5話
誠は、放課後の教室に立っていた。
薄暗く、夕焼けに染まる窓。
机の並びはあの頃と違うのに、どこか空気は変わらない。
瑞希が座っていた席――教室の中央、少し後ろ寄り。
その机を、そっと指先でなぞった。
(ここで……瑞希は毎日、笑ってたんだよな)
笑って、隣の子と話して、時々前の席の誠をつついて、ノートを借りにきて――
そんな日々の、すべての空気がここに詰まっているようだった。
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机の中には、古い落書きが残っていた。
クラスの誰かが彫った文字や、シャーペンで書かれたメモの跡。
その奥に、小さな付箋が一枚、貼られていた。
(……これは?)
剥がしてみると、裏に小さな文字が書かれていた。
『誰も見ないで。誰にも言わないで。』
ぞくり、と背中が冷えた。
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瑞希が、こんなメモを貼るなんて。
何かを隠そうとしていたのか。
誰に見られたくない“何か”が、この教室の中にあったのか。
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「もし私がいなくなったら、どうする?」
あのときの言葉が、再び頭をよぎった。
あれは冗談なんかじゃなかったのかもしれない。
誠が気づかなかっただけで、瑞希はずっと助けを求めていたのかもしれない。
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誠は、付箋をポケットにしまった。
深く息を吐いて、窓の外を見る。
日が沈みかけ、校庭はオレンジ色に染まっていた。
昔、あの校庭で笑っていた瑞希の姿が、一瞬だけ、幻のように見えた気がした。
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「真面目すぎるんだよ、誠って」
笑いながら、そう言った彼女。
でも、その声は、今はもう届かない。
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(瑞希……君は、何を隠してたんだ?)
心の奥で、何かがざわめいていた。
優しくて明るい彼女の、決して人に見せなかった影。
その影を、誠はようやく追いかけ始めたのかもしれない。
机の中の付箋。
『誰も見ないで。誰にも言わないで。』
その言葉が、誠の胸に刺さり続けていた。
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帰り道、誠はふと、校舎裏の旧ロッカー棟に足を向けた。
瑞希が使っていた旧ロッカー。
今はもう空のはず。
でも、誠にはどうしても、確認せずにはいられなかった。
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薄暗い廊下を抜け、埃っぽいロッカー棟に入る。
懐かしい、錆びた金属の匂い。
指先でロッカー番号をたどり、瑞希のロッカーに手をかけた。
――開かない。
鍵は壊れていて、簡単に開けられるはずだった。
なのに、誰かが後から修理したかのように、きつく締められている。
(……なぜ?)
迷った末、誠は小さな工具を取り出し、こじ開ける。
鍵が外れ、ゆっくり扉が開いた。
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中には、古びたノートと、傷だらけのスマホが残されていた。
ノートの表紙には、瑞希の名前。
スマホは、彼女が事故に遭った当時のものに間違いない。
(どうして、こんなところに……)
普通なら、遺品として家族が引き取っているはずだ。
それが、なぜか学校のロッカーに放置されている。
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誠は震える手でノートを開いた。
中には、瑞希の丸い、少しクセのある字が並んでいた。
『本当は全部知ってる。
でも、知らないふりをしなきゃいけない。
笑ってるほうが楽だって、みんな思ってるから。
誰にも言えない。
本当のことなんて。』
誠の心臓が、痛みで締めつけられた。
瑞希は、明るい顔の裏で、何を抱えていたんだ?
誰も気づけなかった、彼女の「本当のこと」とは、何だったのか。
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ふと、スマホの画面がかすかに光った。
電源は入らないはずだった。
だが、一瞬だけ――待ち受け画面に、瑞希が微笑む姿が浮かび上がった。
(……瑞希?)
誠は息を呑む。
画面の中で、彼女の微笑みが一瞬、悲しげな表情に変わった気がした。
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「誠、ねえ、私のこと……ちゃんと探してね」
――幻聴。
いや、そう思いたかった。
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誠は、ノートとスマホを胸に抱え、立ち上がった。
もう、後戻りはできない。
瑞希の笑顔の奥に隠された「影」。
それを見つけ出すまで、誠は止まらないと決めた。




