4 目暗…だと? -You mean blind?-
岳陵第一高校2年3組、教室窓際、一番後ろ。
リヒトは独り座って、静かに読書に集中していた。
ギュイッ、キュッキュッ、ギュイッ。
ゴム製の上履きとツルツルとした地面の摩擦で起きる音。
最初は不快な音だったが、月日が流れるにつれて聴き慣れた。というか、聞き飽きた。
誰かが登校してきたのだろう。
廊下で聞こえる足音は、自分の居る教室に近づいてきているようだ。
ギュイ、ギュイ、キュッ。
教室の前で足音が止んだ。
(はあ、誰か来た。もっとゆっくりでいいのに。)
心の中で文句を垂れながら、教室の外を見た。
──ガラガラガラ。
教室のドアを引いて、現れたのはよく知る顔だった。
「……苫男。」
「おはよ、リー子。なに、また朝から本読んでんの?」
「おはよう。ああ、面白いから読み進めたくて。」
苫井鈴央。
隣のクラスで、梨人の幼馴染だ。
しかし、勘違いしてはならない。
幼馴染とはいえ、梨人は心を許してはいなかった。
見た目が女性のようだという理由から
梨人のことを「リー子」呼びするような奴だ。
納得していない梨人は、意地でも名前を呼ばないために敢えて「苫男」と呼んでいる。
ハタから見れば、あだ名で呼び合う仲のようだが、相手はどうあれ親しみなど、梨人の中にはこれっぽちも無かった。
「苫男、今日早いんだね。」
「あ〜。今日バスケの朝練があってさあ。今終わったところ。」
苫男はガラガラとドアを閉めると、梨人の隣の席にスポーツバッグを下ろした。
「まだ人、来ねえだろ。俺のクラス誰も居なくてさあ、ここでパン食ってもいい?朝練で腹ペコ。」
「僕は、構わないよ。」
「さんきゅ〜。」
ドガッと椅子に腰掛けると、バッグの中から牛乳パンを取り出し、モグモグと食べ始めた。
「ああ〜。足、かったりぃ。」
苫男は誰の席かも分からない机に、上履きを履いたままの足を上げた。
「それ、汚いからやめなって。」
「あ、上履き履いたままだったわ。」
苫男は、ポイポイと上履きを脱ぎ捨てはしたたが、机には足を乗せたままだ。
「それ、人が使う机だぞ。やめろって。」
梨人はもう一度、注意した。
「わかったよ、だりいのに。」
苫男は渋々、机から足を下ろした。
「そういえばお前、運動とかしてんの?」
「僕?そうだな、健康のために家で筋トレするくらいだよ。どうして?」
「いや、いつまでそんな細っこいのかなと思って。そんなんじゃ彼女もできんだろ、お前。」
苫男は最近、彼女ができた。
この学校の人らしいが何組の誰さんかは、知らない。興味もない。
「はは。彼女は今のところいいかな僕は。苫男は、彼女さん大事にしなよ。」
「まあ、そうだな。頑張るわ〜。」
そう言いながら、パンを食べ終えた苫男は何やら、スマートフォンの画面をスクロールしていた。
(……僕も読書を続けよう。)
梨人は再び机に向かい、読書を再開した。
ページをめくると、スマートフォンから顔を上げた苫男からの視線に気づく。
「……なに?」
「お前、眼鏡変えた?」
「ああ、少し前にね。知らなかった?」
「知らんかった。前、少し赤っぽい色の掛けてたな思ってさ。焦茶にしたんね。」
「よく覚えてるな。この眼鏡、父さんと選びに行ったんだよ。」
「へえ。何、前の眼鏡は壊れた?」
「いや。視力落ちちゃって。身体の成長止まるまで、視力の低下も進み続けるんだって。気をつけてたんだけど、仕方ないよね。」
「また目暗になったんか。どうするよ、いつか失明したら。そしたら本物の目暗だな、リー子。」
(目暗……だと?)
梨人は自分の中で渦巻く不快な感情を抑え、いつも通りに、にこやかに話を続けた。
「はは、目暗ってのは良くないよ。それに、失明はしないから平気だよ。」
「そう?それならいいんだけどね。うちは皆、目良いじゃんか?リー子、可哀想だからパワー分けてあげたい。」
「それ、本当に心配してるの?」
「もちろんよ?幼馴染が失明とか嫌だし。」
なんだろう──。苫男は普通に話す仲だ、しかし。彼の言葉にはいつもトゲがある。
チクチク、普通の会話に散りばめられた、小さなトゲ。
言葉選び、受け答えのテンポ、リアクション。
本人はわざとやっているのか、それとも知らずしてそうなっているのか。
苫男は、どこかで僕を見下していた。
苫男には、というより苫井家には前から違和感を覚えていた。
苫男の姉、苫井英里。
彼女は、二面性のある恐ろしい女だった。
街を歩いているとたまに遭遇することがあったが、僕の前では普通だった。
僕が「こんにちは」と挨拶をすると「こんにちは、お買い物?」と気さくに話しかけてくれていた。
それに加えて、前にコンビニで会った時は「鈴央がいつもお世話になっているから」と、余分に買ったと称してお菓子をくれたこともあった。
僕は人を疑うことを知っていた。
知っていたはずなのに、梨人はお姉さんを良い人だと思い込んでしまっていたのだ。
そんな梨人の想像を覆したのは、地域の集まりに参加した時のことだった。
地域の人で協力して施設の掃除をしましょうという、清掃に必要な人手補充が目的の集まりだった。
一通り掃除を終え、解散になった直後のこと。
僕は3つ積まれた土管の後ろで解けた靴紐を縛り、帰る支度をしていた。
土管の後ろで女性3人の話し声がした。
声色から、すぐに苫男のお姉さんだと分かった。
「今日、英里の弟くんは来なかったの?」
「鈴央はバスケの練習入ってるから来れないって。私が、鈴央の分もってことで来たんだよ。」
「弟来てないのに、ちゃっかりどら焼きもお茶も2つ貰ってるし。」
英里は、お疲れ様という意味を込めて役員の方が一人に一つずつと用意してくれていた茶菓子と飲み物を余分に貰っていた。
「え〜いいんだよ。多分余りそうだし。」
「でも弟くんと同い歳の子もあまり居なそうだったよね。」
「あ、あの子いたね。あの色白い子。待夜くん。」
(ぼ、僕……?)
次の瞬間、信じられない言葉が梨人の耳に届いた。
「あ〜。あのメガネザル、ね。」
梨人は信じられなかった。
(僕のことだよな……?僕のこと、裏ではそう呼んでるってこと……?)
「ちょ、ちょっと英里。名前があるんだからさ……。」
「え〜?名前なんだっけ?ちょっと忘れちゃった、影薄くてキモいんだもん。」
「まあ、影、薄いは薄いけどさ?」
英里以外の女性二人も、最終的にはネタ感覚で笑ってしまっていた。
(そういえば、苫男も僕のこと変なあだ名で呼ぶし──)
梨人は帰り道を駆け出した。
(何かあれば、僕のこと目暗って言うし)
信号を渡って、路地に入る。
(そんなちっこい活字ばっか読んでるからだって馬鹿にしてくるし)
息を切らした梨人は、自宅の門の前に到着した。
どら焼きとペットボトルの緑茶が入ったビニール袋を片手に立ち尽くす。
(馬鹿みたいだ。なんだったんだろう──。)
お姉さんが街中で気さくに声をかけてくれたのも、コンビニでお菓子をくれたのも。
全ては近所付き合いの一環で、梨人に良くしていたのも、自分のイメージを壊さないためのサービス。
詰めが甘いから、僕に本性を知られてしまったが。
僕も僕で、甘かった。
苫男だっておかしいと思う節はいくらでもあったのに。
苫井家を、過信しすぎていたようだ。
この出来事をきっかけに、僕は完全に苫井家を信じられなくなった。
そして、僕は家庭内でこの話を出すと母さんも苫井家に違和感を持っていたことが分かった。
前に鈴央のお母さんに用事があって家を訪ねたときのこと、鈴央の母の隣に英里も居たという。
そして、玄恵を見るなり「誰?」と言い放ったらしい。
テーブルの下では、英里の太腿を母親がつねっていたという。
「なに言ってるの!梨人のママじゃないの!」
そう誤魔化す母親だが、英里は
「リヒトって……?」と、本気で分かっていなかったらしい。
要するに、梨人は梨人として認識されていたのではなく、
"名前を覚える価値もないメガネザル"
このように思われていたのである。
玄恵は梨人と鈴央の仲が良いものだと思い、この話は伏せていたという。
しかし、この出来事がきっかけで待夜家が苫井家を見る目は180度変わってしまった。
英里の軽率な言動が、自分の「家」を知らずのうちに下げたのである。
恐ろしい英里。
この一件から梨人は英里のことをエイリアンだと思うようになったんだとか。
英里だけに。……忘れてください。




