第121章 反響層・外郭戦――核の喉元へ
床に走る白い光の線が、心臓の鼓動みたいに明滅していた。
それに合わせて、全員の呼吸がそろう。
――ゆっくり息を吸い、少し止め、短く吐く。
同じリズムを体に刻むことで、意識のズレを防ぐ。
幻に飲み込まれないための、ルーチェの仕掛けだ。
反響層のど真ん中。
丸く広がった空間の中央で、
青白い塊が、生き物のように膨らみ、縮んでいた。
――影の元凶、共鳴炉。
それが息を吐くたび、空気の奥で、
かすかな声のさざめきが生まれては消える。
誰かの名残のような、言葉にならない気配。
「到達。……この物体が本体と判断します」
リシュアが視線を逸らさず、静かに告げた。
「近づけば、精神への干渉が来ます。警戒を」
ガラートが低く応じる。
――次の瞬間だった。
床の影が、ぬるりと持ち上がる。
煤をまとった鉱夫の骸。
鉱毒に膨れた蜥蜴の亡骸。
石皮に覆われた四足獣。
かつてこの炭鉱に飲み込まれた命たちが、
反響の残響をまとい、歪んだ輪郭を取り戻していく。
足音はない。呼吸もない。
それでも――来る。
共鳴炉が、わずかに脈打った。幻が、牙をむく。
◇
「来たわね。しっかりお仕置きしてあげるわ!」
ミナが短剣をくるりと回し、獲物を見据えて笑った。
刃が空気を切り、乾いた金属音が火花のように弾ける。
「盾は左。楔形で前進します」
ロイの落ち着いた号令で、隊列が一斉に動く。
「支援は任せてください!」
アリアは薬袋を胸に引き寄せ、すぐに仲間の動線を追う。
「精神を蝕む元凶……ここで断つでござる」
ルーチェが杖を立てると、白い光が静かに灯った。
――次の瞬間。
ガロウの咆哮とともに、巨斧がうなりを上げて振り下ろされる。
煤をまとった骸の胸骨が一刀で断ち割られ、
砕けた骨は砂のように崩れ落ちた。
だが――崩れた黒い粒子が、
まるで逆再生する映像のように集まり、
再び人の輪郭を描き始める。
「再生、速ぇ! 間合い、空けロ!」
ミナが横へ跳び、
すれ違いざまに蜥蜴の前脚を切り落とす。
「はい、一足止め!」
突進してきた別の影を、ロイが盾で正面から受け止めた。
金属と骨がぶつかり、衝撃が腕に走る。
「左、通しません」
リシュアが床に光の印を描く。
「再生遅延術式――起動」
淡い光が広がり、砕けた骸の再生速度が目に見えて鈍った。
その隙に、アリアが素早く動く。
ミナの脛についた毒粉を拭い取り、
続けてガロウの膝裏に冷薬を貼り付ける。
「落ち着いて。みんな、動けてます」
戦場に、ひと呼吸ぶんの余裕が戻る。
――しかし。
ルーチェの白光が影を焼いた瞬間、
奥で脈打つコアの鼓動が、不自然に跳ね返った。
「反転ッ!」
リシュアの警告が走る。
床の影から、黒い糸のような拘束が伸び、
足元を絡め取ろうとする。
「祓うでござる!」
ルーチェが杖を振り抜く。
閃光が走り、迫る黒糸をまとめて焼き切った。
火花が散り、影が悲鳴のように揺れる。
◇
――――第二波。
地鳴りのような衝撃音とともに、
坑道の壁が内側から弾け飛んだ。
石柱を背骨に組み上げた巨躯のアンデッドが、
瓦礫と粉塵を巻き上げながら突進してくる。
空気が震え、視界は一瞬で白に塗りつぶされた。
砕けた石片が雨のように降り注ぐ中、
漣司は目を細め、その影の輪郭だけを正確に捉える。
口角がわずかに吊り上がった。
「心を折れないと見て、力技か。……単純で助かる」
次の瞬間、ロイが盾を構えて前へ躍り出る。
「入ります!」
盾が地面を踏み締め、衝撃に備える。
正面からぶつかる質量に、腕が軋む音が伝わった。
ガロウは斧の柄を横に構え、
衝突の力をいなすように受け流す。
「重イ、ガ――!」
だが、その死角。
横合いから、蜥蜴の尾が鞭のように振り抜かれる。
「――遅い!」
ミナが地面を滑るように潜り込み、
尾の付け根へ短剣を突き立てた。
「寝てなさい!」
骨と肉の感触が刃に返り、
蜥蜴の巨体がバランスを崩す。
同時に、リシュアの視線が核の脈動を正確に捉えた。
「術式展開、無力化――今!」
床に走る光の陣が瞬時に連結し、
再生の流れを押さえ込む。
ルーチェの白光が闇を押し返し、
アンデッドの輪郭から次に立ち上がる余地を削り取っていく。
――しかし、数は減らない。
斬り伏せられた骸は霧散し、
霧が煤へ変わり、煤がまた骨格を描く。
核の呼吸が、まるで工場の送風機のように
新しい個体を吐き出していた。
「門を閉めねぇ限り、湧く一方だ」
ガラートが舌打ち混じりに吐き捨てる。
「じゃあ、門前まで押す」
漣司の声は、
粉塵の中でもはっきりと冷たく通った。
「核の周囲、一間を現実で固める。
ルーチェ、光を前へ」
「拙者の光、前へ」
号令と同時に、隊列が一斉に前進する。
ガロウは斧を刃ではなく面で振るい、
敵の群れを物理的に押し返す。
「面で押セ!」
衝撃が空気を割り、煤の塊が吹き飛ぶ。
ミナは切っては退き、切っては退き、
敵の密度が薄くなる場所だけを正確に削る。
「穴、塞いだ!」
ロイはその隙間を盾で埋め、即座に隊形を再構築する。
「右、通します。左、封鎖」
ガラートは足音と振動を拾い、進路を即座に修正する。
「そこは硬ぇ。斜めだ!」
アリアは水と薬を回しながら、仲間の背中を支える。
「みんな、頑張って!」
その声が、疲労と緊張をわずかに押し返した。
ルーチェの光は前線を包み込み、
幻が形を取り戻す余地を押し潰し続ける。
――そのとき。
核が、まるで生き物のように身を捩った。
一瞬、ルーチェの指先が迷い、光糸がきしむ。
床の影が盛り上がり、
黒い顎のような形となって光を噛み切ろうと迫った。
「前を見ろ。呼吸に今を置け」
「――御意」
ルーチェは視線を前へ戻し、呼吸を整える。
光が再び同期し、八人の呼吸がぴたりと重なった。
「大丈夫。皆、意識を保っています」
アリアの声が全員の心を支えた。
◇
――第三波。
今度の揺れは、低い。衝撃ではない。
床そのものが、巨大な肺のようにゆっくりとうねった。
靴底の下で、石がわずかに沈み、戻る。
耳に届くのは、鈍く湿った――
腹の底を擦るような音。
視界より先に、足裏が異変を告げていた。
「床を見るな、音を聞け!」
ガラートの一喝が、波打つ空気を切り裂く。
核は目前だった。
青白く脈打つ塊が、呼吸する生き物のように膨らみ、縮む。
淡い光が鼓動に合わせて明滅し、周囲の影を歪めている。
外郭の敵影は薄い。
だが――牙は、まだ床の奥に潜んでいる。
「ここからが本番だ」
ガラートが息を合わせる。
「吐きの一で咳く。吸いで引く。踏ん張れ」
地面が沈み、吐きの瞬間に衝撃が来る。
引き波の吸いで体勢を立て直す――その読みだ。
「了解」
漣司が仲間を見回し、短く指示を飛ばす。
「指示は最小。自分の役割だけ言え。――ルーチェ」
「つなぐ」
白光が、わずかに強く脈打つ。
「ミナ」
「切る」
短剣が小さく回り、刃が空気を裂いた。
「ロイ」
「塞ぐ」
盾が半歩前へ出る。
「ガロウ」
「押ス」
斧の柄が床を叩き、重心が落ちる。
「リシュア」
「測る」
視線が核の揺れを正確に捉える。
「ガラート」
「聞く」
耳が、床の奥の次を拾う。
「アリア」
「保つ」
掌に薬瓶の温度が戻る。
◇
その瞬間――八人の動きが、ぴたりと重なった。
誰かが合わせたのではない。
吸う、止める、吐く。その間合いそのものが、
全員の身体に同時に落ちた。
ミナの刃が、影の首筋をなぞるように抜ける。
切断音はない。ただ、闇の密度だけが一瞬で薄れた。
同時に、ロイの盾が半歩前へ。
核から吐き出される冷たい息を、斜めに受け流し、床へ逸らす。
衝撃は盾の縁を震わせ、低い余韻となって残った。
ガロウの斧が、壁と床の継ぎ目へ食い込む。
刃ではなく面で押し込み、崩れかけた壁を楔のように固定する。
空間が、これ以上歪まない。
リシュアの視線が走り、空中に組まれた数式が淡く発光した。
再生の流れがわずかに遅れ、核の脈が基準の周期から外れる。
その微細な狂いを、ガラートが次の咳の予兆として耳で掴む。
「……来る」
その声と同時に、アリアの指先が漣司の肩に触れた。
力の残量、集中の揺らぎ、全員の呼吸が保たれている合図。
「取った。門前、確保!」
漣司の声が、短く空間を切る。
核の周囲、一間。
白い囲いが立ち上がり、空気の反響が鈍く変質する。
歪みが薄れ、揺らぎが収まり、
足裏の感触が硬さを取り戻していく。
影は輪郭を失い、現実の密度がじわじわと押し返してきた。
「――ルーチェ!」
呼び声が、一直線に届く。
「やるでござる」
ルーチェは一歩、前へ出た。
仲間の背中を越え、核と正対する位置へ。
杖を胸の正中に立てる。
呼吸を深く沈め、白粒の光を引き寄せる。
微細な光が空気中に集まり、淡い流れとなって束ねられていく。
八人の呼吸が、一本の流れに結ばれた。
見えない導線が空間に描かれ、白い筋となって走る。
核の拍動が、その中に包み込まれる。
歪みは抵抗しながらも、
少しずつ現実の律に引き戻されていった。
視界の端――
正座する影。
厳しい気配だけを残す、師の幻。
問え。選べ。渡せ。
無言の圧が、ルーチェの背を押す。
「対幻結界陣――《ミラージュ・ブレイカー》!」
杖先が高く掲げられた瞬間、
八人分の鼓動が、ひとつの脈に重なる。
光が解き放たれる。
白が空間を満たし、青白い核を包み込む。
核は暴れない。砕けもしない。
ただ、静かに――浄化を、始めた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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