第101章 上に立つ者の義務 ― 漣司&リュシア
交易路を切り拓き、湖上都市ラクリアを再生させた武装法人二階堂商会。
だが商会の資金基盤は万全ではなく、次なる一手が求められていた。
彼らが向かうのは、ダンジョン化により衰退した
炭鉱都市オルテリア――眠れる資源の地。
失われた街を再生し、商会と大陸の未来を繋ぐ、新たな挑戦が始まる。
煤けた宿の一室に、臨時の執務机が据えられた。
欠けた天板の上には、地図、伝令書、試算表、そしてラクリア議長の紹介状の写し。
暖炉の火が紙端を揺らし、煤の匂いが目に沁みる。
「――次。カストリア駐在からの週報だ」
漣司は封蝋を割り、手早く目を走らせる。
「市民向け価格表の刷新、効果あり。必需品の価格が底打ち。新設の無料診療所は行列、だが供給が追いつかない……ふむ。薬草はラクリアからの便が細い分、品薄か」
「補助金より物流の問題ですね」
リュシアが即座に言い、別紙に要点を書き写す。
「診療所の稼働時間を短縮して集中受付制に。人員は民間ボランティアで補い、代わりに食券を配布。食券の裏は安全な水と衛生の啓蒙にして――」
「いい。現場判断で実行許可。必要予算はラクリアの黒字から振り替えろ」
「承知しました」
扉が小さく叩かれる。
「失礼します、社長!」
埃まみれの若い社員が、バルメリアからの伝令鞄を抱えて入ってきた。緊張で喉が鳴る。
「ご苦労。暖を取れ。――報告は口頭で要約、その後文書提出」
「はっ。市議会との協定は順調。開放市場自由市は週二回開催、来訪商団は前月比一・四倍。治安は概ね良好、ただし夜間のスリ被害が散発……」
「自由市の整備員を二割増やせ。露天位置のグリッドを厳密に。通路幅を広げ、巡回ルートに盲点を作らない」
「了解です!」
伝令が下がると、漣司はまた一通、封を切る。
「……ラクリアの新税制は受け入れられた。議長の手腕も確かだ。――問題は、ここオルテリアだな」
窓の外では、荒れた通りを風が横切り、空き瓶が転がる音がした。
物乞いの声、遠くで怒鳴り合う声、
鍋の空を擦る金属音――都市の飢えが混じり合っている。
「社長、休憩を。もう三時間近く座りっぱなしです」
「構わない。――組織が大きくなれば、守るものも増える。それは上に立つ者の当然の義務だ」
リュシアの手が一瞬止まり、そっと視線を落とした。
「……その重さを、少しでも分けてください。オルテリアの方針決定は、私が先に案を固めます」
「任せる。ただし条件がある」
「条件?」
「現地の痛みを数字で均さないことだ。数字は嘘をつかない。
だが、人間は数字にさせられないもので動く」
リュシアは小さく笑い、すぐ真顔に戻った。
「心得ています。だからこそ、帳簿と街路、両方を見ます」
「よし」
漣司はオルテリアの地図を広げ、黒鉛筆で外周に丸を描く。
「当面の優先順位は三つ。
第一に宿と食の安全。第二に夜間の警戒導線。第三に信頼できる案内人。
――封鎖区域はまだ見ない。街の表層が整わなければ、底は覗けない」
「補給は……水と塩、乾燥肉、簡易灯。
価格が乱高下しています。私の試算では、三日以内に価格指標を掲示できれば、暴騰は止まります」
「指標は武装法人二階堂商会の名で出すな。宿通り組合の名前を借りろ」
「看板貸し、ですか」
「いま、この街に必要なのは外の正しさではなく内の納得だ」
「……なるほど。では私は、組合長に話を通します。相手は数字より顔を見ますものね」
「頼んだ」
リュシアが立ち上がりかけて、ふと振り返る。
「社長。――眠らずに走るのは、美徳ではありますが、倒れたら終わりです」
「倒れないさ。倒れるようでは、まだ上には立てない」
「言うと思いました」
彼女は苦笑し、歩みかけ――一度だけ足を止めた。
「私、オルテリアの会計暫定責任者を自任します。
社長の負担を減らすのが、いま私にできる最大の仕事です」
「頼もしいな、リュシア」
短い言葉に、確かな信頼があった。
◇
夕刻。
即席の執務室に、簡素な夕食が運ばれる。
灰汁の強い野菜スープと固い黒パン。それでも、温かい。
「食べながら報告する。――カストリアには、診療所体制の集中受付を。
バルメリアは自由市のレイアウト修正。
ラクリアは交易路維持費を森の番人基金で捻出、名目は『道路安全寄付』だ。
寄付は人の善性を引き出す」
「基金の管理は、第三者監査を。私が監査員の養成も見ます」
「頼む」
暖炉の火が小さくはぜた。
リュシアはスープを啜り、顔をしかめる。
「……すみません。しょっぱい」
「塩が商売なのだろう」
「ええ。――それも、今日中に少しは是正してみせます」
彼女は席を立つと、茶色の外套を羽織った。
「宿通り組合へ行ってきます。ついでに灯油の仕入れ先も調べます。
商人は灯りと影で、嘘をつくので」
「待て。夜は荒れている。俺も行く」
「ですが――」
「こういう街では、顔を出すことが信を得る。
上の顔が現場にいると知るだけで、言葉の重さが変わる」
リュシアは一拍置き、素直に頷いた。
「……わかりました。では、二人で」
◇
宿を出ると、夜は早すぎる暗さで落ちていた。
路地の角で、痩せた子供が空の器を抱えて座っている。
リュシアが立ち止まり、懐から小さな硬貨を取り出した。
「……ごめんなさい。いまはこれしか、できない」
子供は無言で受け取り、去っていく。
漣司は、彼女の横顔を横目で見た。
「悔しいか」
「ええ。数字はいくらでも整えられるのに、目の前の空腹を満たせない自分が、悔しい」
「だから、整えるんだ。明日の空腹が今日より軽くなるように」
「はい」
足早に二人は通りを歩く。灯の乏しい街で、ふたりの足音だけが等間隔に響いた。
◇
宿通り組合の古い事務所。
煤けた看板の下、年配の組合長が煙管をくゆらせていた。
「値札? 相場? よそ者が口を出すこっちゃない」
第一声は、拒絶だった。
リュシアは一歩前へ出て、静かに頭を下げる。
「値を決めるのはあなた方です。ですが、闇雲な高値は明日の客を殺します。
――今日より明日、少しだけ良くなると示す数字。それが相場です」
「きれいごと言いやがって。喰えなきゃ、明日はねぇ」
「だからこそ、です」
彼女は帳簿を開き、手際よく走り書きする。
「いまの人通り、夜間の盗難率、在庫と入荷周期――
三日間だけ指標を置きませんか。強制ではなく目安。
それで、暴騰が止まれば、あなた方の商売は敵を作らずに済む」
組合長は煙管を外して、漣司をちらと見る。
「……で、あんたは何者だ」
「街路の整備と治安の分担を買う雇い主だ。
俺たちの名は出さなくていい。看板はあなた方のものにする」
「看板貸すのは、悪くねぇ話だが……信用ならねぇ」
「信用は、時間で買うものだ。
三日間の目安が機能したら、灯油と塩の共同仕入れを仲介しよう。
価格は俺が固定する。――損は出させない」
沈黙。
煙の向こうで、組合長の目がわずかに細くなった。
「……三日だ。三日で結果を見せろ」
「ありがとうございます」
リュシアは深く頭を下げた。外へ出ると、夜風が冷たい。
彼女は吐く息を見つめて、ぐっと拳を握った。
「社長。三日で目安を、街の約束に変えてみせます」
「頼むぞ」
◇
宿へ戻る道すがら、彼方――炭鉱の方角で、かすかに紫の光が瞬いた。
禍々しく、しかし誘うような鼓動。リュシアがふと足を止める。
「……あれは」
「近づくな。まだ、街の表層が整っていない」
「はい」
彼女は視線を下ろし、歩みを速めた。
◇
深夜。
臨時執務室の暖炉は小さな火だけになった。漣司は最後の伝令書に指示を書き込む。
「――各地の施策、続行。オルテリアは目安、灯、見張り。三つの柱で三日間、揺らすな」
ペン先が止まる。窓の外で、遠く犬の遠吠えがひとつ。
「上に立つ者の義務、か」
独り言のようにつぶやき、彼は椅子の背にもたれた。
机の端には、リュシアが整然とまとめた明日の段取り表。
その隣に、小さく折りたたまれた紙切れ――
「食べたら寝てください」とだけ記されている。
漣司はわずかに笑い、紙を懐にしまった。
「……了解だ」
灯を落とす。
煤けた天井の向こうに、夜明け前の冷たい空気が息づいていた。
いまは、明日のための三日間。
数字と足で、荒んだ街路を約束の通り道へと変える。
上に立つ者の義務は、重く、しかし温かい。
――二階堂商会、オルテリア再生計画、発進。
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