第106章 再生の序章 ― 動き始めた市場
交易路を切り拓き、湖上都市ラクリアを再生させた武装法人二階堂商会。
だが商会の資金基盤は万全ではなく、次なる一手が求められていた。
彼らが向かうのは、ダンジョン化により衰退した
炭鉱都市オルテリア――眠れる資源の地。
失われた街を再生し、商会と大陸の未来を繋ぐ、新たな挑戦が始まる。
オルテリアの街に、ようやく一筋の風が通り抜けた。
それは、炭鉱の奥底から吹き上げる煤けた冷気ではない。
石畳に溜まった沈黙を押し流し、人の足音と声を運び、
止まっていた歯車を、きしみながらも再び回し始める――
確かに動き始めた経済の匂いを孕んだ風だった。
その中心にある名は、ひとつ。
――二階堂商会が、市場に参入したのだ。
それは単なる商人の流入ではない。止まっていた信用に、価値を与え、
滞っていた流通に、意味を与える行為。
オルテリアはまだ傷だらけだ。
だが――街は、確かに息を吸い始めていた。
再生の兆しは、静かに、しかし確実に広がっていく。
この市場から、すべてが始まろうとしていた。
◇
旧ギルドでの協議から、わずか数日。
ガラートの根回しと二階堂商会の動きが噛み合い、
オルテリア議会の中でも、特に商人層が静かに、しかし確実に動き始めていた。
街の広場――
長らく風雨に晒され、骨組みだけが虚しく残っていた露店跡に、再び木材が組まれていく。
釘を打つ音、布を張る音、そして荷馬車の車輪が石畳を噛む、懐かしい軋み。
それらが重なり合い、街は少しずつ市場の音を取り戻していた。
「……見ろ、あの通りだ」
大通りの角。
ガラートは腕を組み、広場を見下ろすように呟く。
「たった数日で、ここまで空気が変わるとはな。
二階堂商会ってのは……まるで風の起点みたいな連中だ」
皮肉とも、感嘆とも取れるその言葉に、漣司は隣でわずかに口元を緩めた。
「我々は、ただ仕組みを流したにすぎない」
視線は広場へ。人と物と金が、ゆっくりと循環し始めている。
「金も物資も、淀みに溜まれば腐る。
だが流れを作れば、人は動き、街は息を吹き返す」
理屈は冷静だが、その背には確かな手応えがあった。
広場の中央では、即席の取引所が設けられている。
粗末な木机の上に帳簿が広げられ、商人たちが列を成していた。
リュシアとロイ――
二人は、まるで長年ここにあったかのような自然さで、その場を回している。
「次、麦粉三樽の卸し。取引相手は?」
「レアンド商会です、昨日の便で北から持ってきた分ですね」
「確認済み」
リュシアが眼鏡を押し上げ、帳簿に視線を落とす。
羽根ペンが走る音は、驚くほど滑らかだ。
「信用度B。支払期日は一週間後。条件妥当――契約締結で」
止まることなく、書き終える。
「処理完了。次の方」
その一連の流れに、周囲の商人たちは思わず息を呑んでいた。
「おい……今の見たか?」
「計算も判断も、早すぎる……」
「リュシアって言ったか? バルメリアから来たらしいぞ」
「冗談だろ……魔法みたいじゃねぇか」
小声のざわめきが、自然と広がっていく。
だが、その異常な手際こそが、商人たちに安心を与えていた。
一方、露店の並ぶ一角では、まったく違う熱気が生まれている。
「はいはい、値切りは一回まで!
でも今なら――二袋目、半値よ!」
ミナの声が、明るく響いた。
「本当か!? 嬢ちゃん、太っ腹だな!」
「でしょ? 商談は楽しく、がモットーなの♪」
笑い声。冗談交じりの掛け合い。袋を受け取る手の温もり。
それらが、確かに人の営みとして、この街に戻ってきていた。
かつて死んだように静まり返っていたオルテリア。
今はまだ小さな音だ。だが、そのひとつひとつが、沈黙を確実に打ち破っていく。
市場は、再び動き始めた。
そしてこの場所から――オルテリア再生の鼓動が、街全体へと広がっていくのだった。
◇
一方、炭鉱地区の外縁――
夕暮れに染まり始めた岩肌の道を、荷馬車の列がゆっくりと進んでいた。
軋む車輪の音。
揺れる幌の隙間からは、麦袋や干し肉、封箱された魔導素材が覗く。
かつてなら、ここを通るだけで命懸けだった道だ。
だが今、その先頭と最後尾を挟むように、二つの影が歩いている。
ガロウとルーチェ――拳と光の護衛だ。
「オイ、ルーチェ」
ガロウが顎で荷馬車の御者たちを示す。
彼らの背中は、以前よりも明らかに伸びていた。
「コイツらの顔色、すっかり変わったナ」
怯えを貼り付けた表情は消え、
そこにあるのは――仕事をしている人間の顔。
「左様でござる」
ルーチェは柔らかく目を細める。
杖の先に宿る光が、微かに揺れ、周囲の瘴気を静かに押し退けていた。
「恐れに覆われし瞳に、再び光が宿る。
まこと、希望が芽吹く兆しに他なりませぬ」
その言葉に、ガロウは腹の底から笑った。
「希望かァ……」
拳を握り、ゴツンと鳴らす。
「そういうモンはナ、背中押す奴がいて、初めて燃え上がるンだヨ」
歩調を合わせながら、豪快に言い切る。
「オレらは、その火打石ってワケだ!」
「……ふふ」
ルーチェは小さく笑い、頷いた。
「火打石、誠に良き喩え。ならば拙者は――
その火が消えぬよう、灯火を護る光となりましょう」
次の瞬間。ルーチェの光が、ふっと強まる。
道端の岩陰に滞留していた瘴気が、音もなく霧散した。
「お、気ィ利くナ!」
「護衛任務にては、これも務めにござる」
二人のやり取りの背後で、荷馬車は確実に進んでいく。
積まれているのは――
ガラートの交渉によって得られた、街の正式な流通許可による第一便。
密売でも、強奪でもない。
正規の契約。正当な価格。そして、確かな安全。
二階堂商会が仲介したことで、オルテリアには再び――
「物が、正しく流れる」
その当たり前が戻りつつあった。
御者の一人が、振り返って声を上げる。
「兄ちゃんたち、助かるよ!
こんな安心して走れるなんて、何年ぶりだ!」
「ハッ、礼は街が元気になってからにしナ!」
「道中、何事も起こさせませぬゆえ」
拳と光。豪胆と静謐。
二つの力が並び立つその背中は、
炭鉱地区に――確かな再生の道筋を刻んでいた。
荷馬車の影が伸びる先。そこにはもう、闇だけではない未来が待っている。
◇
その日の夕刻、オルテリア中央市場。
屋根付きの広場に、地元の商会主たちが顔を揃えていた。
数年前までは競い合う関係だった者たちが、今では互いに顔を見合わせ、
どこか安堵の笑みを浮かべている。
「……驚いたよ。」
その中の一人、長い髭をたくわえた男が言った。
「二階堂商会が入ってきてから、物の値段がまともに戻ってきている。
あの混沌の中で誰も信じられなかったのに、今は取引の証文が通じる」
「最初は怪しい連中かと思ったけどな。ふたを開けりゃ、きっちり筋を通す」
「帳簿も公開してるって話だ。あれは真似できねぇ」
ミナが後ろからひょいと顔を出した。
「でしょ? うちの商会は世界一よ!」
「おいおい、自画自賛かよ」
ロイが笑う。
「だって事実だもん♪」
そこに漣司とガラートが現れた。
周囲の商人たちが一斉に姿勢を正す。
「今日ここにいる全員が、オルテリアの再生を担う仲間だ」
漣司の声は静かだが、確かな響きを持っていた。
「我々二階堂商会は、取引の公平と透明を保証する。
利を独占するためではなく、流れを守るために存在する」
その言葉に、ざわめきが静まり、誰もが真剣な顔になる。
ガラートが頷いた。
「こいつらの言う通りだ。この街を立て直すには、まず信を戻すことだ。
信がなけりゃ金も流れねぇ。金が流れなきゃ街も動かねぇ。
――信頼の商いが、すべての礎だ」
その一言に、誰かがぽつりと拍手をした。
やがてそれが波のように広がり、会場を包む。
◇
夜。
二階堂商会の宿舎の窓からは、遠く市場の灯が見えた。
屋台の明かり、荷馬車の列、そして人々の話し声。
ほんの数日前まで、ここには静寂と絶望しかなかった。
ミナが窓辺に腰掛け、外を眺めながら笑った。
「……ねぇ社長。やっぱり街が息をする音っていいね」
「そうだな」
漣司は湯を啜りながら答えた。
「商いとは、血の流れだ。滞れば腐る。流せば、命が宿る」
ロイが手帳を閉じて言う。
「ですが、ここからが本番ですね。炭鉱の問題を片付けなければ、本当の再生にはならない」
「その通りだ」
漣司が頷く。
「だが、その前に人の流れを戻せた。
それができる組織は、この街にはもう我々しかいない」
ガロウが壁にもたれながら笑う。
「コレで街の連中も見直しただロ。オルテリアを救う商会ってヤツにナ!」
ルーチェが柔らかく笑った。
「人の心が灯れば、闇も退く。それが商いという名の光でござろう」
部屋に静かな笑い声が広がる。
外では夜風が屋根を撫で、どこか遠くから子どもの歌声が微かに聞こえていた。
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