第135章 帰還の鐘 ― 装備一新の号令
二日目の朝は、澄んでいた。
地平線の彼方から、薄金の光が帯のように伸び、街道を撫でる。リュシアは地図を巻き、工程表を新しい紙に差し替えた。
「本日の目標は、ここまで行く予定です。順調に進めば、バルメリア手前の村くらいまで行けるかと」
彼女が地図の一点を指で叩く。
「水場があり、補給にも適しています。整備隊の拠点も近いので治安も良好です」
漣司はうなずき、馬車の荷台から降りる。
「わかっ……――うっ」
喉奥で、短い息が折れた。胸の下、左の肋のあたりが、針で縫いつけられるように疼く。
ほんの一瞬。だが確かに、意識が白く霞んだ。リュシアが眉を寄せる。
「社長? どうしました?」
「……なんでもない」
漣司はさらりと流した。ロイが傍らに回り込む。
「念のため、背嚢を持ちます。無理は禁物です」
「心配性だな」
「仕事ですので」
淡々としたやり取りに、空気が落ち着きを取り戻す。少し離れたところで、ミルザが口元を手で隠した。目が、焚き火の炭のような色で笑っている。
「社長業ってのも、大変だね」
ルーチェが首を傾げた。
「ミルザ殿、何が面白いのじゃ?」
「内緒」
ミルザは視線だけで、遠い夜のほうを示した。
――昨夜、誰にも知られぬ外輪。
蓮司にも、他の役員にバレぬ様、稽古をつけていたのだ。ミナが大きく伸びをして、空に手を突き上げる。
「よーし! 本日も安全第一、利益第二!」
「順序が逆だ」
「細かいこと言わない!」
「細かくない。数字は世界の言葉だ」
ミナがぷくっと頬をふくらませ、テリアが「キュル」と慰めるように鳴いた。
「ほら見て社長、テリアは味方だよ」
「味方の基準が不明だな」
隊列が動き出す。朝の光はすでに高く、足元に落ちる影は短い。道の両脇では、麦の若葉が風に二度揺れ、三度目にはさざ波のように遠くへ流れていった。進むにつれて、時折、低く這うような魔物が道端に現れるが、ルーチェの杖先の光に気付くと、土の陰に引き返していく。
「治安指数、引き続き良好」
リシュアが簡易帳に走り書きする。
「街道の維持管理に賃金が支払われ、賃金が市場で回る。……良い循環です」
「ザハードの工数、あとで上乗せしておけ」
「承知しました」
昼過ぎ、短い休憩。ガロウは皮の水袋をあおり、うつ伏せになって腕立て伏せを始めた。
「イチ、ニ、サン……。オレ、今日は千回やル」
「言わなくていい。やるだけやればいい」
ミルザは素っ気なく言い、踵で地面を軽く叩いた。
「夜は立禅。逃げる力を止める練習」
「立禅……立ッて、禅か。難しそうだナ」
「これが一番難しい。でもやればものすごく強くなれるよ」
夕映えが近づく。
風は冷え、色は深まり、遠い白塔がわずかに大きくなる。
バルメリアは、まだ遠い。だが、その遠さに、彼らは焦らない。
道を造り、道を行き、道を繋ぐ――それが武装法人二階堂商会のやり方だ。
日が傾き、今日の行軍は切り上げとなった。
火が灯り、簡素な夕食の香りが漂う。ロイが見張りの順を回し、ルーチェはテリアを丸めて外套に包む。ミナは星座を指差し、リシュアは明日の天候を確かめ、帳を閉じる。
その一角から、また短い打突音が三つ、風に紛れて消えた。
誰の記録にも残らない、夜の稽古の音。蓮司の稽古である。
社長は、何事もなかったように朝を迎えるだろう。
――痛みは、明日にはただの疲労の顔をする。
ミルザは火の粉を目で追い、内心だけで笑ってみせた。
星は近く、風は軽い。平原の夜は、彼らの息づかいを、静かに受け止めていた。
◇
夜がほどけ、薄金の朝が平原を洗った。
冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、二階堂商会の隊列は最後の一歩を踏み出す。麦の海を越え、白亜の塔を戴く都市――バルメリアが、ついに目前へと近づいてきた。
石畳が始まる。見張り塔の旗が翻り、門楼の銅鈴が帰還を告げる。
街はもう、彼らの街だった。第七十四章で奪い返し、数字で立て直した自分たちの都市。
門番が敬礼し、商会旗に道を開ける。市場の喧騒、秤の打音、商館の呼び鈴。すべての音が、再び日常の拍子を刻んでいた。
「戻りましたね、社長」
ロイが手綱を引き、御者台からゆるやかに降りる。
「ここからは、報告の山ですよ」
「山は越えるためにある」
漣司は軽く笑い、上衣の埃を払った。
「まずは現場の声だ。書面より速い」
商会本部。
白壁のエントランスに、逗留組の社員たちが一斉に整列した。若い仕入担当から、老練な在庫管理、会計補助、連絡員――緊張と安堵が入り混じる顔。代表して、支部統括の青年が一歩前へ出た。
「ご帰還、お待ちしておりました! 各部よりの速報、要点のみ申し上げます。
一、街路警備:夜間の小競り合い一件、負傷者なし。
二、在庫:魔石・鉄材ともに適正在庫。オルテリア便の到着で来週は余裕見込み。
三、資金繰り:短期回収の入金前倒しに成功。利払い負担、予定より一段軽減。
四、人材:整備班の熟練者二名を確保。ザハード隊と連携可能です」
漣司は端的に頷く。
「概ね良好だ。――次の指示を出す」
彼は踵を返し、広間の壁にかけられた都市図を見上げた。バルメリア全域に張り巡らされた商流の矢印、その節々にある商会倉庫。指先で、二つの拠点を軽く叩く。
「第一に、ラクリア連絡路の輸送頻度を一段上げる。オルテリアの復旧が回る今、品薄は起こしたくない。第二に、街路の外縁警備を見える化しろ。治安の良さは噂が運ぶ。数字の裏打ちを看板にせよ。
第三に、整備班の増員はザハードの指示に従え。現場の型は、現場で磨く」
「了解しました!」
統括の青年が走り書きを終え、胸に手を当てる。ひとまずの報告は締まった。漣司は一同を労い、奥の役員室へ足を向ける。
◇
役員会議室。楕円卓に、リシュア、ミナ、ロイ、ガロウ、ルーチェ、そしてテリア。
窓外では、市場の旗が春風にたなびいている。
「では――本題だ」
漣司は議事録の余白に、さらりと大きく一行を書いた。
《装備の全面更新》
「長旅で、減価償却……いや、すまん。劣化した装備を一新する」
ミナが吹き出す。
「社長、つい元の世界での税務用語!」
リシュアが咳払いで場を締める。
「いまのは内部ジョークとして議事録から削除します」
漣司は笑みを引っ込め、視線を引き締める。
「いいか。装備が貧弱で命を落とすなど論外だ。武装法人を名乗る以上、装備は一級品であるべきだ。見栄ではない、再現性の担保だ」
ガロウの目がギラリと光る。
「ヨッシャ――! 鎧、斧、全部新調ダ!」
「えっへへ、あたしも! 短剣セットとワイヤー、あとね、可愛い鞘!」
「ミナ、最後のは必要性の説明を求めます」
リシュアの冷静な牽制に、ミナがむっとする。
「必要だよ! テンション上がる装備は成果に直結!」
「心理的安全性の角度からは一理ありますが、ほどほどに」
「……はーい」
ロイが「嫌な予感がするな」とつぶやく。
「こういう時、ミナとガロウさんが勢いで必要以上の買い物を――」
「オレ、勢いだけじゃないゾ」
「ミナ殿は勢いが九割でござるな」
ルーチェが小声で囁く。
「うるさい! 二割は理性!」
「十割じゃないだけ進歩してるな」
ロイがツッコむ。漣司が要点を指で数える。
「配分はこうだ。
・近接:ガロウの主武器・副武器、ミナの短剣・機具――即時更新。
・術具:ルーチェの杖と媒介石――特級術具へ。
・防具:全員の軽量化+強度見直し――最新素材を試験採用。
・共用品:救護具・索具・照明――各二セットを追加。
・予備費:突発の実験枠を少額確保。リシュア承認で運用」
「承知しました」
リシュアは即答する。ルーチェがそっと手を挙げた。
「拙者の分に関しては、後回しでよい。まずはテリアの装備を優先したいのじゃ」
「キュルル!」(満面のドヤ顔)
ミナが吹き出す。
「テリア、とっても喜んでいる!」
ロイが頷く。
「飛行用の防風具、鱗ケアの薬、軽量の鞍……必要でしょう」
「ついでに寝床も! すごくふかふかのやつ!」
「ミナ、それはあなたが欲しいだけでは?」
「ち、違うもん!」
漣司は苦笑しつつ、最後に手短に締める。
「各自、役員会議後に出発しろ。三時間後に再集合。精算は一式リシュアへ提出。
優先度:防具>武器>術具>その他。――以上」
「了解!」
役員たちが立ち上がる。
ガロウは拳を鳴らし、ミナは踵を弾ませ、ルーチェはテリアを肩にのせてそろそろと。
ロイはクリップで書類を綴じ、リシュアは予算表に赤いしおりを挟んだ。
◇
バルメリアの大通り。
秤の塔から伸びる石畳は、商会の旗で色づき、人波が行き交う。鍛冶通りは火の色、術具街は光の粒、革細工の一角は油の匂い。街が並べるのは、誇りと工芸と、そして商談の熱。
「じゃ、近接組は鍛冶通り、術具組は光街、共用品は中央倉へ」
各自目的地へ散っていく。ルーチェはテリアを抱え、術具街へ。
「まずは保温外套と防風具、それから鱗の油。拙者の杖は最後でよい。――うむ、最後でよい」
「キュル!」(ドヤ二回目)
「テリア殿、顔が誇らしすぎるのじゃ」
ミナは踵でくるりと回り、ぴっと指を立てる。
「じゃ、行ってきまーす! 買いすぎ? しない、しない、多分!」
「多分がもうフラグなんですよ……」
ロイが額を押さえた。
「ロイ、頼むぞ」
漣司が肩を叩く。
「はい。財布の番犬になってきます」
リシュアは最後に漣司へ向き直り、ひと言。
「社長、ご自身の装備更新も忘れずに。最近、仕事用の上着のほうが戦闘用の上着より高級です」
「交渉は刃より切れるからな」
「でも、刃の更新も必要です」
「……了解した。一本だけ、見てくる」
秤の塔が鐘を打ち、午前の商いが最も熱を帯びる頃合い。
旗がはためき、金床が歌い、光がきらめく。
武装法人二階堂商会――装備全面更新、開始。
商いで世界を繋ぐ者たちは、備えでもまた、世界に勝つ。
それぞれの買い物が、それぞれの次の戦いへ、まっすぐに繋がっていくのだった。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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