43 お化粧の時間 -Makeup time-
にぎやかな教室では、結希と梨人が対峙していた。
「あれ、固まっちゃった?可愛くしようと思ったんだけど……ちょっと失敗しちゃったかなぁ。まあ、誰にでも失敗はあるよね!」
「………」
梨人は、机の影で拳を握った。
ああ──お前のその、醜い鼻をへし折りたい。お前のその、汚い目を潰したい。
梨人の変化に気づかない結希はまだ、ペラペラと話し続ける。
「それにさ、このシール。あってもなくても、いいでしょ。剥がしちゃえば、元通りなんだし。」
結希が表紙のシールを剥がそうとした瞬間。
──バゴン!!!!!
教室に、凄まじい音が響いた。
梨人が目の前の人間ではなく、かろうじて自分の机に拳を立てたのだ。
(ああ……そうだ。大人しくしているだけ無駄だったんだ)
静まり返る教室で、梨人が口を開こうとした──その時。
「きゃあ……っ!!」
目の前の結希が、悲鳴を上げて尻餅をついた。
「ぺ、ペン!!ペンがっ!!う、う、浮いてるぅ!!」
──校舎の外、建物最上。
蛇遣いは、囲い手越しに唱えた。
『 ス コ ー プ ── イ ン プ ッ ト ! 』
梨人と結希を除く、教室にいたクラスメイト全員の頭がガクッと下を向く。
『 ス リ ー プ 』
蛇遣いは、記憶を塗り替えたクラスメイトに現状維持の術をかけた。
この『スリープ』は、言わば静止ボタン。
交換した情報が脳を巡る前に、蛇遣いがストッパーを仕掛けたのだ。
皆が一斉に頭を垂れているその絵面には、宗教的な気味悪さがあった。
後ろで蛇遣いの背中に手を突く猫好きAは、梨人たちがいるクラスの方向へとかざす、もう片方の手をまるで指揮棒を振るかのように動かし始めた。
「さあ、さあ、さあ、さあ!!!!!」
教室で尻餅をついたまま動けない結希に、油性ペンが襲いかかった。
「や、やだ……やめて!!!いやぁ〜〜〜〜!!!!!」
結希の顔に、猫好きAの操る油性ペンが無数の線をつけていく。
「ほうらァ!!お化粧の時間ですよ〜?
もっと、可愛くしたいんだろう──?なら抵抗するなよ、メスガキがァ!!」
攻めのスイッチが入った猫好きAは、まるで人が変わってしまったように手を動かしていた。
「ええ………口悪ぅ………」
ヒトの変わり様に、蛇遣いもびっくりである。
顔やワイシャツを黒くペイントされた結希は半泣きの状態で床にうずくまり、猫好きAはようやく手を止めた。
浮力を失った油性ペンは落ち、床をコロコロと転がった。
「ま、ざっとこんなもんかね。」
猫好きAは蛇遣いの背中から手を離し、自ら共有を解いた。
「ボス、いいのか?楽しみはここからなのに。」
「結果の分かっている娯楽には、興味ないの。」
「あー、そうかよ。」
仕事(?)を終えた猫好きAは、建物のフェンスに寄りかかると岳陵の景色を眺めた。
蛇遣いは再び囲い手を作ると、頭を垂れるクラスメイトに意識を戻した。
「──起きろ。」
クラスメイトは皆、一斉に目を覚ました。
スリープ状態を解かれた彼らの脳内には、蛇遣いが置き換えた偽の情報が溢れ出した。
" 彼女が突然、油性ペンを持って暴れ出した "
皆の視線が、床に座り込む結希に向く。
何も知らない結希は、暗示のかかったクラスメイトに問いかけた。
「ねえ、誰か!見たでしょ!油性ペンが宙で動いて、私をこんなにしたの!そうよ、これは──梨人!アンタの仕業よ!」
結希が、キョトンとしている梨人を指差した。
彼女は同意を求めるようにクラスメイトの方を振り返るが、そこには冷ややかな視線しかなかった。
「結希……いくらなんでもそりゃないぜ。」
「梨人が?ペンを宙に浮かす?アホらしい。」
「自演はさすがにキツいって。」
「なに、あの顔どうしたの?」
「ほんとだ、真っ黒。自分でやったのかな、怖い……」
全員が全員、結希を異常者として扱い始めた。
「ねえ!!アホなのはアンタたちでしょ!!見りゃわかるじゃん!私、被害者なんですけど!」
悔しそうに怒鳴る結希に、一人の女子生徒が鏡を手渡した。
「佐山さん、そんなことよりも顔。すごいことになってるよ。落としに行った方がいいんじゃない……?」
渡された鏡を見るとそこには、見るに無様な落書き塗れの顔があった。
「や、やだ……何これ……酷い……!」
結希は必死に手で顔を隠しながら、駆け足で教室から出て行った。
(酷いのはお前だよ)
梨人は、教室を見渡した。
皆、結希の奇行について話している。
「アイツ、とうとうおかしくなったん?」
「いや、元からおかしいし。」
「結希の顔のあれって、油性?落ちるの?」
「除光液、顔に塗りたくらないと無理っしょ。」
「え、肌トラブルまっしぐらじゃん。ヤバ。」
基本的に、人が笑われているのを見るのは嫌いだが──今回ばかりは、いい気味だ。
いつものようなザワつきを取り戻した教室。
この中で、あの事象を見ていたのは梨人、一人だけ。
ありえないことが目の前で起きたというのに、彼は落ち着いている。
能力者を家に迎えた今、梨人に常識は通用しない。何があっても驚かないくらいには慣れてきていた。
(あの、ペンの軌道──)
梨人はいつか、猫好きAが蛇遣いを起こすためにティッシュの箱を浮かせたのを思い出した。
あの時に、とてもよく似ている。
猫好きAの物を浮かせ、操る能力。
あの力を持ってすれば、目の前の出来事にも説明がつく。
(いや……まさかな)
梨人は窓の外を確認したが、肉眼で見える範囲に猫好きAの姿は確認できなかった。
───校舎外、建物最上。
「ふう。一件落着、かな……」
能力を解いた蛇遣いは、その場で大の字に寝転んだ。
「お疲れ。」
猫好きAは寝転ぶ蛇遣いの顔を覗き込むと、彼の口にマスカットを一粒投入した。
腹が減ったのか、玄恵の持たせてくれたお弁当を先に開けていたようだ。
無心でもぐもぐと口を動かす蛇遣いを、猫好きAは笑った。
「美味しい?」
蛇遣いは口を動かしたまま、無言で頷く。
「……メスガキ、どうなった。梨人は?」
はん?と眉をガタつかせた蛇遣いは身体を起こした。
「あんれえ、旦那。興味ないのでは?」
「──撤回する。で、どうなったの。」
「ああ。あの女なら──癇癪起こして退散した。」
「ハッハッハ、そうか。いいなあ、いい気味だ。なにより、手に持っていたのが油性ペンってのが、また。」
「あれだけ書かれたら、すぐには落ちないだろうな。」
猫好きAはまた、蛇遣いの口元にマスカットを持っていく。
彼はまた、それを無言で食べた。
「それで、梨人は?」
マスカットを飲み込むと、蛇遣いは校舎の方を指差した。
「今頃、すっきりした顔で次の授業を受けているんじゃないか。」
猫好きAが蛇遣いの指差す方を見ると、窓際に見覚えのあるシルエットがあった。
「あ、梨人。」
「え?」
蛇遣いも窓の方を見ると、そこには窓を開けてキョロキョロとしている梨人の姿があった。
「探してる、探してる。」
ふたりは、窓の外に犯人を探す梨人のことを一方的に観察していた。
「絶対、近くにいるはずなんだよなぁ……」
教室で窓の外に目を凝らす梨人は、時間を忘れていた。
「待夜くーん。席に着きなさぁ〜〜い。」
いつの間にか、教台には現国の戸川先生が立っていた。
「あっ!すみません………」
注意された梨人は、慌てて着席した。
(あれは絶対に好の仕業だ。帰ったら、問いただしてやる……)
梨人は頬杖を付くと、曇り空が広がる窓の外に目をやった。




