第109章 地の門を開く ― 潜入前夜
交易路を切り拓き、湖上都市ラクリアを再生させた武装法人二階堂商会。
だが商会の資金基盤は万全ではなく、次なる一手が求められていた。
彼らが向かうのは、ダンジョン化により衰退した
炭鉱都市オルテリア――眠れる資源の地。
失われた街を再生し、商会と大陸の未来を繋ぐ、新たな挑戦が始まる。
オルテリアの夜は、相変わらず重く、深い静寂に沈んでいた。
日中に戻りつつある賑わいが嘘のように、日が落ちると街は息を潜める。
家々の灯が一つ、また一つと消えていくたび、
闇はゆっくりと街路を侵食していった。
その静寂を破るのは――遠く、炭鉱の方角から伝わってくる、低く鈍い音。
ゴ……ゥ……
まるで地そのものが唸っているかのような、不規則な響き。
地鳴りとも、風鳴りともつかないその音は、
耳ではなく腹の奥に直接触れてくる。
それは、地の底に巣食う何かが、確かに存在し、確かに――
呼吸している証のようでもあった。
二階堂商会の面々は、その異様な鼓動を背に感じながら、
黙々と準備を進めていた。
武具の手入れ、魔導具の点検、物資の再確認。誰一人として無駄口を叩かない。
これは単なる調査ではない。
街の未来を左右する一歩であり、オルテリア再生の核心へ踏み込むための夜だ。
静まり返った空の下、彼らはそれぞれの覚悟を胸に秘め、
来たるべき深淵を見据えていた。
◇
旧ギルド――今ではガラートの拠点となったその一室。
壁際には古地図と炭鉱時代の記録文書が積み上がり、
机の上には幾度も書き込みと修正を重ねられた探索図が広げられている。
ランプの明かりが揺れ、紙の影が迷宮のように重なった。
ガラートは椅子に深く腰を下ろし、低く息を吐いた。
「……いいか。どれだけ準備しても、完璧なんてのはねぇ。
ダンジョンってのは、そういう場所だ」
その声音には、経験に裏打ちされた重みがあった。
ルーチェは背筋を正し、静かに頷く。
「心得ておりまする。拙拙者も修行時代、幾度か潜りましたが――
あれは生きた迷宮。人の理が、そのまま通じる場ではありませぬ」
「そうだ。」
ガラートは短く肯定し、机に肘をついた。
「理が通じねぇ。罠も、魔物も、構造そのものもな。
……だからこそ、理を理解して動ける人間が必要なんだ」
視線が、自然と漣司たちに向けられる。
「だがな、今回の探索は数で押すもんじゃねぇ。
俺たちはあくまで侵入者だ。
ダンジョンの主は、今もあの地下に巣食ってる魔物どもだ」
ガラートは指で地図の深層を叩く。
「人数が増えりゃ、それだけ気配も、魔力も、音も増える。
――つまり、気づかれる可能性が跳ね上がる」
「つまり、少数精鋭で、というわけですね。」
リュシアの問いに、ガラートは頷いた。
「そうだ。八名――これ以上はいらねぇ。」
その視線が、一人、また一人と順に巡っていく。
二階堂商会の六名。
そして、自身。
さらに――まだ名を告げていない、もう一人の存在へ。
ガラートは一拍置き、低く言った。
「……紹介しよう」
◇
ガラートが言葉を切った、その直後だった。
――どたん!
彼の背後から、小柄な影が転がり出る。
白衣の裾を思いきり踏み抜き、足がもつれ、勢いそのまま床へ――盛大な前転。
「きゃあああっ!」
乾いた悲鳴と同時に、机の上のランプが大きく揺れた。
積み上げられていた地図と文献が宙を舞い、紙片がひらひらと降り注ぐ。
室内が一瞬、凍りつく。
ガラートはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「……おいおい、アリア! 登場の仕方を考えろっての!」
「ひゃ、ひゃいっ! す、すみませんっ!」
床に突っ伏していた少女が、ばね仕掛けのように跳ね起きる。
慌てた拍子に、髪に挟まっていた羽ペンがぱさりと落ち、
それを慌てて引き抜いた。
年の頃は十代半ば。
大きめの白衣に細い体が埋もれ、栗色の髪は寝癖混じり。
丸い眼鏡の奥の瞳だけが、やけにきらきらと落ち着きなく動いている。
「は、はじめましてっ! アリア・レーンと申しますっ!
考古学専攻で、オルテリア炭鉱の歴史的構造と崩落記録、
それからダンジョン化の経緯をずっと調べていて……
えっと、その……よろしくお願いしますっ!」
一息でまくし立て、深々と頭を下げる。
その勢いに、ミナが思わず吹き出した。
「ふふ……元気というか、慌ただしいというか。ねえ、あんた……戦えるの?」
「せ、戦闘は……正直、得意じゃありませんっ!」
アリアは即答し、だが次の瞬間、胸を張った。
「でもっ! アイテム調合ならお任せください!
回復薬、魔力回復、解毒、麻痺解除……簡易バフ系も少々!
それと――あとは、ちょっとした爆薬も!」
「……爆薬?」
ロイが思わず眉を上げる。
アリアはこくこくと頷いた。
「はい! 坑道の瓦礫除去用です! ちゃんと安全計算はしてますっ!」
その様子を見て、ガロウが腕を組み、大きくうなずいた。
「おお、道具屋と錬金屋を一人でやるってワケか。見た目より、だいぶ頼もしいナ!」
「えへへ……」
褒められた途端、アリアは照れ笑いを浮かべ、
反射的に机へ向かって書き物を始める。
だが、その動きはどこか危なっかしい。
椅子に引っかかってよろめく。書類を落とす。
拾おうとして、別の紙束を引き抜く。
――だが、その「失敗」が、不思議と意味を持つ。
落とした書類の下から、探していた坑道断面図が現れる。
転んだ拍子に触れた地図の一点が、崩落区画の盲点を示している。
羽ペンの先が、偶然にも重要な注記を指し示す。
それは偶然にしては、出来すぎていた。
まるで、次に必要になるものを先に知っているかのような動き。
ガラートが彼女を助手として連れてきた理由――
そして彼女を、半ば呆れ、半ば畏れてこう呼ぶ理由。
「……だから言ったろ」
ガラートが肩をすくめる。
「こいつはドジだ。だが同時に、感の化け物だ。」
アリアはきょとんと首をかしげた。
「え? ほ、褒めてます……よね?」
その一言に、室内の空気がふっと緩む。
こうして――
オルテリア・ダンジョン攻略隊、最後の一人が姿を現した。
◇
「さて」
ガラートが立ち上がり、炭鉱の地図を広げる。
「潜るのは明日の夜明けだ。最初の目標は、第一層の地上接続路の確保。
探索隊の構成はこの八名。残りは地上の補給線だ」
漣司が腕を組み、静かに問いかける。
「補給線は、信頼できる人間で構成してあるんだな?」
「ああ。心配すんな」
ガラートは指を鳴らした。
「外との連携は命綱だ。補給が途絶えた瞬間、ダンジョン探索は死に直結する。
だからこそ、地上には俺の古い仲間を配置した。
この街に今も残ってるくらいだから、義理堅ぇ連中だ。裏切りはねぇ」
ミナが小さく呟く。
「けど、結局ダンジョンの中じゃ、自分たちを守れるのは自分だけ、ってことね」
「その通りだ」
ガラートは真顔で頷く。
「覚えとけ。ダンジョンでの脅威は魔物だけじゃねぇ。
弱い味方もまた、命取りになる。……外の人間も例外じゃねぇ」
重い空気が一瞬流れた。
だが、漣司はそれを切り裂くように静かに微笑んだ。
「心配には及ばない。――私たちも保険をかけている」
その言葉に、ガラートが片眉を上げる。
「保険?」
「外に残っている二階堂商会の社員たちがいる。彼らは訓練を積んだ現場のプロだ。
我々が戻るまで、地上の流通と警戒を維持してくれる」
ロイが続ける。
「バルメリアでも、ラクリアでも。二階堂商会は現場で動ける組織として築き上げてきた。地上を任せるには十分な布陣です」
「……へぇ。頼もしいじゃねぇか」
ガラートは笑い、煙草に火をつけた。
「お前ら、ただの商人じゃなかったな」
煙越しに、鋭い目が光る。
「――戦う商人、か」
その言葉に、蓮司は小さく息を吐いた。
否定もしない。誇示もしない。ただ、事実として告げる。
「俺たちは――」
静寂が落ちる。全員の視線が、彼に集まった。
「武装法人二階堂商会だ」
◇
夜はさらに深まり、二階堂商会の拠点には、静かな緊張が満ちていた。
全員がそれぞれの持ち場で、最終確認に入っている。
ルーチェは壁際に並べた魔法具の前に膝をつき、魔力の流れを一本ずつ確かめるように調整していた。指先が触れるたび、淡い光が瞬き、結界の安定を示す。
リュシアは机に広げた帳簿と木箱を往復しながら、補給品の数を淡々と書き留めていく。無駄も不足も許さない、実務の顔だ。
ガロウは無言のまま、全員の装備を順に手に取り、留め具や刃こぼれを確認していく。鎧に拳を当てる乾いた音が、夜気に響いた。
その少し離れた一角。
ミナとアリアの周囲だけ、異質な賑やかさがあった。
机の上には、フラスコ、乳鉢、色とりどりの粉末。
アリアは白衣の袖をまくり、慣れた手つきで調合を進めている。
動き自体は忙しなく、今にも何かを倒しそうなのに――
手順だけは驚くほど正確だった。
「ねぇ、これ、何に使うの?」
ミナが手に取ったのは、掌に収まる小さな球体。
アリアはびくっと肩を震わせ、慌てて振り向く。
「そ、それは煙幕玉です! 地面に投げると、
瞬時に濃い煙が広がって、敵の視界を完全に遮ってくれます!
風向きによっては、かなり――」
早口で説明しながら、アリアは身振り手振りで煙の広がり方を示す。
知識を語るときだけ、目がきらりと輝くのが印象的だった。
「へぇ、面白い」
ミナは感心したように頷き、にやりと笑う。
「……ねぇ、それ、私にも一つちょうだい?」
「だ、だめですっ!」
即答だった。
「危険ですから! 投げ方を間違えると、自分たちが見えなくなりますし、
密閉空間だと呼吸も――あっ、えっと、その……」
途中で我に返り、アリアは赤くなって口を押さえる。
慌てる様子は相変わらずだが、その言葉には、
現場を知る者の実感がこもっていた。
「……ふふ、真面目ね」
「ま、真面目ですから! 命に関わることですし!」
そのやり取りに、周囲から小さな笑いがこぼれる。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
アリアは照れ隠しのように再び調合に戻る。
乳鉢を取り落としそうになりながらも、寸前で支え、
こぼれた粉末が偶然にも最適な配合量になる。
――やっぱり、運がいい。
いや、ただの運ではない。
ドジと紙一重の動きの裏で、彼女は必要な結果だけを、確実に引き当てている。
新顔の少女は、まだ場に溶け込みきってはいない。
それでもこの夜、二階堂商会の一角に、
確かな役割として存在感を刻み始めていた。
◇
夜明け前――。
街の端、崩れた炭鉱跡の入口に、八つの影が立っていた。
霧が薄く流れ、奥から冷たい風が吹く。
古い坑道の扉が軋む音は、まるで地の門が再び開く音のようだった。
ガラートが振り返る。
「ここから先は、命の保証はねぇ。後戻りしたくなったら、今のうちだぞ」
ミナが肩を竦める。
「今さら怖気づくわけないでしょ」
「当然です」
ロイが微笑む。
「俺たちはここまで来た。後は進むだけだ」
漣司は一歩前に出て、扉に手をかけた。
その背に、朝日が差し込む。
「二階堂商会、進行を開始する」
重い鉄扉がゆっくりと開き、地の底から、
冷たい空気と共に闇の息吹が吹き上がった。
炭鉱ダンジョン――封鎖された地の扉、ついに開く。
光と闇が交錯する真の探索が、ここから始まる。
お付き合いいただき、ありがとうございます。ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
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