第136章 氷の副社長 ― 炎の説教
午後の陽が傾き、バルメリア商会本部の大扉が開いた。
各役員たちはそれぞれの買い物袋を抱えて戻ってくる。鍛冶通りも光街も、昼の喧噪を終え、夕方の金色に染まっていた。
武装法人二階堂商会――装備一新の一日が、静かに幕を下ろそうとしている。
「ただいま戻りましたー!」
ミナが元気よく扉を開ける。その後ろで、ルーチェはテリアを抱え、満足そうに微笑んでいた。ロイは帳簿を手に、整理された表を確認中。
「ふむ、ほぼ予定どおりの支出ですね。皆さん、よく守りました」
「当然でござる。テリア殿の寝床も上質な布地で……ぬくぬくじゃ」
「キュルル!」(誇らしげなドヤ顔)
「……寝床って、自分のじゃないのね」
とミナが苦笑した。
和やかな空気が流れた――そのとき。
外で、何かが擦れる音がした。
小さい。気に留めるほどではない。だが次の瞬間、重い金属同士がぶつかる、鈍い響きが混じる。
カチャリ。
不吉なほど楽しげな、息遣い。
◇
ガラリ、と派手な音を立てて入口の扉が開いた。
反射的に、全員が目を細める。――眩しい。物理的に。そこに立っていたのは、人ではなかった。金色の塊だった。
「見ロ! すげーだロ!!」
ガロウが満面の笑みで胸を張る。全身は金の縁取りで固められ、肩当てには赤い宝石が燦然と輝き、腰には巨大な獅子の装飾。鎧、というより――移動式財宝展示会。いや、歩く自己主張。光が反射するたび、部屋の照度が一段階上がる。
ミナが口をあんぐりと開ける。
「ちょ、ちょっと、なにその成金コーデ!?」
「成金じゃネェ、強者の輝キ、ダ!」
「どっちでも派手すぎ!」
突っ込みが追いつかない。目が痛い。心も痛い。ロイが、額を押さえながら冷静を装って一歩前に出た。
「……まさか、それ全部自費じゃないですよね?」
「経費ダ!」
「経費!?」
その一言で――空気が、凍った。
――カツ、カツ、カツ。
奥の執務区画から、静かなヒール音。一定の間隔。無駄のない歩幅。その音だけで、誰もが悟る。
来た。
姿を現したのは、リュシアだった。氷の副社長。その異名に一片の誇張もない無表情。だが、眉が――ほんの一ミリだけ動く。それは、火山の前兆だった。
「……ガロウさん?」
声は凪いでいる。だが、温度がない。
「その装備が、どう必要なのか――論理的に、詳しく説明してもらいましょうか?」
ガロウの背中から、汗が滝のように流れ始める。
「え、えっト……そ、そノ……」
「はい」
「……気合イ?」
「気合い、ですか?」
「は、ハイ……そうでス」
「よろしい。では、その気合いとやらがどう経済合理性を持つのか、三百字以内で説明を」
会議室が、完全沈黙。
「ヒィ……」
誰かが、心の中で合掌した。その瞬間、体感温度が十度下がる。
ロイとミナは無意識に背筋を正し、ルーチェは反射的にテリアを毛布で包んだ。守りの姿勢だ。
「……いくらオルテリアのおかげで資金に多少の余裕ができたとはいえ」
リュシアの声が、ひとつ低く沈む。温度が下がったわけではない。逃げ場が消えたのだ。
「無駄遣いを許した覚えはありません」
一語一句、切り分けるように続く。
「武装法人を名乗る以上、装備とは力であると同時に信用です。その鎧を身に着けたまま交渉の席に立ったとき――相手がどう受け取るか、想像できますか?」
視線が、金色の鎧を正面から射抜く。
「……ま、眩しい、ト……」
絞り出したようなガロウの返答。
「違います」
即答だった。間は、与えられない。
「信用を失います」
断言。慈悲、ゼロ。
説教は、指導ではなく処理に変わった。数字。根拠。費用対効果。想定リスク。対外交渉時の印象評価。一つ一つが、逃げ道を潰すための杭として打ち込まれていく。
さらにそこから先は――地獄だった。
数値による支出管理。必要性の基準。ブランド戦略と経費認定の明確な違い。スライドは出ないが、言葉が鋭利すぎる。
途中から、ガロウは自然と正座になり、ミナは「絶対に巻き添えになりたくない」という顔で壁を見つめ、ロイは時計を見ないようにしていた。
――小一時間後。
「……以上です。理解できましたね?」
「は、はイ……。ありがとうございまス」
「よろしい。では、購入店に返却と謝罪を」
「ハ、ハイィ……」
正座のまま立ち上がろうとして、ガロウの膝がぷるぷると震える。その肩に、そっとルーチェが手を置いた。
「よく耐えたでござる。修行より厳しい説教であったな」
「あれは、魔法攻撃より効ク……」
誰も、否定しなかった。
◇
数刻後。
夕方の光が傾き始めた頃、二階堂商会の拠点の扉が、やけに静かに開いた。
入ってきたのは――リュシアとガロウ。
ガロウはすっかりしおれた顔で戻ってきた。つい数時間前までの威勢は、そこにはない。肩は落ち、足取りは重く、ガロウの背中からは「敗北」という文字が見える。金色の鎧はなく、代わりに手には簡素な布袋。中身は――返金書類一式。
武器屋への謝罪。返金交渉。ついでに、店主からの「次からは計画的に」という優しい追撃。すべてを終えてきた顔であった。
だが布袋とは別に、腰元にひとつ。地味だが、よく整えられた装備が追加されているのに、ミナが気づいた。
分厚すぎない革の胴当て。動きを妨げない関節補強。派手さはないが、前線で確実に命を守るためだけに作られた、実用一点張りの装備だ。
「……あれ?」
ミナが首を傾げる。その視線を受けて、リシュアが何事もなかったように口を開いた。
「返品処理のついでに購入しました」
声はいつも通り、冷静そのもの。
「破損率、稼働率、交換コストを考慮すれば、現装備では消耗が早すぎます。最低限の更新は必要でしたので」
淡々とした説明。言葉に、感情は一切混じっていない。
だが。ガロウは、その場で一瞬だけ立ち止まり――何も言わず、深く頭を下げた。
「……ありがとうございまス」
短く、ぎこちない礼。リュシアは、それを正面から受け止めることも、見返すこともしなかった。ただ、歩みを止めずに一言だけ付け加える。
「次は、事前申請を忘れずに」
「……はイ。……二度ト、鎧に宝石は付けねェ……」
「嘘をつくと次は三百字じゃ済みませんからね?」
「誓いまス……」
その背中を見送りながら、ミナは小さく笑った。
(あー……こういうとこ、ずるいんだよなぁ)
厳しい。容赦はない。けれど――切り捨てはしない。
二階堂商会は、そういう場所だった。そしてミナは両手で胸を押さえ、大げさに天を仰ぐ。
「はぁ~……今回、無駄遣いしなくてほんとよかったぁ……!」
心の底からの実感。もし自制が効いていなければ、今ごろ自分も横で正座していた未来が見える。
ガロウはその言葉に、ぐったりとしたまま天井を仰ぐ。その様子を横目に、ミナは小さく笑う。
「奇跡だな」
ロイが、冗談ではなく本気で感心した声を漏らす。
「どうしたんだ? 珍しく節制なんて」
「んー、いろいろ買おうと思ってたんだけどさー」
ミナは肩をすくめ、両手をぱっと広げた。
「なんか、本当にいいものがなかったんだよねー。ピンとくるのが一つも!」
軽い調子。だが、その言葉にははっきりとした違和感が含まれていた。
漣司は腕を組み、窓の外へと視線を向ける。夕陽が石畳を赤く染め、屋根の連なりが朱に沈んでいく。活気ある都市。十分に栄えている。――だが。
「バルメリアは、この地方では十分な規模だが……」
彼の目が鋭く細まる。
「一級品は出回っていない、か」
「そりゃそうだよー」
ミナがくるりと振り返り、親指で街の方角を示した。
「ここ、内陸の経済都市でしょ?流通は強いけど、世界までは届いてない」
肩をすくめて、楽しそうに続ける。
「やっぱりさ――港がある場所には、世界そのものが流れ込んでくるんだよ。海を渡って、国も文化も、ヤバい技術も一緒にね」
そして、にっと笑う。
「ほんとにいいモノが集まるのは――貿易都市だよ」
その一言に、空気が変わった。
――トン。
漣司の指が、机を軽く叩く。音は小さい。だが、合図としては十分だった。
「……貿易都市か」
低く呟かれたその声には、すでに次の取引の匂いが混じっている。
風がカーテンを揺らし、沈みゆく陽光が商会の紋章を照らした。金属の縁が淡く輝き、まるで進むべき方向を示すかのように。
ルーチェの肩で、テリアが小さく鳴く。白い尾が揺れ、光が一筋、宙にほどけた。
――武装法人二階堂商会、次なる市場へ。
数字と剣で世界を切り拓く旅は、まだ序章にすぎない。
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