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32 彼の記憶 -Rihito's Memory-

マキシは酩酊輪(めいていりん)の中に戻り、梨人とふたりも眠りにつこうとしていた。


「電気消すよ〜?」


「あ、待て。腕輪外す。」


「私も、ちょっと待って。」


ふたりはそれぞれ、腕輪とチョーカーを外すと枕元に置いた。


「今度こそ消すよ〜。」


「いいですよ〜。」


「どうぞ〜。」


パチンと部屋の電気を消すと、梨人の机に置かれたペケダモンのマスコットだけが微かな光を発していた。

前は窓際に置いてあった、2匹が寄り添うデザインの()()

ただのマスコットではなく、夜光性のマスコットだった。


「おやすみ、ふたりとも。」


梨人は眼鏡を外すと薄手の毛布に(くる)まり、ふて猫(抱き枕)を抱き寄せた。


「……もう寝るのかい?」


「うん、もう夜遅いから。」


「………もうちょい話さない?」


「おやすみ。」


梨人は挨拶を交わして間も無く眠りにつき、スゥスゥと寝息を立て始める。


長く眠っていたふたりは、目が冴えてしまっていた。


猫好きAは、布団からスタッと立ち上がり忍足で移動すると、梨人の横にしゃがみ込んだ。彼は猫のモデルを引き継ぐ、言わば猫男。

夜目が効くのも当然のことだった。



眠る梨人の目の前に、彼はひらひらと手をかざす。起きる気配はない。


チョーカーをポケットにしまった猫好きAは

どうにか眠ろうとギュッと目を瞑る蛇遣いの肩に手を置き、枕元に置かれた酩酊輪を静かに差し出した。


(ちょっと付き合って。)


蛇遣いの能力を介して会話をする。


(どこへ……?)


猫好きAは天井を指差した。


(外。)


物音を立てないように気をつけながら、ふたりは窓から屋根の上へと登った。


「ボス、俺に何か話でもあるのか?それとも、眠れないからって暇つぶし?」


「やめてくれないか、ひつまぶしが食べたくなる。」


「誰も、ひつまぶしとは言ってない。」


ふたりは屋根の上に並んで座った。


「マスター、さっき梨人の脳内に何を見た?」


猫好きAは本題を切り出した。


「……プライバシーは?」


「もちろん、大事さ。でも、それより大事なことだったら私に話して。違ったならパスで構わない。」


「……参ったな。ちょうど、俺一人で抱えられそうもなかったんだ。」


(すまない、梨人──。)


蛇遣いは、記憶の中に見たもの全てを猫好きAに話した。


「梨人は、スクールで同級生に酷い扱いを受けている。言葉で説明するよりもきっと、視点からの記憶の方がより凄惨さが伝わるはずだ。」


蛇遣いは後ろから猫好きAの頭に片手で触れた。


「流すよ?」


「いいよ。」


『 ア ウ ト プ ッ ト 』


蛇遣いが唱えた直後、猫好きAの脳内には

梨人の記憶のコピーが鮮明に映し出された。


それはもう、彼のちょっとした喜びから悲しみまで──全て。


「ハァ……ハァ………ッ!」


猫好きAは息を荒げ始めた。


「おい……ボス、どうしたんだよ。おい!ボス……!しっかりしろって!」


蛇遣いに肩を掴まれたまま、猫好きAは胸を抑えてその場にうずくまった。


梨人の記憶の中、誰かの手によって引き裂かれていく『青龍の愛し子』──。


猫好きAにも幼少期、同じような経験があった。


彼にとっての幼少期、それはただの幼少期ではない。


名を失くした猫好き少年は、桜舟国で良からぬ注目を集めていた。


いくら、師に"(コウ)"と名付けられようと。

本当の名を持たないというだけで「他とは違う」と白い目で見られる、毎日。


猫好きAの脳内に、過去の記憶がフラッシュバックする──。


"名無しに(がく)など必要ない。この先、明るく生きられるなんて希望は持たない方が自分のためだ"


赤々と炎が燃え盛る暖炉に投げ込まれた、父・丘師(キスイ)の形見の蔵書。


炎は餌を取り込むかのように素早く回り、みるみるうちにページは焼かれ無くなっていく。


父との思い出も一緒に消えていくようで……。


踊る炎の前でただ、涙を流すことしかできなかった──辛い記憶。


この何冊かの本が父の遺品とも、彼の心の頼りとも知りもしないオトナは言葉通り、いとも容易く子供の希望を奪っていった。


このオトナのような存在が、梨人を苦しめる自我剥き出し人間(サル)の行き着く先なのだろう。


猫好きAの頭を回る、梨人の記憶の視点。


緑色の廊下が流れ、すれ違う人の表情がフレームアウトしている。


下を向いて歩いているのがよく分かった。



──梨人の記憶と、猫好きAの記憶が交差する。



"あなたニンゲンじゃないから名前がないんじゃないの"


"見な、あれが穢らわしい無名(アンノウン)だよ"


街中をとぼとぼと歩いた、幼い日の記憶──。


あの頃の、息の浅さと靄がかかった日常を忘れることはないだろう。



「おい、ボス……!やべえって、過呼吸だよなこれ……。」


蛇遣いの慌てる声がはっきりと聞こえてきた。


「……っ」


(大丈夫。すぐに治る。)


猫好きAは彼の腕に触れて、意志を示した。



「ったく…こういうのがダメなら、最初に言わないと。」


蛇遣いは大きな手で猫好きAの背中をさすった。


彼は名前がないという事実とちょっとした昔話以外、猫好きAの暗い過去については何も知らない。


梨人もそうだが、猫好きAについても内面を覗かない限り、分からないことが多いようだ。



蛇遣いはなぜ、自分にこの記憶の力が授けられたのか、分からないまま今を生きている。


便利な力とは思いながらも、己の精神力が試される危ない力であることも十分理解している。


だからこそ、身近であるにも関わらず猫好きAの記憶を覗くことを今まで避けていた。

リヒターの力以前に、蛇遣いの本能が猫好きAが抱えた爆弾(トラウマ)を遠ざけようとしていたのかもしれない──。


「……悪いね。ちょっと気分が悪くなってしまって。」


猫好きAが体を起こした。

喋れるくらいには、調子が戻ったようだ。


「ちょっとじゃ済まない感じだったけど……大丈夫か?身体も冷えるし、もう部屋に戻ろう。」


先に立ち上がった蛇遣いが、猫好きAの手を引いた。


「……マスター?」


「ん?」


「彼は、私たちのことを知りたいと言っていたね。」


「そうだな。」


猫好きAは、深く染まった夜空を見上げた。


「私も──彼のことを少し、知りたくなったよ。」


暗がりの中、存在を知らせるように光る猫好きAの黄色い瞳。


猫好きAのボサッとしたノーセットの黒髪と、蛇遣いの伸びた金髪が風に吹かれる。


「……はは、奇遇だな。俺も興味がある。でも、どうして急に?」


「マスターが見せてくれたおかげだよ。彼は……私によく似ている。」


待夜家の屋根の上では月明かりに照らされたヒト形がふたつ、影を落としていた。


夜の風は身体の芯を貫くほどの冷たさだが、ふたりの心は生まれたての熱を帯びていた。



ペケダモン、1話ぶりだね。

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