第九十五話
初音の旅立ちのお話し、最終回です。
初音は外を眺めながら、引っ越してきた当日の事を思い出していた。
この町に来たのがちょうど1年ほど前。さくらと出会ったのは、越してきたその日だ。
両親との冷え切った関係も、この世界から切り離されたような現実感の無さも。
さくらは全てを吹き飛ばし、幸福な日々を取り戻してくれた。
それからは自身がもたらした運命に苦しみ、魔妖夷との闘いに傷つきながらも初音を護ってくれた。
そしてさくらは初音にとって、幸福を取り戻してくれただけでなく、初めての恋の相手でもある。
想いは初音自身をも動かした。運命に立ち向かい、一生を共に過ごしたいと思う程に。
思い出す度、初音の胸に愛おしさがあふれていく。
さくら自身も、初音を愛してくれた。
互いに『胸に花が咲いた』と感じた強い愛情で結ばれ、今に至る。
結ばれたその日に約束してくれた。桜が咲いて初音が卒業する頃、迎えに来ると。
だから今日、きっと来る…初音は予感していた。
となりに座り込んだ茶太郎と共に、桜舞う住宅街の通りを眺める。
その時。開け放たれた窓から、1枚の花びらが舞いこんできた。
光り輝く花びらが1枚。初音の頬をかすめ、居間を通り抜け、どこかへと飛んで行った。
愛しい少女と同じ色の花びらが、淡く光りながら舞う。来訪を告げるがごとく。
初音は立ち上がった。予感が確信に変わった。
急いで玄関に向かい、靴を履いて外に出ると、裏庭に回る。ついていく茶太郎。
慌てて子供たちが後を追う中、実と成子は時が来たのを知り、初音の荷物を持って裏庭に急いだ。
千歳ときのめも後を追い、全員が裏庭に集まった。
桜の樹の周囲で花びらが渦巻いていた。
渦の中心には桜色の光が揺らめいている。
光の中にだれかの気配を感じ、初音はじっと見つめていた。
非日常的な光景。初音の推測――この桜の樹の周囲に、かくれ里とつながる門のような物があるのではないかという推測が当たった。
胸に光る『鬼桜の紋』が熱を帯びる。胸が高鳴る。
さくらが来る。
果たして、揺らめく光の中から小さな姿が現れた。
深紅の着物を纏い、春の風に桜色の髪をなびかせ、日に焼けたかのような色の肌。
この世の物と思えぬ美しい少女が、異界の光から現世へと踏み出す。
その足元には、黄色の毛並みに黒い縦縞模様の、小さな獣が控える。
続いて龍の貌を持つ巨馬、その背に乗った大きな体に赤銅色の肌の男、同じくくすんだ桜色の髪に白い肌の女。
桜色の髪の美しい少女が、龍の顔を持つ馬に乗った両親に見守られながら現れた。
更に、和服を纏った幾人かの男女…いずれも大柄で屈強な体躯、人間と異なる肌の色の者達が続く。
鬼であった。かくれ里の鬼たちが、正装をまとって、桜の樹から現れた。
先頭にいる少女が面を上げる。初音の視線が少女の視線と交わった。
少女の装いは、昨年の春に出会った時とだいぶ異なっている。
厳かでたおやかで、美しく、神秘的ですらあった。
幼い姿にこの美貌、そして愛おし気な視線が、どこまでも美しい。
「初音」
少女――鬼煌院 さくらが口を開き、初音の名を呼んだ。
頬を赤く染めたさくらの愛おし気な視線に見つめられ、初音の胸はますます高鳴った。
「迎えに来たぞ、初音」
「さくらちゃん……!」
駆け出し、初音はさくらに抱き着いた。
細腕で受け止めたさくらと抱きしめ合い、1年ぶりの再会を喜ぶ初音。
胸に満ちる幸福感に涙が溢れ、頬を流れていく。
優しい腕。甘い香り。桜色の髪。愛おしい全てが、今こそ初音の腕の中にある。
抱き合ったさくらの手が、初音の桜色の髪をやさしく撫でる。
「会いたかった、会いたかった…さくらちゃん……!」
「待たせてしもうたの、初音。ようやっと支度が整ったぞ」
支度が整った…つまり、初音を迎えるためのかくれ里の準備が、全て終わったと言う事だ。
鬼となった初音がかくれ里に渡る時が、ついに来たのだ。
愛しいさくらとの、命果てるまで共に生きる長い長い日々が、この瞬間に始まる。
初音とさくらは正面から見つめ合った。
さくらは初音の涙を拭ってやりながら、優しく囁く。
「わらわも、お主に会いたかった…ずっと、会いたかった…
こちらに行こうとして、コロ左衛門に幾度も止められたぞな」
「フニ~」
当時さくらを止めていたらしいコロ左衛門が、ぴょこっと前足を上げて自己主張する。
相当苦労したであろうことは推察できた。想像し、思わず初音は微笑む。
「…来てくれても良かったのに」
「そうもいかぬ。お主を迎えるに、まずわらわが皆に説いて聞かせねばならなかったからの。
愛しき者が現世にいると、わらわと共に生きたいと望んでいると」
「そっか。じゃ、仕方ないか」
もう一度、初音とさくらは強く抱き合った。
額と額が触れ合い、互いの顔が間近にある。見つめ合う桜色の瞳。
流れる温かな涙。初音の目の前では、愛しいさくらが微笑んでいる。
ふと横を見ると、実たちが既に初音の荷物を鬼たちに手渡し、隣に立っていた。
荷物は荷車の上に乗せられている。それを引くのはやはり鬼だ。
――巌十郎とイトの説明によれば、現世からかくれ里へは、スマートフォンやパソコンなど、情報をやりとりする機械は持っていけない。
単純にネットワークが存在しないからと言うのもあるが、異界の情報とテクノロジーが何を引き起こすか判らないからだ。
卒業アルバムも同様だった。現世の人間や施設の情報が、不特定多数の鬼…場合によっては、彼らと敵対する勢力に知れ渡る可能性があるためだ、と鬼の1人が説明した。
つまり、先程校門前で撮った写真を保存したスマートフォンも、思い出の学校や級友たちとの卒業写真、そして愛する家族と過ごした日々の写真さえも、かくれ里に持っていくことはできない。
かくれ里へと渡れば、現世の思い出を振り返ることは、もうできない。
初音は足元にいる茶太郎を抱き上げ、家族と向かい合った。
実も成子もきのめも身をかがめ、初音と茶太郎を優しく抱きしめる。
その一方、初音から抱きしめることはできなかった。
膂力の加減にこそ慣れたが、今それができる自身は無い。
全力で抱きしめれば、家族の肉体を破壊してしまうからだ。
鬼となった日に神社で感じた以上に、今の初音はそれを理解していた。
家族の愛情に全力で答えることは、もうできないのだと…
現世での思い出も、家族や友の愛も。
初音は全て、置いていかなくてはならない。
「初音。向こうでも元気でな」
それでも、家族は何も不満を言わなかった。
初音がさくらを愛し、共に生きるための旅立ちを、ただ祝福してくれていた。
「うん…」
「さくらちゃんと幸せにね、初音」
「うん…!」
「体に気を付けるのよ。病気とか怪我とか、しないようにね。
茶太郎ちゃんもね。初音ちゃんのこと、ちゃんと見ててあげてね」
「お祖母ちゃん…!」
「わふ!」
きのめの優しい手に撫でられ、茶太郎がうなずく。
やがて花咲家の面々が初音から離れた。
初音は涙をぬぐい、さくらと見つめ合うと、手をつないだ。
揺らめく光…かくれ里の入口へと、初音はさくらとともに踏み出す。
足元に控える茶太郎は、コロ左衛門に導かれていた。
「フニ~」
「わふっ」
ふと振り向くと、家族が、そして級友たちが、涙を流しながら、笑顔で見送っていた。
「縁があったら、またこっちに来なよ!」
「うん…!」
寧々子が言うと、初音は頷いた。
もし何かの縁で現世に来たら、寧々子の神社に世話になるかもしれない。
続いて千歳が手を振りながら2人に声をかける。
「学校のことも忘れないで!
さくらさんも、初音さんを大事にしてあげてね!」
「はい! ありがとうございました、先生…!
みんなも、元気でね…!」
「先生どのも、童子どもも、達者でな!」
子供達の声も聞こえた。涙声になっていたが、さようなら、元気で、と皆が言っていた。
涙をぬぐい、級友たちに手を振って、初音とさくらは答えた。
そして実と成子も。
「初音!」
実の声に振り向き、初音は両親を見つめた。
初音の目には、涙を流しながらも、暖かく微笑む両親の姿が見えた。
「お父さん、お母さん…!」
父、実。母、成子。
ずっと自身を育て、支え、護り、そして愛してくれた二人に、旅立つ今、何を言えば良いのか。
感謝。惜別。別れの言葉。初音の胸の内に様々な言葉が溢れるが、胸が詰まって言葉が出ない。
代わりに涙が溢れた。言葉にならぬ気持が、新たな涙となって初音の頬を流れる。
――ただ一つ、言葉になった想いは。
「……お父さん、お母さん! 大好き!!」
生まれてからずっと愛してくれた2人への、愛情だった。
「私、お父さんもお母さんも大好きだから!
ずっと大好きだから、ずっと、ずっと!!」
「初音っ……」
「大好き、だからっ……だからぁっ……」
涙がこぼれ、それ以上は言葉にならなかった。
12年…初音が生まれて今年で13年目になる。
生まれてから今に至るまで、ずっと愛してくれた2人を、自分も愛していると。
惜別も感謝も込めて、初音は実と成子につげた。
揺らめく光に踏み込めば、最早会うことも叶わない2人に、たくさんの愛をこめて。
泣きじゃくる初音の頭を、さくらが優しく撫で、抱き寄せる。
そして顔を上げ、さくら自身も涙を拭って2人に誓った。
「おとう殿、おかあ殿。――初音はわらわが大切にする」
常に実直で誠実で、そして誰よりも初音のために闘った彼女の誓いに、実と成子もうなずく。
命果てるまで初音と愛し合える者は他にいないと、さくらは2人が認めたただ一人の人物だ。
「うん。僕たちの初音を頼むぞ、さくらちゃん…」
「絶対にね。さくらちゃん、約束よ! 初音も、元気でね!」
「心得た。約束じゃ、おとう殿、おかあ殿!」
そしてさくらに手を握られ、初音は顔を上げた。
促されるままに、初音は再び両親の顔を見つめる。
「初音――最後じゃ。おとう殿とおかあ殿に、別れを」
「………うん… お父さん、お母さん……!」
別れの言葉を。ここで言わなければ、いつまでもかくれ里へと行けない。
2人の愛情は忘れない。けれど、自分はもう現世では暮らせない――
愛するさくらと共に、かくれ里で遥かなる時を生きるのだから。
意を決し、初音は2人に別れの言葉を告げた。
「………さよなら…!」
父と母に別れを告げると、初音は背を向け、かくれ里へと自らの意思で踏み出した。
桜の花びらの渦が広がり、光が強くなる。
眩しさに一瞬目を閉じそうになったが、隣のさくらの声を聞き、見つめ合う。
涙をぬぐった互いの視線が交わる。さくらが初音の手を引き、光の中を導いていく。
「ゆこうぞ、初音…」
「うん…!」
――静寂が訪れた。
光が止んだ時、鬼たちの姿は裏庭から消えていた。
ここにいるのは人間だけだった。訪れた鬼たちと共に、初音と茶太郎はかくれ里へと渡った。
その事実を実感し、成子はひざまずき、実は成子の肩に手を置く。2人は泣いた。
夫妻をなだめるきのめ。涙に暮れる子供達、それを慰める千歳。
真昼の花咲家の裏庭で、彼らはひとしきり泣いた。
彼らが愛した少女、花咲 初音は、もうどこにもいない。
初音は愛する鬼の子、鬼煌院 さくらとともに、二度と戻らぬ異界へと旅立った。
花咲家の裏庭では桜の花びらが舞うだけ。
それだけだった。
「――2人の鬼の子は悪い怪物をやっつけ、幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし…」
廃校となった桜ヶ守小学校の建物は取り壊され、敷地内に新しい図書館が開かれていた。
そこでは町役場の職員である花咲 実が、子供相手に絵本の読み聞かせ会をしている。
2人の少女が悪の怪物を斃し、2人で遥か遠くへ旅立ったという絵本だ。
桜ヶ守小学校最後の卒業生たちが製作し、町内および県の施設に配布された物である。
この絵本は普段から子供達が読めるようになっているが、月に一度の町役場職員による読み聞かせ会は、児童やその保護者に好評であった。
実の読み方は、優しく心のこもった声で、その中でも特に評価が高い。
隣町の学区の小学生たちが、わざわざ訪れるほどである。
読み終わったところで子供達の拍手が響いた。いつも通り、大好評であった。
実は本を閉じ、子供達に一礼。そして読み聞かせ会の終わりを告げた。
子供達が保護者に連れられて帰っていく。実は彼らを見送ると、本を棚に戻した。
桜ヶ守小学校最後の卒業生の一人であった愛娘の、この町での最後の日々をつづった物語だということは、子供達の誰にも言っていない。
子供達は単純に、この物語を創作絵本として楽しんでいるだけのようだ。
それで良いと実は思っていた。
司書に挨拶をして、駐車場に停めた自家用車に乗ると、実は西の空を眺めた。
既に夕方。実は遠い夕陽を横目に、娘と共に暮らしていた頃のことを思い出していた。
己を襲った恐るべき運命に、愛する少女とともに立ち向かった、自身の娘のことを。
当時の事を知らぬ子供達にも、彼女のように運命に立ち向かう勇気が伝えられたら…と思いながら、実は絵本の読み聞かせをしている。
真実であることを、自分達以外、もう誰も知らぬ物語を。
(初音、こっちは元気だよ。そっちはどうだろう…?)
心の中で呼びかけるが、当然返事は返ってこなかった。
娘のことを想って、ほんの少し悲しい気持ちになりながら、それでも彼女が愛した少女と共に幸せであることを願いながら、夕焼けの空を見上げる。
そして実は自家用車を走らせ、家族が待つ自宅へと帰った。
――『見参! おにざくら』完――
本作はこれにて完結となります。
ここまで読んでいただき、まことにありがとうございました。
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