第126章 拳が導く光 ― ミルザ登場
轟音が止まない。
空洞を埋める瘴気の咆哮は、もはや地鳴りそのものだった。
ルーチェの導きの糸は、今もぎりぎりでつながっていたが、
光はもう灯らない。
杖先は乾いた石のように冷え、息を吐くたびに視界の端が霞んでいく。
魔力は底を突いていた。
「……これ以上は……無理、でござる……っ」
膝をついたルーチェの声は、かすれ、細い。
ロイとガロウがその前に立ち、盾と斧を構える。
「下がれ、ルーチェ。ここからは俺たちが――」
「押し切ル……ッ!」
ガロウが吠えた瞬間、瘴竜の尾が横薙ぎに走った。
空気が裂け、岩が跳ねる。二人の巨体ごと、吹き飛ばされた。
「ガロウ! ロイ!」
ミナが叫びながら短剣を抜き、竜の動きを牽制する。
だが刃は黒鱗の上を滑るだけ。
「全然、通らないっ……!」
瘴竜の胸腔が膨れ、再び光る。
喉奥の魔石が赤く脈動し、吐き出される瘴の奔流――
「……間に合わない」
リュシアが、低く吐き捨てた。誰も、動けない。
ルーチェの糸が、かすかに震え――
次の瞬間、ぷつりと、断たれる。
光が、消えた。
瘴竜が、ゆっくりと口を開く。闇が喉奥でうねり、圧を増す。
暗黒の奔流が、仲間たちを――まとめて呑み潰そうと、迫る。
◇
「――終わりか……」
ガラートが低くつぶやいた、その瞬間。
天井の岩を割って、ひとつの影が落ちてきた。
空気が裂け、ひときわ軽やかな着地音が響く。
「――道、空けな!」
拳が二度、三度、連なって閃き、瘴竜の顎が逸れる。
地を揺らす咆哮が逆方向に反れ、吐き出された瘴気が壁を抉った。
その中央に、ひとりの女が立っていた。
浅黒い肌。短く束ねた赤褐色の髪。鉄線のように引き締まった両腕。
拳には、光を弾くようなチャクラの輪が幾重にも巡っていた。
「遅れてすまないねぇ。……相変わらず、炭鉱は騒がしいじゃないか」
瓦礫の向こうから、軽い声が落ちてきた。
女モンク――ミルザ。
「ミルザ……!」
ガラートが、息を呑んで目を見開く。
「来てくれたのか!」
「あんたの死んだ炭鉱に住み続けるってのも目覚めが悪くてね!」
ミルザは笑い飛ばすように言い、肩越しに背後を親指で示した。
「それに――ここまで道をこじ開けてくれたのは、あんたらだろ。通れるなら、来ない理由もない」
そう言って、視線を上げる。ミルザは笑い、闇を膨らませる瘴竜の姿を、まっすぐに見据えた。
「これが元凶かい」
「そうだ……ダンジョンの瘴気を喰って、化けモンになっちまった」
ガラートが応じる。
「気をつけろ。こいつは――物理は効かねぇ!」
「なら、効かせてみるまでよ」
ミルザが一息で踏み込んだ。
踵が岩盤を噛み、どんと大地が鳴る。
拳。間を詰める膝。体を捻って肘。軸足を返し、踵が跳ね上がる。
止まらない。考えない。重心が流れ、衝撃が次へ、次へと渡されていく。
連打は流星の列となり、瘴竜の顔面を叩き、弾き、軌道を狂わせた。頭が揺れ、顎が逸れ、視線が追いつかない。それは乱打ではない。拳で刻む、舞踏だった。
――しかし。
瘴竜の鱗は、炎でも雷でもない速度で再生していく。拳がめり込み、光が火花のように散っても、黒い膜が即座にせり上がり、傷をなかったことに塗り潰した。
「チッ……なるほど」
ミルザが拳を引き、口端を吊り上げる。
「物理は、挨拶ってわけか」
短く息を吐く。次の瞬間、笑みが深くなる。
「いいじゃない。――じゃあ、こっからは本気だ」
両拳を合わせた。衝突と同時に、光が鳴る。
チャクラの光輪が展開し、一つ、また一つと円環が重なっていく。
空気が震え、圧が集束し、洞窟全体が低く唸った。
「連環衝破――!」
炸裂。
閃光と衝撃が重なり、瘴竜の頭部が壁面へと叩きつけられる。
岩盤が砕け、岩片が雨のように降り注いだ。
――だが。
竜は、倒れない。
瓦礫を押し退けるように身を起こし、再び首を持ち上げる。
その口腔の奥で、赤い光が――静かに、しかし確実に灯った。
「まずい――来る!」
リュシアの声が、空洞を裂いた。
次の瞬間、彼女は叫ぶ。
「下がって!」
ロイが反射的に前へ出る。
盾を構え、重心を落とし、全身で受け止める構え――だが。
間に合わない。
瘴竜の喉奥が赤く脈動し、圧縮された瘴気が、吐息一つで爆ぜようとしていた。
――その時、ガラートが声を上げた。
「――ミルザ!」
ガラートの怒号が、空気を叩く。
「物理じゃ無理だ!あいつを倒せるのは――ルーチェの光だけだ!」
一瞬、世界が止まったように静まる。
「……光?」
ミルザが、わずかに目を細める。迫る破滅を前に、その一語だけを噛みしめるように。赤い光が、さらに強く灯った。時間が、残っていない。
◇
ミルザが、ゆっくりと振り向いた。
視線の先。瓦礫に膝をついたままのルーチェがいた。胸が浅く上下し、息は切れ切れ。それでも――白い指は、杖を離していない。
「拙者……もう……魔力が……底で、ござる……」
掠れた声。震える手。それでも、退くという選択だけはない。
ミルザは一瞬だけ目を細め――そして、ふっと笑った。
「……なるほどね」
次の瞬間、その笑みは獰猛さを帯びる。
「なら――分けてやりゃいい話だ」
彼女は掌を胸に当て、深く息を吸い込んだ。
どくん。
鼓動に合わせ、ミルザの全身を巡るチャクラが一斉に点火する。赤橙の光輪が幾重にも展開し、足元から渦を巻くように立ち上った。
熱。圧。
それは魔力ではない。生きるために鍛え上げた、命の燃焼そのもの。岩肌が低く鳴り、空気が震える。
「この拳はね。壊すためだけじゃない」
ミルザは一歩、前へ。
「――気を練るためにある」
赤橙の光が、彼女の腕を伝って集束する。
「光の使い手なら……合わせられるはずだろ?」
「……な……にを……」
ルーチェの瞳が、大きく見開かれる。
ミルザは歩み寄り、ルーチェの額へ掌を当てた。
――熱が、来た。
押しつけるのではない。流し込むでもない。呼吸を、重ねる。
赤橙の光が脈打ち、白金の光がそれに応じて揺らぐ。
二つの光が衝突し――拒まず、絡み合った。
白が、赤を拒まない。赤が、白を侵さない。
ただ、同じ拍動を刻み始める。
「お前の魔力に、私の呼吸を重ねる」
次の瞬間――。
ルーチェの杖が白熱した。赤と白、二つの波が共鳴し、杖の先に巨大な光輪が生まれる。
「ルーチェ!」
リュシアの声が、戦場を貫いた。
「今です――放て!」
「……承知!」
ルーチェが立ち上がり、両手で杖を掲げる。何度も放った光。何度も削った黒膜。
そのすべてを――一つに束ねるために。
両手で杖を掲げた瞬間、これまで散ってきた無数の聖光が、逆流するように集束した。
淡い浄光ではない。面で焼く聖閃浄域が、線へと研ぎ澄まされていく。
白い光輪が幾重にも重なり、赤橙の呼吸がその内側で脈打つ。空洞全体が、昼へ引き裂かれる。
「――聖閃浄域、収束」
宣言と同時に、光の奔流が一段、静まった。
暴力的だった輝度が削ぎ落とされ、白は刃のための白へと変質する。
光輪が回転を止め、互いに噛み合いながら、一点へと折り畳まれていく。
空洞に満ちていた昼が、一本の線に凝縮される感覚。
重圧が落ち、瘴竜の黒膜が、理解不能な危機を察したように蠢いた。
――逃げ場は、もうない。
「――光穿陣・終ノ式!」
浄化の奔流は刃となり、瘴竜の胸腔を正確に、一直線に撃ち抜いた。
黒膜が――悲鳴を上げる。裂けるのではない。耐え切れず、剥がれ落ちる。
核を覆っていた闇が、内側から爆ぜ、砕け、光に呑まれて消えていく。
光は貫き、浄し、穿つ。抵抗はない。ただ、崩壊だけがあった。
コア魔石が、鈍い軋みを立てた。遅れて、悲鳴のような高音が走り――粉々に砕け散る。
瘴気が一気に噴き出し、霧となって空洞を満たす。だが、それも長くは続かない。
白に洗われ、引き剥がされ、やがて――消えた。
瘴竜の動きが、完全に止まる。
倒れない。しばらく、立ったままだ。
内部を失った巨体が、自分の重さを理解するまで、数秒の猶予があった。
そして――崩れる。骨が軋み、肉が落ち、巨躯がゆっくりと地に伏した。
胸に残っていた最後の光が、脈打つように瞬き――消える。
静寂。
ルーチェの光が、ようやく役目を終えたように収束する。
杖先から、淡い粒子が雨のように零れ落ちた。
「……終わった、のか」
ロイが、息を整えながら呟く。自分の声が、やけに遠く聞こえた。
ミナは短剣を下ろし、力の抜けた苦笑を浮かべる。
「あの化け物、やっと……」
「すげェ……」
ガロウが呆然と呟く。ルーチェはその場に膝をつき、ミルザの方を見上げた。
「そなたの呼吸……確かに届いたでござる」
ミルザは少しだけ笑い、拳を軽く掲げる。
「礼はいらない。この炭鉱を救えるなら――それで十分さ」
崩れ落ちた瘴竜の体がゆっくりと灰になり、消えていく。空洞には静寂が戻り、戦いの終わりを告げるように遠くで滴る水音だけが響いた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
少しでも面白いと思ったら☆☆☆☆☆を★★★★★にして頂ければと思います。一つひとつの応援が、次の物語を生み出す力になるんです。これからも、どうぞ気軽に見守っていただけたら嬉しいです。




