第110章 第一層 ― 闇の入口、地の息吹
炭鉱都市オルテリア――眠れる資源の地。
だが地下深くには、街そのものを呑み込む危険なダンジョンが広がっていた。
資源確保と街の命運を賭け、
二階堂商会達は少数精鋭で未知の深層へと踏み込んでいく。
鉄の扉が、低く唸るような音を立てて開いた瞬間。
外気とは質の異なる冷えが、刃のように肌を撫でた。
炭鉱ダンジョン――
封鎖されて久しいその坑道は、光を拒むというより、
光を呑み込むことに慣れきった闇を湛えている。
奥へ続く空洞は、地の底へと喉を開けた巨大な生き物の腹の中のようだった。
ランプがひとつ、またひとつと灯される。
魔導灯の淡い光が連なり、八つの揺らめきが、
じわじわと闇を押し返していく。
石壁には無数の鉱脈が血管のように走り、
湿り気を含んだ空気に、鉄と硫黄の匂いが絡みついていた。
その先頭に立つのは、ガラート。
片手に提灯を掲げ、迷いのない足取りで坑道へ踏み込む。
「――ようこそ、第一層へ。オルテリアの地の門だ」
低く落ち着いた声。
だがそこには、警戒や誇示とは違う、どこか懐かしさを帯びた響きがあった。
「この層ぐらいなら、街の連中でも入る。ほとんど洞窟と変わらねぇからな」
歩きながら、彼は何気ない調子で続ける。
「出てくる魔物も、こっちに気づくと逃げる。人の匂いに慣れちまってるんだろ」
コン、と。
壁を拳で叩く乾いた音が坑道に反響する。
「俺に言わせりゃ――この一層は、庭みてぇなもんだ」
その言葉に、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「へぇ、庭ね」
ミナが口角を上げた。
闇の中でも分かるほど、どこか楽しげな表情だ。
「確かに……不覚にも、ちょっと懐かしいわ」
「懐かしい?」
ロイが思わず聞き返し、首を傾げる。
「似たようなとこに住んでたって、前に言ったでしょ」
「……ダンジョンに住むって発想が、そもそも普通じゃないからな」
ロイは乾いた笑みを浮かべる。ミナは肩をすくめ、
「人生、いろいろなのよ」
と、あっさり言い切った。
そんなやり取りの横で。
ガロウは露骨に顔をしかめ、鼻を鳴らした。
「オレはよォ……こう見えてモ、ジメジメしたトコロは嫌ェんだヨ」
筋骨隆々、傷だらけの体躯。
重装備を難なく背負い、荒事を絵に描いたような男のその一言に――
「その割に、もう汗だくだくですよねぇ」
アリアが笑いながら言うと、
「これは男ノ証ダ!」
ガロウが胸板を叩き、やけに堂々と言い放つ。
言葉の重さと、内容のどうしようもなさの落差。
あまりにも真顔で、あまりにも力強く。
誰かが吹き出し、それにつられて笑いが広がり、
気づけば坑道の奥まで反響するほどの笑声が弾けていた。
◇
天井から滴る水が、ぽた、ぽた、と一定の間隔で地面を打つ。
その音だけが、静寂の輪郭をなぞるように坑道に残っていた。
歩を進めるたび、靴底が湿った石を踏み、鈍い感触が返ってくる。
だが、緊張感はまだ薄い。
ここが第一層であることを、空気そのものが教えてくれていた。
アリアは一行のやや前方を、ほとんど跳ねるような足取りで進んでいる。
腰のポーチから取り出した小瓶を掲げ、内部で揺れる淡い光に目を凝らしていた。
「……すごい……」
思わず零れた声は、感嘆そのものだった。
「この空気。魔素濃度がすごく安定してます。澱みも偏りもない……」
小瓶の中の反応が、ゆらりと穏やかに揺れる。
「こんな環境、上層じゃもう本当に珍しいのに」
言葉と一緒に、頬がわずかに紅潮する。
研究者としての顔というより、初めて洞窟に入った子供のような無邪気さが、
素直に表に出ていた。
「皆で探索できるなんて……夢みたいです!」
声が弾み、ランプの光が小さく揺れる。
「はしゃぎすぎるなよ」
すぐさま、ガラートの低い声が飛んだ。
「ピクニック気分でいられるのは、最初のうちだけだ」
言葉自体は釘を刺すものだが、語調はどこか穏やかで、
まだ大丈夫だという含みを隠していない。
「は、はいっ!」
アリアは即座に背筋を伸ばし、慌ててランプを両手で抱え直した。
ぴしっとした所作が、かえって微笑ましい。
そのすぐ後ろに、ルーチェが静かに歩み寄る。
彼女の灯す光は、柔らかく、しかし確かな強さで闇を押しのけていた。
「安心召されよ」
穏やかな声が、坑道に溶ける。
「拙者の光が届くかぎり、闇は寄りつけませぬ」
揺らめく光が壁を照らし、
黒い影は、まるで遠慮するかのように後ずさる。
「ありがとう、ルーチェさん!」
アリアが振り返って笑う。
その笑顔に、周囲の空気まで明るくなったような錯覚を覚える。
まだ第一層。もちろん危険はあるが、致命的ではない。
気を抜きすぎるには早いが、構えすぎる必要もない。
そんな微妙な均衡の上に成り立つ、気楽な時間が、
坑道の奥へと、ゆっくり流れていっていた。
◇
進むにつれ、灯りの届く範囲が広がり、
前方の坑道はゆるやかに口を開いていった。
天井は高く、壁は人の手で削られた痕跡をはっきり残している。
自然洞窟というより――明確に炭鉱として整えられた通路だった。
壁面には古い採掘の溝が幾筋も刻まれ、
折れた支柱の名残や、錆びついて赤黒く変色した
ツルハシが無造作に立てかけられている。
車輪の外れた台車が横倒しになり、かつての労働の気配だけが静かに眠っていた。
地面はぬかるみ、靴底が沈むたびに、ぐちゃり、
と水と泥の混じった音を立てる。
だが足場は安定しており、滑落や崩落の気配はない。
ここが長年、人の往来を前提として使われてきた場所であることが、歩くだけで分かる。
「しかし……」
リュシアが周囲を見渡し、わずかに眉を寄せた。
「これほど静かなのも、少々妙ですね」
足音と水滴の音しかない坑道。魔物の気配も、物音もない。
「魔物がいないというのは、むしろ不自然です」
「ああ」
ガラートが即座に応じる。
「あいつらは俺たちの気配を感じて、奥に引っ込んでるだけだ」
彼は何でもないことのように言った。
「弱い奴ほど影に隠れるもんだ。ここは人の匂いが濃いからな」
そして、少しだけ声を落とす。
「……ただし、油断はするな。臆病者の中に、たまに牙を研ぎ続けてる奴もいる」
脅しというより、経験談だった。
ミナは軽く剣を抜き、周囲を一巡させる。だが構えは深くない。
「了解。……でも、確かに空気が変わってきたね」
「そうだな」
ロイも頷き、壁に触れて感触を確かめる。
「この辺りはまだ排水が効いてるが、それも深層までは続かないだろう」
ルーチェが杖を振り、光を一段階強めた。
淡い輝きが坑道を満たし、壁の奥で、金色を帯びた鉱石がわずかに反射する。
「……これは?」
ロイが足を止め、覗き込む。
「オルテリア鉱ですか?」
「いや」
ガラートは首を横に振った。
「それは表層の鉄石だ。質はいいが、値は張らねぇ」
彼は歩きながら続ける。
「第一層なだけに、鉱石も魔石も期待できねぇ。
本命は、もっと深いところだ。人が簡単に踏み込めねぇ場所にな」
ミナが肩を回し、軽く息を吐く。
「つまり、ここはまだ準備運動ってわけね」
「そういうことだ」
ガラートは口の端を上げる。
「ここまでは、観光みたいなもんだ。危険もあるが、命を取られるほどじゃねぇ」
そう言ってから、彼は一拍置く。
視線を、坑道のさらに奥――灯りの届かない闇へ向けた。
「だが」
声が、わずかに低くなる。
「ピクニック気分が続くのは、ここまでだ」
第一層は、安全だ。
だからこそ――その先に待つ違いが、はっきりと際立つ。
◇
やがて一行は広い空洞に出た。
天井は高く、中心には古い昇降機の跡が残っている。
鎖が切れ、錆びついた滑車が風にかすかに鳴いた。アリアが駆け寄って点検する。
「ここが……二層への降下口ですね」
「その通りだ」
ガラートが頷く。
「昔はここから物資を運んでた。だが今は、下の層が崩れてる」
彼は壁を叩くと、ゴン、と鈍い音が響いた。
「崩落してても、別の通路がある。……ほら」
彼がランプを向けた先には、狭い脇道が口を開けている。
黒く、息を飲むような闇が、そこにじっと佇んでいた。
「ここから先が二層の入り口だ。」
全員が息を詰める。
ランプの明かりが届く範囲は限られ、空気がぐっと重くなる。
ロイが剣を抜き、光を反射させながら言った。
「まるで地の底が、こっちを見てるみたいだ」
「そりゃあ、見てるんだよ」
ガラートが肩越しに言う。
「地の底は、生きてる。俺たちを試してるんだ」
漣司が前に出て、全員を見渡す。
「ここで一度、装備と魔力の確認を行う。この先は、もう後戻りが容易ではない」
その声は静かでありながら、確かな重みを帯びていた。
アリアが小瓶を抱え、頷く。
「準備万端です……みんなで、帰ってきましょう!」
ルーチェが微笑んで彼女の肩に手を置く。
「無論でござる。光の道は、我らが照らす」
ミナが剣を軽く振り、ロイが頷いた。
「よし、行きましょう」
漣司は小さく息を吐き、二層への闇を見据えた。
「……二階堂商会、前進開始。次の一歩が、この街を変える」
足音が重く響き、地の奥へと消えていった。
その瞬間、上層の空気が一瞬震えたように感じた――
まるで地の心臓が目を覚ます前触れのように。
光が届かぬ深淵で、彼らを待つものとは。
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