり。
「ま、まことに心得ております、副社長殿……!」
後ろで見ていたミナが小声で笑う。
「さすが氷の副社長、朝から容赦なし~」
ルーチェが肩をすくめる。
「数字の魔法は、炎より恐ろしいでござるな……」
監査役の背中が、またひとつ小さく震えた。
◇
一方その頃――。
兵舎前では、ガロウが十数人の兵士たちに囲まれていた。
「隊長! 本当に行っちまうんですか!?」
「もう一度飲みに行くって言ってたじゃないですか!」
「泣くナ泣くナ! また今度、飲みに来てやル!」
がっしりとした肩を何人もの兵士に叩かれながら、ガロウは豪快に笑った。
「お前ら、しっかり守っとケヨ! 街は任せタ!」
「隊長ぉおお!」
兵士たちの泣き声と笑い声が混ざり合う。ガロウは最後に軽く敬礼を返した。
「……いい兵隊たちだナ。」
その背中に、ミルザが小さく笑みを浮かべた。
◇
中央広場では、ミナがまたしても騒動の中心だった。
「ミナさん! 俺と結婚してくれ!」
「ミナちゃん! うちの酒蔵継いでくれ!」
「ちょ、ちょっと待って! 朝からプロポーズ多すぎっ!」
押し寄せる酒屋の若旦那たちを、彼女は軽くあしらいながら笑う。
「気持ちは嬉しいけどね。うちは自由業なの」
くいっと顎を上げ、ウインク一つ。
「ほら、酒より強い女は扱いが大変よ?」
一瞬の静寂のあと、広場にどっと笑いが広がる。
若旦那たちは赤面しつつも、引き下がる気配はない。
そこへ、通りすがりのロイが足を止めた。
やれやれ、と肩をすくめて、気軽な調子で声をかける。
「はいはい、その辺で。ミナ、朝から張り切りすぎ」
軽く手を振りながら、群衆に向けて続けた。
「これ以上続くと、本当に乱闘になりますから。平和的解散でお願いします」
ミナが振り返り、舌を出す。
「はーい、注意されちゃった。じゃ、続きは今度ね?」
さらに笑いが起き、広場の空気はすっかり和らいだ。
◇
そのロイの足元では、数人の子どもたちが無邪気に手を振っていた。
「ロイ兄ちゃん、また来てねー!」
「今度は魔法教えて!」
「うん、約束だ。だけど……」
ロイはすぐに腰を落とし、膝をついて子どもたちと目線を合わせた。
急がせるでもなく、笑ってごまかすでもない。
「ごはんをしっかり食べて、ちゃんと寝ること」
一人ひとりの顔を見て、ゆっくりと言葉を置く。
「それが一番、強くなれる魔法なんだ」
子どもたちはきょとんとした顔をしてから、次々に笑顔になった。小さな手が伸び、ロイの指をぎゅっと握る。ロイはその手を振りほどかず、ただ静かに受け止める。朝の光が、彼の横顔と穏やかな笑みを包み込んだ。
この街が、彼を信じる理由が、そこにあった。
◇
少し離れた大通りでは、またも人だかりができていた。
中心にいるのは――もちろんルーチェだ。
魔導学院の一団がぐるりと囲み、手にした書類を振り回して叫んでいる。
「ぜひ! ぜひバルメリアにも銅像を!」
「英雄ルーチェの功績を後世に残したいのです!」
「な、なんじゃとぉぉ!? もうオルテリアで十分でござる! やめるでござる!」
ルーチェは全力で後ずさり、ついには踵を返して逃走。しかし学院生たちも負けていない。
「逃げないでください英雄!」
「ポーズは立像で固定しますので!」
「固定するでござるなぁぁぁ!」
頭上ではテリアが「キュルルッ!」と悲鳴を上げ、主人の髪の上でバランスを失い、ぐるぐると右往左往。その滑稽な光景に、市民たちの笑い声がこだました。
ルーチェの叫びが、朝の大通りに虚しく響く。
「英雄扱いは、もう十分でござるぅぅぅ……!」
◇
そして門の前。
荷を整え終えたミルザが、静かに二階堂商会の面々を見つめていた。
「……ここまでだ。短い間だったけど、楽しかったよ」
ミルザが穏やかに言い、荷を背負う。その背中に、ミナが思わず声を上げた。
「えぇ~、もう?早いよ~! 一緒に貿易都市行きたかったのに!」
「はは、ありがと。でも私は群れるのが苦手でね。それに、セレヴァリアの喧騒はちょっと肌に合わなそうだ。」
ガロウが拳を握って前に出る。
「教えてもらっタ、稽古を続けル!」
ミルザは口角を上げて笑った。
「頑張んなよ。続けたら、私より強くなれるかもよ?」
「ホントか!?」
「ま、努力次第だけどね」
漣司が一歩進み出て問う。
「……これからどうするんだ?」
「オランティア大山脈に籠るよ。あの場所で体を鍛え直す」
そう言って、ミルザは遠くを見る。街の向こう――石畳と喧騒の果てに連なる、白く尖った稜線。雲を裂くようにそびえる山々が、陽光を反射して淡く光っていた。
「貿易都市とは反対方向だけど、あっちは風がいいんだ」
冷たく澄んだ風。人の声も、金の匂いも届かない場所。ただ岩と空と、自分の呼吸だけがある世界を思い浮かべるように、ミルザは小さく笑った。
ミナは両手のひらを上に向けて広げ、肩を軽く持ち上げる。ついでに首を横へ振り、呆れたように笑った。
「またまた過酷なところを~。ほんとタフだね!」
「好きでやってることさ」
そう言って、ミルザは軽く手を振る。漣司が短く告げる。
「……達者でな」
ミルザは片手を上げて背を向けた。
「そっちもな。商売も、戦いも、強く生きなよ」
朝日が差し込む。彼女の背中が光に溶けていく。陽光を背に、彼女の姿が山道の向こうへと遠ざかっていった。
――その背中が、後に再び二階堂商会の前に現れることを、誰もまだ知らない。
光の中へ歩み去るその背中を、漣司はしばらく見送っていた。
それが別れなのかどうか。答えを出すには、まだ早すぎる――
そんな気配だけが、朝の空気に残っていた。
◇
「……行こう」
漣司の言葉に、仲間たちが頷いた。門が開き、風が吹き抜ける。
二階堂商会の旗がはためき、陽光を反射する。市民たちの歓声と拍手の中、馬車がゆっくりと動き出した。
「さーて、セレヴァリアだー!」
ミナが陽気に叫ぶ。
「新しい街、新しい商談、新しい酒場!」
「……最後のが本音でござるな」
ルーチェのツッコミに笑いが起きる。ロイが穏やかに呟いた。
「平和な旅になればいいのですが」
ガロウが拳を鳴らす。
「平和でも、戦でも、オレは構わねェ!」
「ええ、あなたはね」
とリシュアがため息をついた。笑い声が重なり、風が街を抜けていく。後ろに遠ざかるバルメリアの白い塔。その先には、まだ見ぬ海と、巨大な貿易都市セレヴァリアが待っていた。
――武装法人二階堂商会、次なる市場へ。彼らの旅は、再び風とともに動き出した。
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