26 猫好きA -Cat person A-
ああ──温かい。ここは、ベッドの中……?
──本の香り。ああ、なんだ。私の部屋か。
──ドタドタドタ。
(なんだか、騒がしいな。)
ドア一枚を挟んだ廊下では、紘が蛇遣いに話していた。自分の部屋を案内しているようだ。
「ひいの部屋は、ピンクなんだよ!可愛いでしょ!」
「ああ……可愛いな。で、その……ちょっと、静かにできるか?そっちの部屋でボスが寝てるんだよ。」
「ボスって?だあれ?」
「あー、さっきの寝てた兄ちゃん。」
「お兄ちゃんは、ボスなの?」
「……いや?"カボス"って言ったんだ。うるさい子には、カボスで目薬だ。いいのか?」
「いやあ!!!!逃げろ〜!!!!」
「だから……!シーッ!!」
マスターの声と、子供の声──。
少し静かにしてくれないか……私はとても疲れているんだ──
(ん……?子供?)
ドタドタドタドタ──
蛇遣いと紘が階段を下りていく音が響く。
彼は、ゆっくりと目を開いた。
白い天井に、ベッドにしては低い視線。
「ここは……?」
上体を起こして、辺りを見渡す。
誰かの部屋──?
本で塗れた棚に、勉強机、それに畳まれた布団。やけにシンプルな部屋だ。
「い、イタタタタ……。」
背中に鋭い痛みが走る。
まだ完全には回復していないようだ。
服も、誰かが着替えさせてくれたのだろうか。
ラフな服装のおかげで、よく身体が休まったような気がする。
(声がしたってことは、マスターは無事なんだね。よかった。)
布団から出ると猫好きAは裸足のまま、梨人の部屋を見て回った。
本棚には、見たことのないタイトルの本がずらりと並んでいる。
指で背表紙をなぞりながら、タイトルを目で追っていく。
「へえ、どれも面白そうじゃないか。」
本棚の最後に辿り着くと、本に比べて大きいサイズの手帳が収納されていた。
「──なにこれ。」
興味を惹かれた猫好きAは、その手帳を手に取った。
「……Diary、日記か。」
手帳だと思ったそれは、紺色の合皮に、銀色で星や模様が四隅に施された日記帳だった。
日記を開き、ページをめくっていく。
簡易的な日もあれば、多くの字を殴り書いている感情的な日もあった。
その日記はまだ、最後のページに到達しておらず、最終の日付は5ヶ月前だった。
「──苦労が多いようだね。」
サラッと読んだだけでも、持ち主の性格は大体予想がつく。
猫好きAは、日記を元あった場所に戻そうとしてうっかり、本棚から本を落としてしまった。
「おっと、ごめんよ。」
本を拾うと、そこには「桜小町に猫の足跡」という何とも可愛らしいタイトルが。
「これも、面白そうじゃないか。」
本を開こうとした、その時。
勢い良くドアが開き、梨人が走って部屋に入ってきた。
一階で夕食の支度を手伝っていた梨人。
二階からの微かな物音を聞き逃さなかった。
「あ!起きたんだね!!」
驚きのあまり固まっている猫好きAに、梨人はどんどん近づいていく。
「身体の方は大丈夫?ご飯は食べれそう──」
言いかけたところで、猫好きAが手にしている物に気がついた。
「ちょっと……!!」
梨人は、彼の腕の中から勢い良く日記を取り上げた。
「勝手に触らないで。」
「ああ……ごめん。本がたくさんあるなと、興味本位で。悪気はないよ。」
「……読んだ?」
「読んでない。」
彼は、しれっと嘘をついた。
「ならいいよ……それで、体調は?」
梨人はテキパキと、取り上げた日記と本を棚に仕舞っていく。
「うん。もう大丈夫そうだよ、ありがとう。君が、僕たちを助けてくれたのかい?」
「うん……まあ。父さんも協力してくれて、家まで運んだんだ。」
「そうか……迷惑をかけたね。」
「それは、全然いいんだ。それよりコルク、もう起きてるよ。」
「おや、名前を知っているということは。彼と話したんだね?」
「うん。それと、蛇のマキシとも。」
「マキシ?そうか──驚いたろう、喋る蛇なんて。」
「うん。でも、コルクの相棒なんてかっこいいよね。」
「ほう、色々と聞けたみたいだね。で、どこまで聞いたの?」
気持ち、猫好きAの目が怖く見える。
いくら助けてもらったとはいえ、こちらを警戒するのは当たり前のことだ。
「──異世界のヒト、なんだよね?上空都市ってところから来たって。」
「……そうだね。」
猫好きAは、上手く笑えていなかった。
彼は、蛇遣いが上空のことを教えるまでの経緯を知らない。
"リヒター"という真実に近づかれてしまうことは、自国を危険に晒すようなもの。
人間界に脅威が潜んでいる可能性も、ゼロとは言えない。
四人いる巡影のリヒターのうち二人が不在と勘付かれてしまったら──
猫好きAは蛇遣いに少し、不満を持っていた。
「安心して。この家で知っているのは僕だけだし、誰にも言わない。約束するよ。」
「……そう?なら、君を信じることにするよ。」
(信じられる者かどうか、見極めなければ。)
「そうだ。お兄さんの名前は?僕は、待夜梨人。」
「梨人ね。私は、猫好きAという者だよ。よろしく。」
「猫好きって……?ペンネーム?」
「いいや。これが私の名前だよ。」
猫好きA──もちろん、これは本名ではない。
上空、中空各国では案内人・飛猫として認知され、巡影帝国では"猫好きA"と名乗る彼。
彼は──名前、本名を持たない謎のニンゲンだった。
元は存在していた、猫好きAの本名。
ある日を境に周りの人間も、自分も、そして文面でさえも、猫好きAが何者なのか分からなくなった。彼がまだ、幼い頃のことだった。
皆の記憶に残る彼は名前を失くし、文面からは彼の名前が一つ残らず抹消されてしまった。
こうして彼は「猫好きA」という仮名を使い、長いこと上空を生きてきたのだ。




