第127章 崩壊を越えて― 炭鉱の光
静寂。
つい先ほどまで炭鉱を揺らしていた瘴竜の咆哮は、嘘のように途絶えていた。
崩れかけた岩壁の隙間を抜ける風の音さえ、どこか遠い。
坑道の奥で、白い光の粒子がゆっくりと舞っている。
それは雪でも灰でもない。ルーチェの杖先から零れ落ちた、浄化の残光だった。
光は地に伏した瘴竜の巨体を包み込む。
黒く濁っていた鱗が、内側から透けるように薄まり、やがて金と白が溶け合う。
禍々しさは、削ぎ落とされるのではなく――ほどかれていく。
――巨体が、縮む。
山のようだった胴が、静かに、確実に小さくなっていく。
絡み合っていた瘴気は霧となって剥がれ、うねっていた尾は一本の線へと解けていった。
破壊ではない。再生ですらない。
本来あるべき形へ、戻っていく過程だった。
「……ま、まさか……」
リシュアが、言葉を失ったまま息を呑む。
次の瞬間、光がふわりと弾ける。
眩しさが引いたその場所に――
残っていたのは、掌に収まるほどの小さなドラゴンだった。
翼は半透明で、羽ばたくたびに光の粉を散らす。
鱗は宝石のように澄み、金と白の境目が呼吸に合わせて淡く脈打つ。
額には小さな紋章が刻まれ、そこから柔らかな光が流れ落ちていた。
その聖竜は、きょとんとした瞳で周囲を見回し――
やがて、ルーチェの方を見上げる。
「……かわいい……」
アリアがぽつりと呟く。戦場に似つかわしくない、あまりに素直な一言だった。
「いやいや、今まであんなバケモンだったのに!?」
ミナは目を見開いたまま、信じられないものを見る顔で叫ぶ。
小さな聖竜は、その声にびくりと肩をすくめ、次の瞬間――ぴ、と可愛らしく鳴いた。
「もとより瘴竜などではなかったのかもしれぬ。穢れに絡め取られ、姿を歪められていたのだ」
ルーチェは、静かな声でそう告げた。その肩に、小さな竜がふわりと舞い降りる。羽音はほとんど聞こえず、温かな重みだけが残った。ルーチェは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく微笑む。驚きと安堵が溶け合った表情のまま、そっと頬を寄せた。
「……浄化は、果たせたでござる」
その言葉に、誰もが肩の力を抜く。張り詰めていた空気が緩み、ようやく息が戻る。
――だが、その安堵は、あまりにも短い。
次の瞬間、全員が悟った。これは終わりではない。ほんの一瞬、見せられただけの夢に過ぎないのだと。
◇
――地面が、低く唸った。
足裏から伝わる振動が、遅れて壁へ、天井へと広がっていく。奥の岩壁に細い亀裂が走り、次いで天井のひびが連なった。長年、無理に抑え込まれていた力が、いま一気に解き放たれていく――そんな軋み方だった。
「っ……まずい、来るぞ!」
ロイが声を張り上げる。
粉塵が舞い、ぱらぱらと岩片が降り注ぎ始めた。空気が白く濁り、視界が削られていく。
リシュアは一瞬で状況を掴み、叫ぶ。
「核封印で内部の瘴気が一気に放出されています。構造が持たない――崩落します!」
炭鉱全体が、限界を迎えようとしていた。
「全員、出口方向へ! ――走れ!」
漣司の号令が飛ぶ。だが、その声に応じて脚を踏み出せる者は、誰一人いなかった。
ロイの盾は瘴竜の一撃を受けて歪み、縁が波打っている。
ガロウの斧は刃こぼれだらけで、握る腕も震えていた。
ミナは足を引きずり、体重をかけるたびに顔を歪める。
ルーチェは魔力を使い果たし、杖を支えにしてようやく立っている状態だ。
――全員、限界だった。
走るどころか、崩れ落ちていないのが奇跡に近い。
そして、漣司自身も例外ではない。
瘴竜の攻撃を真正面から受けている。
ルーチェを庇って踏み出し、回避も防御も間に合わないまま――直撃。
外套の下で息が乱れる。胸の奥が焼けるように痛む。それでも、膝は折られない。漣司は歯を食いしばり、背筋を無理やり伸ばした。この場で崩れれば、指揮は消える。
指揮が消えれば――全滅だ。
その時――ミルザが一歩前に出た。
拳を軽く鳴らし、にやりと笑う。
「……しょうがないね。ここは姐さんの出番だ」
彼女はルーチェをひょいと肩に担ぎ上げ、さらにロイの腕を引っ張る。
「しっかり掴まってな。置いてかれたくなきゃ、噛みつく勢いで」
「な、なにを……!」
「問答してる暇はないよ!」
ミルザは腰を落とし、全身にチャクラの光を巡らせた。背中から腕へ、腕から脚へ、赤橙の気が奔る。そのまま、地を蹴った。風が爆ぜる。人ひとりどころか、負傷者全員を背負って走るとは思えぬ速さ。まるで彼女の体重そのものが空気に溶けたかのようだった。
「は、早いでござる」
ガロウが呆れ半分に叫ぶ。
「オレら、今、運ばれてんのカ!?」
「黙って掴まってろッ!」
ミルザが怒鳴る。天井が崩れ、火花が散る。それを紙一重で避け、岩の上を蹴っては跳躍を繰り返す。まるで拳で風を切り裂き、空気そのものを足場にしているかのようだった。彼女の腕に抱えられたルーチェが、かすかに目を開く。
「……そなたの、体……光が、溶けて……」
「平気さ。命の火をちょっと貸してるだけ。貸しっぱなしは慣れてるんだ」
ミルザは笑い、さらに速度を上げた。
洞窟が震える。
地鳴りが腹の底に響く。まるで世界そのものが崩れていくような轟音。
「ミルザ、右だ! 岩盤が割れる!」
ガラートの叫びと同時に、地面が沈んだ。足元の岩が悲鳴を上げ、通路が斜めにずれ落ちる。
――崩落が、追ってくる。
背後で岩盤が潰れる音がした。遅れて、通ってきた通路そのものが消える。
「うわっ、後ろ! 床が――!」
「見なくていいッ! 前だけ見ろッ!」
ミルザが怒鳴り、さらに加速する。風圧で頬が引きつり、視界の端が白く滲む。
ガラートは歯を食いしばり、必死に走っていた。
剣を杖代わりに岩を突き、跳び、転び、また立つ。
「待てって言うなよ……! 言ったら、本当に置いてかれる……!」
「正解です! それ言ったらミルザさん、速度上げますから!」
「上げるな! これ以上は無理だ!」
アリアが振り返りながら叫ぶ。その背後で、天井が爆ぜた。
岩塊が雨のように降り注ぎ、通路の幅が一気に削られる。
粉塵が渦を巻き、呼吸するたび喉が焼けた。
「アリア! 左壁、ひび!」
「見えました! 三秒で落ちます!」
「三秒!? 短すぎだろ!」
「十分だ!」
ミルザが叫び、跳んだ。壁を蹴り、天井の突起を踏み、ありえない軌道で宙を駆ける。
彼女の背に担がれたロイの盾が、岩を弾き、火花を散らした。
「うわわっ、盾がッ!」
「気にするな! その程度、後で直せる!」
着地。次の瞬間、背後の通路が完全に潰れた。
轟音。空気が押し出され、衝撃波が背中を殴る。
「っ……!」
ガラートの足元が滑った。崩れた岩が砕け、体が前に投げ出される。
「ガラート!」
アリアが腕を伸ばす――間に合わない。
だが。
「――掴まれ!」
ミルザの腕が、空間を引き裂くように伸びた。
ガラートの襟首を掴み、そのまま引き寄せる。
「ぐえっ!?」
「文句言うな!生き埋めになりたくなきゃねぇ!」
その勢いのまま、ミルザは再び走る。
前方が、開けた。
「出口だ! 自然光、来てます!」
「見えた!」
出口直前の天井が、まとめて落ちる。
岩盤が裂け、巨大な塊が進路を塞ぐ。
「もうすぐだ!」
ミルザが地を蹴り、飛んだ。落ちゆく岩の間を抜け、斜面を滑り降り、最後の通路へと飛び込む。
◇
――そして、光。
出口の先から吹き込む風が、粉塵を押し返した。次の瞬間、天井が崩落し、背後の坑道が完全に閉ざされる。ミルザは外の地に転がり出て、膝をつく。背中から仲間たちを下ろすと、ようやく肩で息をした。外の空は、鈍色の雲が晴れ、淡い朝焼けが滲んでいた。その光を浴びながら、誰もがしばらく言葉を失う。
「……生きてる……よね、これ……」
ミナが呟く。
「たぶん……ナ」
ガロウが大きく息を吐く。
「なんとか、な」
ロイが笑った。
ルーチェは小さな肩乗り竜を撫でながら、微笑んだ。
「すべての穢れは、払われたでござる。……これで、オルテリア炭鉱は、ようやく息を吹き返す」
ミルザは空を見上げ、拳を握った。
「まったく……久しぶりに全力で走ったよ。こりゃ、筋肉痛が怖いねぇ」
軽口だった。だが、その指先が、わずかに震えている。
握った拳を一度開き、もう一度、確かめるように握り直す。
肩が小さく上下し、呼吸が完全には整いきっていない。
それでも背筋は伸びていた。
そう言って笑ったが、次の瞬間、片膝を地面についた。
どすん、という鈍い音。
「ミ、ミルザさん!?」
アリアが慌てて駆け寄る。
「平気平気。……ちょっと、脚が言うこと聞かないだけ」
太腿を叩き、深く息を吐く。
赤橙のチャクラの残滓が、湯気のようにゆっくりと消えていった。
「命の火を前借りしすぎたねぇ。返済は……あとでまとめて、だ」
朝焼けの光が、彼女の横顔を照らす。
強さは消えていない。ただ、確かに使い切った――それだけだ。
「……助かったよ、ミルザ」
ガラートが言う。
「お前がいなきゃ、全員……ここにはいなかった」
「感謝は後にしな。外は静かでも、中はまだ完全には眠ってない」
ミルザの視線は、崩れた坑道の奥――暗闇の向こうを捉えていた。崩壊の風が収まると、朝の光が差し込む。その光の中で、小さなホーリードラゴンが羽を広げ、空に舞い上がった。
黄金の粒が尾を引きながら、空へと溶けていく。それは、長い戦いの果てに訪れた――静かな勝利の証。
「――ダンジョン、クリアだな」
漣司が静かに言った。仲間たちは、それぞれに息を吐き、互いの顔を見合う。笑みが広がり、疲れの中にも確かな誇りがあった。ミルザは少し離れて立ち、振り返らずに言った。
「あんたらが四層を突破してくれたおかげで、最深部に行けることが出来た。よそ者に世話になっちまったが、借りは返したよ。」
そう言い残し、朝焼けの中へ歩き出した。ルーチェの肩の上で、ホーリードラゴンが小さく鳴く。その声は、崩れた坑道の奥に消えていく風の音と、どこかで混じり合っていた。
――こうして、二階堂商会はオルテリア炭鉱を制覇した。
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