第129章 願いと銅像 ― 英雄逃走中
昼下がりの陽が、石畳にやわらかく落ちていた。
復興の音がそこかしこで鳴り、子どもらの笑い声が交じる。オルテリアの市庁舎裏、炭鉱監理局の応接室。分厚い作業図面と鉱脈図が重ねて置かれ、粉塵の匂いがまだわずかに残っている。
机の向こうで、ガラートが腕を組んだ。頬に煤が一筋。いつも通りの飾り気のない視線で、しかしどこか晴れやかに漣司を見据える。
「……で」
低く、短く。
「何が望みだ、社長さんよ」
ひと呼吸。漣司は椅子に浅く腰をかけ直し、まっすぐに答えた。
「では、オルテリア炭鉱の採掘に、二階堂商会の社員を加えさせてくれ」
ガラートの眉が、ぴくりと跳ねる。
「……それだけか?」
思わず、という調子だった。
「てっきり、採掘品の優先納品だの、利権だの、そういう話をぶつけてくるかと思ってたが」
「一方的な搾取は好かん」
漣司は即答した。
「武装法人二階堂商会の方針と、合わない」
応接室に短い沈黙が落ちる。窓の外から、カン、カン、と規則正しい金槌の音。やがて、ガラートは鼻で笑って首を振った。
「ラクリア議長の手紙に、そんなことが書いてあったな……見返りより、仕組みを作る方を選ぶ男だと」
視線を戻し、はっきりと言う。
「やはり、あんたらを信用して間違いなかった」
「いや」
漣司は、ゆっくりと首を振った。
「俺たちは、一番重要なものを要求している」
指先で、机上の鉱脈図の端を軽く叩く。乾いた音が、部屋に残る。
「採掘の技術だ」
視線を上げる。
「手順。道具の癖。判断の勘所。現場の呼吸。――それを、うちの社員に叩き込ませてほしい」
ガラートの目に、驚きが走る。だが、それはすぐに――納得へと変わった。
深く。短く。うなずく。
「なるほどな……目の前の金じゃねぇ。その先の稼ぎ続ける力を、取りに来たか」
口元が、わずかに歪む。
「……より遠くを見てやがる」
「遠くを見なければ、社員は守れない」
漣司は、静かに言い切った。
「それが、うちの流儀だ」
ガラートは、腕を解いた。机に両手をつき、前に身を乗り出す。
「よし。任せろ」
低く、重い声。
「俺の耳と骨が覚えてる基礎は、全部出す。現場は嘘をつかねぇ――」
「心得た」
◇
廊下の向こうから、軽い足音がどたどたと近づき、乱暴に扉が開いた。
「社長~~~! おもしろいものができてるよ~! 全員、今すぐ来て!」
ミナが満面の笑みで顔を突っ込み、肩越しに手をぶんぶん振る。ロイ、リシュア、ガロウ、そして肩に小さなホーリードラゴンを乗せたルーチェが集まる。
「なんだ、ミナ」
漣司が半眼で問う。
「面白いの定義次第では会議に戻るぞ」
「いいから! ぜっったい気に入るから! ガラートさんも! 早く早く!」
ガロウが首を鳴らす。
「面白いなら歓迎ダ」
「ミナがうるさいのよ。危険物じゃないでしょうね……?」
リシュアが怪訝そうに聞く。
「安全。むしろ安全すぎて笑うやつ」
ミナはニヤリとした。半ば引きずられるように、全員は炭鉱の第一坑口へ向かった。人だかりができている。ざわめきが波のように広がり、子どもたちのはしゃぎ声が高い。露天商まで屋台を出して、焼き串の匂いが漂ってきた。
「集まってるな」
ロイが周囲を見回す。
「危険は……なさそうだ」
「むしろ情報過多の匂いがしますね」
リシュアが微笑を押さえ、メモのページをそっと閉じる。
「で、何が――」
漣司が問い終えるより早く、群衆がぱっと割れた。そこに現れたのは――
◇
中央に石台座。その上に、煌びやかな高さ三メートルはある銅像がそびえていた。
片足を前に踏み出し、杖を高く掲げ、長い外套を翻す小柄な魔導士がドラゴンに立ち向かう姿が。彼女の前方には、波のように広がる光の輪――細部まで妙に写実的で、髪の流れから指の関節の角度に至るまで、やたら完成度が高い。
【武装法人二階堂商会 魔導士 ルーチェ様 炭鉱を救う】
そう、誇らしげに刻まれている。集まっていた市民が、いっせいに拍手を送る。
「ルーチェさんだー!」
「うちの炭鉱救ってくれた英雄だ!」
「万歳、聖光の術者!」
ぴたり、と静止したのは当の本人だった。
「……こ、これは……一体、何事でござ――」
声が裏返る。
「――な、なんじゃこれはあああああ~~~~っ!!?」
思考が、追いつかない。視線が、台座の文字と像とを、行ったり来たりする。
ルーチェが見たこともないほど目を見開き、肩のホーリードラゴンまで「ぴいっ」と驚いて翼をばたつかせる。
「ちょ、ちょっと待たれよ! 拙者はこのような、あの、その……銅像など望んでおらぬ! 不相応にござる! 外してくださらぬか! 今すぐ! 直ちに!」
「だって英雄ですから!」
前列の商人が胸を張る。
「炭鉱がダンジョン化した元凶を浄めてくださった。オルテリアの子らに語り継ぐために、形が要るんです!」
「英雄! 英雄!」
子どもたちが跳ねる。
「光の人ー!」
「いやいやいや、やめられよ! 拙者はただ皆々をつなぎ、少々まぶしい光を――ああ、顔が赤くなるでござるっ……!」
ルーチェは外套の襟で半分顔を隠し、じりじりと後退。だが後ろは群衆。右へかわすと市の婦人会が「光の紋刺繍」を差し出し、左へかわすと石工組合が「台座の追加案」を押しつけてくる。前方では子どもが絵本を差し出し、銅像の足元では犬まで尻尾を振っている。
「人気者だなぁ、英雄様?」
ミナがニヤニヤしながら肘でつつく。
「社長を差し置いて、先に銅像立てられるなんて、出世したじゃん」
「ミナ殿、やめてくだされ! 胸に刺さるでござる!」
ルーチェは半泣き。
「社長、何とか――」
視線が自然と、漣司へ集まる。漣司は銅像を一瞥し、次に当の本人を見た。ほんの少しだけ口角が上がる。
「――お前が今回の一番の立役者だ。誇れ」
短い言葉だった。それだけなのに、群衆は「おおっ」と一段と大きな拍手を送る。ルーチェは一瞬きょとんとして、次に耳まで真っ赤になって俯いた。
「は、恥ずかしゅうござる……! 誇りは胸の内に秘すのが流儀……あっ、近寄らぬでござる、拙者は写真とやらは苦手――!」
「サインください!」
「光の呼吸教えて!」
「ルーチェ様ぁぁぁ!」
「様付けはやめてくだされぇぇぇ!」
わっと押し寄せる市民。ミナは慌てて列整理の札を掲げ、ロイは人垣に柔らかく腕を伸ばして危険を防ぎ、ガロウは「押スナ押スナ!」と声を張る。リシュアは涼しい顔でその場の流れを見極め、屋台に水の追加発注を指で示した。ガラートは腕を組み、遠くで「やれやれ」と目を細める。
「退避経路、右側に確保。ロイさん、三歩後退で壁作り。ミナさん、銅像背面からルーチェさんを抜く」
リシュアが瞬時に段取りを出す。
「承知しました」
「任せて」
ミナが銅像背面の台座にぴょんと飛び乗り、ルーチェの外套の裾をつまむ。
「英雄様、こちらへ。逃げ道、進呈」
「か、感謝……! 恩に着る……! 拙者、そそくさと退散――」
「待って! 写真!」
「ルーチェ様のお言葉を!」
「光魔法、一瞬だけでも!」
「ちょ、ちょっと、髪は引っ張らぬでござるぅぅ!」
台座の影に、ミナがルーチェをするりと引き入れ、ロイが自然な体で視線を遮断。ミナが「今日のお披露目はここまで~また明日~」と絶妙に場を締め、ガロウが「列ハ解散! また明日ダ!」と低音で押し下げる。群衆は名残惜しそうに、しかし不思議と秩序正しく散っていった。
静けさが戻る。台座の陰で、ルーチェがぜいぜいと肩で息をつく。肩のホーリードラゴンも、同じテンポで「ぴー」とひと鳴き。
「……生き延びたでござる……」
「お疲れ。英雄稼業も楽じゃないわね」
ミナが肩を叩く。
「楽では断じてないでござる」
ルーチェは真顔である。
「銅像は……できれば、もう少し控えめに――」
「無理だ」
ガラートが苦笑する。
「街は、手触りのある希望が欲しい。銅像は明日も掘ろうの象徴だ。嫌なら、もっと群衆が増える前に慣れろ」
「増えるのでありますか……」
ルーチェは遠い目になった。漣司が釘を刺す。
「いいじゃないか。ただし台座に皆で倒したと刻むこと。名前は武装法人二階堂商会一同、それとオルテリアの民だ」
その一言に、ガラートはゆっくりうなずいた。
「了解だ、社長さん。……やっぱり、あんたらを選んで正解だった」
「選び合った、だ」
漣司は短く返す。
「こっちも、お前を選んだ」
「へっ。粋なことを言いやがる」
ミナが指をぱちんと鳴らす。
「はい、じゃあ決まり。台座は私たちとオルテリア民で!……で、英雄本人は?」
ミナが振り返ると、そこにいたはずのルーチェの姿がない。台座の陰に外套の裾がひらり、とだけ残っている。
「ん? どこ行った?」
ガラートが無言で空を指さす。全員が見上げた先、炭鉱の坑道へ続く小道を、外套の裾を押さえて全力疾走する小柄な背中があった。肩の小竜も、ちょこんとしがみつきながら必死で羽ばたいている。
「ま、待たれよおおお! 拙者は隠遁の修行に入るでござるぅぅ!」
ドップラー効果で徐々に声が小さくなる。
「逃げたな」
ロイが穏やかに笑う。
「逃げたナ」
ガロウがニヤリ。
「追いかけます?」
ミナが追いかける準備。
「やめて差し上げて」
リシュアが肩をすくめる。
「今日はもう十分、頑張りましたから」
ミナが両手を腰に当て、ふふんと鼻を鳴らした。
「――英雄、かわいい」
「お前は煽るのをやめろ」
ロイが呆れ、しかし目はどこか優しい。陽は少し傾き、銅像の輪郭が柔らかい影を地に落とす。台座の正面、仮の銘板にはまだ何も刻まれていない。そこへ、ガラートがチョークで大きく仮書きを走らせた。
二階堂商会と、オルテリアの民 ここに炭鉱を取り戻す
粉が風に舞い、子どもが「かっこいい!」と叫ぶ。露天の焼き串から香ばしい匂いが立ちのぼる。
「さ、仕事に戻るぞ」
漣司が手を叩く。
「ガラート、見学枠の割り振りを明日から始めたい。安全帯とヘルメット、数を倍にしてくれ」
「へいよ。段取りは明日までに整えとく」
「リシュア、研修カリキュラムを。現場で学び、夜に座学で固める。応急セットの内容も標準化してくれ。ロイ、外周警備のルートを見直せ」
「承知しました」
「戻って来―い、ルーチェー!」
ミナが坑道に向かって手を振る。遠くで
「いやぁぁぁ~!」
という情けない声がこだました。笑いが広がる。復興の音に混じって、街の息遣いがますます力強くなる。銅像は、夕陽を浴びてきらりと光った。子どもが台座に登ろうとして、ロイの穏やかな注意で降りる。ミナは屋台で飲み物を買い、ガロウは串を三本まとめて頬張り、リシュアは帳面に市民動線・良好と書き加える。ガラートは空を見上げ、深く息を吸った。
その景色の中心に、誇りがあった。誰かひとりのためでなく、ここで生きるみんなのための、手触りのある誇りが。
――英雄は逃げる。だが、希望は残る。
そしてその希望は、明日へ向かう背中を、静かに、確かに押していくのだった。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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