第113章 闇に蠢く影 ― 炭鉱の亡霊たち
炭鉱都市オルテリア――眠れる資源の地。
だが地下深くには、街そのものを呑み込む危険なダンジョンが広がっていた。
資源確保と街の命運を賭け、
二階堂商会達は少数精鋭で未知の深層へと踏み込んでいく。
オルテリア炭鉱へ降りてから、すでに十数時間が経過していた。
腕輪型の魔力時計が淡い青光を脈打たせ、時の流れを告げるたびに、
感覚だけがわずかにずれていく。
昼か夜か――そんな区別は、とっくに意味を失っていた。
坑道を渡る風は冷たく、肌を撫でるたびに体温を奪っていく。
炭と鉄、そしてわずかに混じる古い油の匂いが鼻を刺し、肺の奥に沈んだ。
「……この先に、かつての作業休憩所がある」
先頭を進むガラートが、灯り石を高く掲げる。
岩肌に刻まれた裂け目を抜けた瞬間、視界がふっと開けた。
そこは、広場のような空間だった。
岩を切り出して平らに整えた床。壁際には、人の背丈ほどの支柱跡。
かつて炭鉱労働者たちが腰を下ろし、汗を拭い、短い休息を取った場所――
その名残が、静かに残っている。
壊れた木箱。
縁の欠けたマグカップ。
煤にまみれたランプが、もう二度と灯ることのないまま転がっていた。
まるで時間だけが、ここで立ち止まったかのようだった。
その中心で、焚き火の赤がゆらりと揺れる。
炎は小さく、しかし確かに存在を主張し、闇を押し返している。
「――ここで一晩休むぞ」
ガラートの短い宣言に、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「助かる……」
ロイが肩から荷を下ろし、深く息を吐く。
鎧が触れ合う乾いた音が、妙に大きく響いた。
「外は、もう夜でしょうね」
リュシアがそう呟き、無意識に天井を見上げる。
もちろん、そこに星はない。ただ黒い岩盤が、すべてを覆っているだけだ。
焚き火が本格的に起こされると、赤い光が岩肌に踊り出した。
揺れる影が人の輪郭を歪め、まるで別の生き物のように映る。
ぱちり、と薪が爆ぜる。
その音は、深い地の底で響く心臓の鼓動のように、静かに、確かに続いていた。
ここはダンジョン。
だが今だけは――束の間、命を預けられる場所だった。
◇
「見張りは一人ずつ、一時間交代だ。」
焚き火の前で、ガラートが短く告げる。
手にした紙片には、簡潔な順番が走り書きされていた。
無駄のない字が、この場所に慣れ切った彼の経験を物語っている。
「アリアの番のときは、俺が付き添う」
さらりと続いた一言に、空気が一瞬だけ止まった。
「えっ!?」
アリアが目を丸くし、思わず声を上げる。
「それじゃ二倍の時間になっちゃいますよ? 疲れますって!」
「気にすんな」
ガラートは肩をすくめるだけだった。
「眠気覚ましに、しゃべり相手がいた方が楽だ」
「……もう、そういう問題ですか?」
呆れたように頬を膨らませつつも、アリアは笑ってしまう。
その様子につられ、周囲からも小さな笑いがこぼれた。
張り詰めていた緊張が、焚き火の熱に溶けるように和らいでいく。
「じゃあ、少しでも休めるうちに寝よう」
漣司の落ち着いた声が、場を静かに締めた。
それぞれが荷から寝具を取り出し、岩床の上に広げていく。
鉄と煤の匂いが残る空間に、布が擦れる音だけが控えめに響いた。
焚き火の光が揺れ、赤と影が交互に人の顔を撫でる。
静寂の中で生きているのは、炎だけ――そんな錯覚すら覚える。
やがて、会話は途切れた。
岩の冷たさを隔てる寝具の上で、呼吸が少しずつ整っていく。
坑道の奥から、かすかな風の音が届く。
それは遠い地鳴りのようにも、眠りを誘う子守歌のようにも聞こえた。
ダンジョンの夜が、静かに幕を下ろしていく。
◇
時間が、静かに流れていた。
焚き火の炎が小さく揺れ、赤い光が岩壁をなぞる。
ミナが見張りを終え、ロイの前で足を止める。
「次、あんたの番。気を抜かないでよ?」
「任せとけ。……って、何その目は?」
「寝落ちしそうな顔してるから」
「寝ないわ!」
言い返すロイに、ミナは鼻で笑い、そのまま毛布に潜り込んだ。
焚き火は安定し、誰もが深い呼吸に入っている――そう見えた。
だが、その静寂を破ったのは、突然の悲鳴だった。
「う、うわあああああッ!!」
ロイの悲鳴が坑道を揺らした。
全員が跳ね起きる。
「ロイ!?」
ミナが跳ね起き、反射的に剣を抜いて駆け出す。
焚き火の向こう――ロイは、いくつもの影に囲まれていた。
白濁した眼。炭に焼け、腐敗した皮膚。
鉱夫の衣をまとった亡骸たちが、喉を鳴らしながら迫ってくる。
「アンデッド……!」
ガラートが眉をひそめる。
「ちっ……こいつら、炭鉱で命を落とした労働者の亡霊だ。
普段は四層以下にいるはずだが……この数は厄介だぞ。」
「なんで三層まで出てきてるのよ!」
ミナは即座に踏み込み、剣を振るう。
刃が亡霊の胴を断ち――だが次の瞬間、黒煙が蠢き、肉体が再生した。
「ちょ、待って、こいつら生き返るじゃない!」
「ならバラバラに叩き潰すだけダ!」
ガロウが咆哮し、巨大な斧を叩きつける。
轟音。岩壁に叩きつけられる三体。
だが――なおも、呻きながら立ち上がる。
「くっそ……これも効かねェのカ!」
「再生力が高すぎます!」
リュシアが叫ぶ。
ミナが歯を食いしばりながら、ロイを庇って下がる。
「数が多すぎる! 社長!」
漣司の命令が、迷いなく通る。
「全員、ロイを中心に円陣! 光、展開!」
後衛から、一歩――いや、半歩だけ前に出た影がある。
ルーチェだった。
彼女は目を閉じ、胸の奥で魔力を束ねる。
震える指で杖を握り、深く息を吸った。
「……闇に迷う魂よ」
声は静かだった。
だが、その一語一語が、坑道そのものを震わせる。
「主の光のもとに――還りなさい」
そしてその瞳が強く輝いた。
「――《聖光爆陣》!」
光が、爆ぜた。
視界を奪うほどの閃光。
聖なる奔流が奔り、亡霊たちを正面から呑み込む。
悲鳴が上がる暇すらなかった。
黒煙は焼き払われ、存在そのものが浄化されていく。
光が収まった時――そこには、何も残っていなかった。
静寂。
息を呑むほどの完全殲滅。
「…………」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
「……すごい……」
最初に声を漏らしたのは、アリアだった。
「これが……魔導士の、本気……」
「お見事です、ルーチェさん」
リュシアが、はっきりと拍手する。
ルーチェは我に返ったように、杖を胸に抱き締めた。
顔は真っ赤で、耳まで染まっている。
「い、いえ……皆のおかげにござる……
拙者は、ただ……守りたかっただけで……」
その言葉に、漣司は小さく頷いた。
この夜、二階堂商会の中で――
聖光の魔導士は、確かな存在感を刻み込んだ。
◇
だが、その安堵を打ち消すように――。
「ロイ!」
ミナの声が裏返る。
焚き火の光に照らされたロイの腕が、明らかに異変を起こしていた。
皮膚は黒ずみ、血管が不自然に浮き上がっている。
まるで内側から腐食が進むかのように、乾いた色へと変わっていく。
瞳もまた、焦点を失い始めていた。
「ダメ……ゾンビ化が始まってる!」
ミナは膝をつき、ロイの体を抱き起こした。
その手は震え、必死に体温を確かめる。
「ロイ! しっかりして! あんたまでアンデッドにならないで!」
「……あぁ……だ、大丈夫……まだ意識は……」
掠れた声。それを聞いた瞬間、ミナの表情が歪む。
「大丈夫じゃないでしょ!!」
叫びは、叱責ではなく――恐怖だった。
「誰か! 誰か何とかしてよ!」
その叫びに、ガラートが静かに前へ出た。
「落ち着け」
低く、腹の底から響く声だった。
その一言で、ミナの動きがぴたりと止まる。
ガラートはロイの腕を一瞥し、即座に判断する。
そして、視線を横へ。
「アリア」
「了解です」
アリアは鞄を開き、迷いなく一本の小瓶を取り出す。
淡い青光を放つ液体が、瓶の中で静かに揺れていた。
その手つきは落ち着いていた。
ポーションの栓を抜き、ロイの腕に丁寧に注ぎかける。
――じゅうっ。
浄化の音が、確かに響いた。
黒ずんでいた皮膚が、みるみるうちに元の色を取り戻していく。
「初期症状ですから、これくらいの量で充分ですね」
彼女の声は穏やかで、確信に満ちていた。
「三十分もすれば、すっかり良くなります」
ロイの体から、力が抜ける。
荒かった呼吸が徐々に落ち着き、やがて目を開いた。
「……ああ……助かった……」
その一言に、ミナの肩から一気に力が抜けた。
思わず、ロイの額に額をつける。
「……バカ……本当に、バカ……」
◇
ミナは、しばし言葉を失ったまま――
アリアとガラートを交互に見つめていた。
ついさっきまで、胸を締めつけるような恐怖に飲み込まれていたというのに。
当の二人は、まるで「よくある出来事」でも片づけるような顔をしている。
「な、なんで……なんでそんなに落ち着いてんのよ……!」
声が裏返り、悔しそうに唇を噛む。
「ロイがゾンビになるかもしれなかったのに!」
ガラートは焚き火に薪を一本くべながら、低く淡々と答えた。
「慌てたところで、状況は一つも好転せん」
ぱちり、と火花が弾ける。
「炭鉱じゃな、冷静さが命を救う」
それに続いて、アリアがにこやかに両手を腰に当てる。
「ほんとほんと。慣れっこですよ」
屈託のない笑顔。
「炭鉱って、呪い・怪我・ポーションが三点セットなんです。日常です!」
ミナは自分が取り乱したことに気づき、顔を真っ赤にする。
「な、なんであたしだけ焦ってるのよ……恥ずかしい……」
「お前のその反応よォ」
背後から、わざとらしく間延びした声。
ガロウが腕を組み、口元を歪めて笑っている。
「見てると、実におもしれェナ」
「なにがよ!」
「そっかそっかァ」
さらに一歩踏み込み、焚き火越しにニヤつく。
「ロイが心配だったのハ、恋愛感情ってやつか何かカ?」
「はあああ!? 今なんて言ったぁ!!?」
ミナがナイフを抜き、ためらいなく投げた。
ガロウの顔スレスレを掠め――びーん!と鋭い金属音を立て、
ナイフは背後の岩に深々と突き刺さった。
「っ……!」
ガロウの顔が青ざめる。
「コ、ココ、ダンジョンの中デ……今、お前が一番怖イ……!」
「もう一回言ってみなさい?」
ミナは笑っていなかった。一歩、また一歩と詰め寄る。
「ヒ、ヒィ!」
情けない悲鳴。
「じょ、冗談ダ!全部冗談!」
次の瞬間には、二人は取っ組み合いになっていた。
ガロウが逃げ、ミナが追い、焚き火の周りをぐるぐる回る。
「や、やめるでござるぅ!」
ルーチェが慌てて割って入り、必死に二人を引き離す。
「ここは休息所でござるよ!」
ガラートは頭をかき、ため息をついた。
「……度胸がありすぎるのか、緊張感がねぇのか」
漣司はこめかみを押さえ、そのまま顔を覆う。
やれやれ、と言わんばかりだった。
その時、ふらりとロイが体を起こした。
かすれた声で言いながら、焚き火越しに二人を見る。
「……お前ら、喧嘩する……元気があるなら……」
息を整え、
「交代で……見張り、頼む……」
沈黙。
そして次の瞬間――
「お前のせいよ!!」
「お前のせいダ!!」
声が重なり、同時に指を突きつけ合う。
笑いの渦の中、焚き火が再び穏やかに揺れた。
闇の奥では、まだ何かが蠢いていたが――
この夜だけは、彼らの絆の光が、確かにそれを押し返していた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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