1話
ミステリー系です。
春の雨は、少しだけ冷たい。そんな春の雨が懐かしく感じてしまう。
傘を持たずに外に出た誠はアパートのポストに突き刺さっていた便箋に気がついた。
白くて冷たい。まるで遺書のようだと感じた。どうしても読む気にはなれなかった。
ーーしかし何かどこか懐かしく、僕に何かを訴えかけているようだった。
封筒の裏に書かれたたった4文字の名前。
「大橋瑞希」(おおはしみき)
その名前を見た瞬間、時が止まった。手が震え始めた。心の奥から何かが出てきそうになる。
この便箋に彼女の名前があることはあり得ない。これは何かの間違いだ。
だが僕の手が震えていることは事実だ。
「瑞希」この名前を口にしたのは何年ぶりだろうか。誠は眉をしかめた。
忘れたかったわけではない。忘れないとやっていけないぐらい僕にとって彼女は大きな存在だった。
10年前、修学旅行中に起きたバス事故。
崖から転落した車両に、瑞希は乗っていた。そして亡くなった。
自分が同じバスに乗っていたなら。僕が身代わりになることができたなら。
何度も何度もそう思った。どれだけ泣いただろうか。誰かに同情されるのは嫌だった。
僕は止めようとしても止まらない涙を押し殺した。
3ヶ月が経って涙が出ることは無くなった。
ただ心に開いた大きな穴を時間で埋めることは不可能だった。
彼女は最後、どのような気持ちで最期を迎えたのだろうか、痛かったのか、苦しかったのか、それともーー
(助けて欲しかったのかな?)
今でも夢に見る。バスが落ちていく瞬間。窓越しにこちらを見て手を必死に伸ばしている姿を。
もちろんそんな光景は見ていない。でも、僕が見る光景はあまりにもリアルでーー心がズキンと鳴る。
僕は便箋を胸に膝から崩れ落ちた。
雨の淡々とした冷たさとアスファルトの硬さが心に沁みてくる。
その折り畳まれた紙を広げてみると見覚えのある筆跡が走っていた。
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あの事故は事故じゃなかった。私は真実を見てしまった。だから消されてしまったの。
でもね、まだ終わってないの。あなたが覚えている限りーー私は生きている。
だからあなたは生きて。
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文字の筆跡は間違いなく、瑞希の筆跡だった。癖のある丸みは彼女だけのものだった。
手紙を持っている手が震える。視界がにじんで、文字が読めなくなる。でも手紙から視線を逸らすことはできなかった。
そうすると彼女の存在を否定するような気がして。
そして手紙の最後にはこう綴られていた。
「あの人に気をつけて」
誠はその場から動くことができなかった。心臓の鼓動が耳を打っていく。
ーーあの人って誰なんだ?
あのとき、瑞希に何があったんだ?
事故ではなく誰かに殺された?
バス事故なのになぜ?
何で今になって手紙が?
瑞希は死んだんじゃないのか?
誠は混乱の渦に巻き込まる中でただ一つ確証が持てることがあった。
『自分の知らなかった真実があの場所にある。』
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僕は戻る。
あの場所に、君がいた時間に。
そして君の言葉の奥へ。
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雨の音がだんだんと遠ざかっている。その静けさの中で誠は静かに語りかけた。
「……瑞希」