第134章 帰路の陽光 ― 森を越えて
切り開かれたラクリア街道を、馬車の隊列がゆっくりと進む。
陽光が乾いた車輪を照らし、テリアの翼が淡く光を散らした。山風には炭鉱の残り香――鉄と火薬、そして新しい希望の匂いが混ざっている。先頭の馬車を操るのはロイ、その隣に漣司が立って景色を見渡していた。
「舗装がしっかりしてますね。これなら輸送隊も楽に通れる」
「元盗賊の仕事とは思えんな。ザハードの腕、侮れん」
漣司の言葉に、御者台の後ろからミナが身を乗り出した。
「ほんとにね! あの無精ひげの人、やるじゃない!」
「お前、あいつにおっさん呼ばわりして怒らせたの、忘れたのか」
「そ、それは……昔の話!」
ルーチェが苦笑いを浮かべる。
「まったく、ミナ殿は昔から学ばぬでござるな」
「うるさいなぁ、ルーチェこそお説教くさい!」
隊列の後方では、ガロウが荷馬車を押していた。重い装備で傷んだ鎧を気にしながら、ぶつぶつ言う。
「鎧の継ぎ目がイテェ……。オルテリアじゃ鉄工所忙しそうだシ、直してもらえなかったナ」
「帰ったら新調してくださいね」
ロイが穏やかに返す。
「金かかるナ」
「給与から払えばいいでしょ!」
ミナがすかさずツッコむ。笑い声が、道の両脇に広がる草原へ吸い込まれていった。
ほどなくして、街道の先にラクリアの尖塔が見え始めた。淡い石造りの壁が陽光を受け、湖面のように輝く。
「すごい……もうあんなに近いんだ」
リュシアが地図を確認する。
「ザハードの整備のおかげで三日短縮。数字以上の価値があるな」
漣司がそう呟くと、ロイが頷いた。
「この流通網が確立すれば、この地方の経済は一変しますね」
「その起点に、俺たちの名が刻まれる。――悪くないだろ」
そのとき、ルーチェの背からテリアが小さく鳴いた。陽の光を浴びて鱗が虹色に輝く。
「どうやら、あやつも旅が嬉しいようじゃ」
「ほんとに付いてくるとはね~。街に残ると思ってたのに」
ミナが笑う。
「拙者もそう思っておったが……どうも離れたくないらしい」
ルーチェが頬をかき、少し照れたように目をそらす。
「こいつも武装法人二階堂商会の大事な一員だ」
漣司の一言に、テリアが嬉しそうに翼を広げた。
◇
やがて隊列はラクリアの外縁に差し掛かる。
整備された石畳に、春の花が咲き乱れていた。市門の前には、議長ルドヴィクをはじめとするラクリア市民が勢ぞろいしている。彼は柔らかな笑みで二階堂商会の旗を見つめた。
「オルテリアを蘇らせた英雄たちに、感謝を」
市民の拍手が波のように広がる。ミナが照れながら手を振った。
「わー……なんか、こそばゆいね!」
「たまにはいいだろ。数字に出ない報酬だ」
漣司が微笑む。
「社長、いまの名言っぽい!」
「ぽい、じゃない。本音だ」
「ねえねえ、せっかくだからちょっとラクリア寄って行こうよ~」
漣司は淡々と答えた。
「予定はない。補給の遅れは、数字の狂いに直結する。寄り道はしない」
「む~、冷たいなぁ、社長!」
「経営に情を挟むと、後で泣く羽目になる。……前にも言ったろ?」
ミナが頬をふくらませる。その後ろでロイが小さく笑った。
「寄り道すると夜までに森を抜けられないからな。それにお前は、長居しそうな気がする」
「ロイの言うとおりだ」
ミナがますます膨れ、リュシアは小さくため息をついた。
ラクリアを背に、再び街道へ。そこから先は、静かな森の道。梢を抜ける光がまだらに降り注ぎ、馬車の車輪が心地よい音を刻む。鳥のさえずり、遠くで流れる小川の音。時おり姿を見せる小型の魔獣も、ルーチェの光に触れるとおとなしく逃げていった。
「……平和だナ」
ガロウが呟く。
「最初に来た時とはまるで別の世界です」
ロイが続ける。
「治安と経済が安定すれば、人は笑う。数字はその結果だ」
漣司の言葉にリュシアが満足げに頷いた。
「良い経営者の台詞です。記録しておきましょうか?」
「やめてくれ、あとでミナが勝手に酒場で吹聴する」
「ばれたか」
ミナが舌を出す。木々の切れ間から、光が一気に差し込んだ。
風が頬を撫で、空が広がる。彼らは森を抜け、バルメリア平原に出たのだ。地平線の先にバルメリアがある。それは、彼らが再び戻る場所――武装法人二階堂商会が制した都市だ。ミナが振り返り、山並みを見つめた。
「ラクリアもオルテリアも、いい街になったね」
「俺たちが関わった街が成長する。それが一番の利益だ」
漣司が前を見据え、帽子を軽く押さえる。
「行くぞ。次の数字を見に行こう」
その背に、春風が追い風を送った。旗が翻る。二階堂商会の旅路は、再び動き出す。
◇
ラクリアの森を抜け、バルメリア平原では視界は一気にひらけた。
大地は緩やかにうねり、麦の若葉が淡い緑の波をつくっている。陽光はまっすぐに降り、風は乾いている。
遠く、白亜の塔を戴く街影――バルメリア。
だが、そこへたどり着くには、平地の街道を二~三日は要する。馬車の車輪が、乾いた拍子で道を刻む。御者台のロイは小さく手綱をさばき、速度を均す。
「道は良好です。昼には丘陵の陰で休憩しましょう」
「了解でござる。テリア、落ちぬよう掴まっておるのじゃ」
ルーチェの肩にのる小さなホーリードラゴンが、陽を弾く鱗をきらりと光らせて鳴いた。
「キュルル!」
昼。
街道から少し外れた丘の裾に、二階堂商会の小さな陣が張られた。リシュアは地図と工程表を並べ、ミナは炙った干し肉を皆に配る。
「はい、社長の分。甘辛、塩、どっちがいい?」
「塩で頼む」
「まいど。あ、ルーチェは甘辛ね。テリアは……んー、ちょっとだけ」
「食わせすぎるでないぞ、ミナ殿」
「わかってるってば」
その横で、ガロウが斧を地面に突き立て、肩を回した。
「体、鈍ッてるナ。……ミルザ、手ェ合わせロ」
声の方を振り返ると、女モンクはいつもの無造作さで片眉を上げた。
「いいよ。食後は軽く動いた方が消化にいい」
二人は円を描くように距離を取り、構えた。ガロウは低く腰を落とし、肩から背にかけて無駄なく力を通す。ミルザは両足の幅を調整し、わずかに顎を引いた。大地の下から、何かが呼吸する――そんな静けさ。先に弾けたのはガロウだった。
「ハッ!」
踏み込み一歩、空気を裂く直突き。ミルザは上体を紙一重でそらし、足裏で地面を撫でるように滑る。打撃は空を切り、流した慣性を逆に返すように、彼女の掌底ががら空きの脇腹へ。ガロウは体幹で受け、肘で外に掃う。
「オオオッ!」
次の瞬間、彼の踏みしめた地面が低く唸り、斧無しの短い肘打ちが、車軸のような重さで迫る。
ミルザはわずかに顎を上げ、肩で受け、同時に相手の膝裏へ踵を滑り込ませた。
重心が泳ぐ。ガロウは倒れない。倒れないが、膝が一呼吸だけ遅れる。
「っ、こノ――!」
ガロウの拳が風を鳴らす。ミルザの首筋の髪が、刃先に撫でられたように揺れた。女モンクの瞳が笑う。
「いいね。芯がぶれない」
「当たらねェだけダ」
「当たらないのは質の差だよ」
やり取りは速く、音は短く、砂塵は低い。ロイは水袋を抱えながら、その動線に目を細める。
「……見事です。互いに読みが速い」
「どっちもバケモノね」
ミナが頬張りながら言う。
「ルーチェ、どっちが勝つと思う?」
「む、拙者は賭けはせぬタイプでな……だが、気配は見える。あれは――気の流れの制御」
「チャクラ、ってやつ?」
「うむ、体内の巡りを律し、無駄に漏らさぬ術でござる」
円の内側で、ミルザが左の掌を腹前に、右の拳を耳の横へ。息がふっと細くなった。
次の瞬間、地から張力が立ち上がり、彼女の全身を包む。ガロウの拳が、連鎖する鉄鎖のように打ち込まれる。しかし、触れた瞬間、力の向きが消える――吸い込まれるように、流される。
コントロール。溢れさせない。勝手に無駄をしない。
ミルザの踵が、優しく、だが決定的な角度でガロウの足首を刈った。
巨体が半歩だけ沈む。そこへ、掌底が一つ、胸骨の中心に置かれる。
――止め。
沈黙。
ガロウは口角を引きつらせ、歯を見せる。
「……俺の負けダ」
ミルザは手を差し出した。
「あんた、ほんといい筋しているよ。戦闘力はそこらの戦士より頭一つ飛び抜けてる」
「褒められてモ、嬉しくねェ……武装法人の看板であるこの俺ガ、負けるとはナ……ッ」
「看板は磨けば光る。ね、同行してる間は稽古つけるよ」
「本当カ!?」
「うん。まずはコントロール。力は出すだけじゃない、残す、たたむ、回す」
「こ、こんとろール……?」
「そう、それ。口に出す前に、体に覚えさせるけどね」
ガロウの顔がゆっくり赤くなる。
「……分かっタ、頑張ル」
「それでいい」
微かな笑いが、陣にひろがった。風が一度強く吹き、黄金色の草の穂が、海のように揺れた。
その夕暮れ。平原の星は近い。
焚き火の火は小さく、音は遠い梟だけ。
交代の見張りが廻る静けさのなか、陣の外れで、短い打突音が立った。
――パン、パン、パン。
影と影が重なり、離れてはまた寄る。
ミルザの低い声が、節目ごとに落ちる。
「力を撒くな。戻す。……腰、入れない。軸だけを立てる」
答える声は短く太い。
「入れねェ、立てル、戻ス……」
「今、それ。そこ。……そう、それが残す」
音は長くは続かない。
また夜が戻る。誰も知らない足音の、誰も知らない汗。風が、焚き火の火粉を運んでいった。
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