第九十三話
冬が訪れ、ちいさな町はやがて雪に覆われた。
ある日起きて、初音は積もった雪に感心した。以前いた街では見られなかった光景だ。
茶太郎が庭に跳び出し、積もった雪の中を駆けまわった。童謡そのものの光景だ。
一方の初音はこたつのぬくもりに夢中になった。
引っ越し前はごく普通の暖房を使っていたのだが、家族で温まるこたつは別格である。
初音の部屋にも電池式の小さなヒーターが置かれた。
特に寒い日は茶太郎を抱えつつ、一緒にヒーターにあたって暖を取る。
時折、窓の外の雪が降る光景を見上げる。否応なく1年の終わりが近付いているのを実感する光景だ。
早朝の町には雪かきの音、自動車が雪をかき分けながら走る音が響く。
必然的に実が仕事に行く時間も、初音が送られて学校に到着する時間も早くなった。
2学期修了式の日。千歳から廃校について説明があった。
どうやら教職員への説明会は全て終わり、廃校後のことについても決まったらしい。
桜ヶ守小学校は他の学校に統合されることなく、教育機関としては完全に廃止される。
初音のみならず、理一たち6-1の子供たちは、寂しそうにうつむいた。
人生においては決して長くない、しかし彼らにとっては大切な6年を過ごした学校が、無くなってしまう。
避けようもない事実に、子供達は心の整理がつけられず、誰も何も言わなかった。
帰りの迎えに来た成子、茶太郎と共に、初音は雪の道をとぼとぼと歩く。
三学期が終わったら、桜ヶ守小学校がなくなってしまう…
今になって実感したその事実を話すと、成子は何も言わず、初音の頭を撫でた。
茶太郎も小さく吠え、初音を元気づけようとしてくれた。
やがて年が明けた。
親戚からは実に新年の挨拶の電話があったのみで、新年会の誘いなどは無かった。
一昨年末に初音が恐ろしい目に遭ってからというもの、親戚筋からは遠ざけられている。
以前は一緒に遊んでいたいとこ達とも疎遠になり、初音は人間関係の無常さに項垂れた。
とはいえ、しばらく見ない間に桜色となった初音の髪を見たら、彼らは仰天してしまうだろう。
中には不良だなんだと罵る者もいるかもしれない。それが無いのは、良かったと言えば良かった。
茶太郎は花咲家の親戚の事を知らないので、ただ慰めることしかできなかった。
3学期が始まった。
残り数か月で廃校になるためか、学校の設備が少しずつ少なくなっていった。
空き教室にあった机、移動式のホワイトボード、体育の授業で使ったマットや平均台。
殆どが古く、再利用も不可能なため、廃棄せざるを得ないらしい。
大好きな学校が少しずつ空っぽになっていく。
子供の自分達ではどうにもできないことに、6-1の面々は落ち込んだ。
ある日、理一が絵本を作ろうと言い出した。
この町で起きた事、大好きな学校の事を、後世に残すためだ。
初音とさくらがスクナを討ち、町は平和を取り戻した。
だからこそ、いつか誰もが…あるいは自分達にとってさえ、学校のことも町に起こった事も、ただの思い出になるかも知れない。
それを聞いて真っ先に初音は賛成した。寿司、真登、寧々子の順に続き、消極的だった渚も最終的に同意した。
絵本と言ってもスケッチブックに書く手製のもので、製本までは考えていない。
千歳に許可を得て放課後に1時間半だけ学校に残り、2月中旬までに仕上げる計画で進めた。
内容は桜ヶ守小学校のこと、初音とさくらのことをまとめた物語である。
初音は寧々子と協力し、さくらと魔妖夷、そしてスクナに関する筋書きを担当した。
学校のことは、桜ヶ守小卒業生の保護者達の協力のもと、理一と渚がまとめた。
意外にも絵心のある真登が絵を、最終的に文章をまとめるのは寿司が請け負った。
出来上がった本を職員や保護者達に見せた所、好評であった。
ただしさくらのことについて、千歳以外の職員は創作だと思ったようだ。
鬼が怪物を斃したなど、普通は絵空事である。仕方がない。
そこで千歳が正式な製本を提案した。
町役場や図書館、県庁などに置き、様々な人に読んでもらおうという意図だ。
相談の末に製本を決め、20部ほどが印刷された。
手に取った子供達は、自分達が作ったものに感嘆する。
子供達と千歳の家にそれぞれ1冊ずつ、町立図書館と役場に4冊ずつ、県庁と県立図書館に2冊と3冊の配分だ。
前の学校の級友たちも読むだろうかと、初音は少しだけ思った。
絵本を作っている間に、1月と2月はあっという間に過ぎていった。
その間に初音も部屋の整理を始める。
かくれ里にどれだけの物を持っていけるかは判らないが、必要になりそうなものは、少しずつまとめておくようにした。
初音の部屋からも、少しずつ物がなくなっていった。
3月――温かな日が増え、雪解けが近付く時。春が間近に迫る。
授業の内容は殆ど終えて、進学の準備が始まった。
桜ヶ守小学校の屋内の設備は殆ど運び出され、残っているのは6-1の教室の机と椅子、掃除用具くらいだ。
中学校の案内のプリントが配布され、全員が――初音を除く全員が、複雑な面持ちで読む。
初音も隣の席の寧々子に頼み、少しだけ見せてもらった。
進学は出来ないが、それはそれとして中学校がどういうものか、興味はあった。
家に帰ってから中学校の話をすると、実と成子が当時の事を思い出し、初音に聞かせた。
小学校からの授業内容の変化や、見慣れた顔と見慣れぬ顔が混在する教室の不思議さ。
それに慣れて、いつの間にか日常となり、そしてあっという間に卒業して高校に進学したこと…
そして中学高校と通して実が野球部に在籍し、よく運動した影響か大食漢であった事実が、きのめの口から暴露された。
揃って懐かしそうに話す両親と祖母に、初音も茶太郎も思わず頬がほころぶ。
もし中学校に進めたら、きっと小学校の頃以上に様々なことがあるのだろう、と初音は思った。
思ったが、特段憧れはしなかった。今はさくらとの再会の方に意識が向いている。
あるいは、かくれ里にも教育施設があるのかもしれない。
大人になるまではそこに通うことになるかもしれない。
実と成子も同じことを考えていたらしく、さくらもそこに通ったのかも、と話した。
警察組織でもある魔妖夷討取改方に入ったのだから、一般的な教育は済ませてあるのだろう。
さくらの話が久しぶりに出て、会える日がより楽しみになる。
それと同時に、現世への恋しさもまた、初音自身が気づかぬ間に芽生えていたようだ。
卒業式の前夜。初音は不意に泣きながら目を覚ました。
悪夢を見たわけでも、哀しいことを思い出したのでもない。
突然胸に溢れた哀しみに、初音の涙は止まらなかった。
無意識に力を籠めていたのか、両手でつかんだ厚手の掛布団が裂け、中の綿が跳び出していた。
子供の腕力では破れないような代物が、初音の手で容易く裂けていた。
ああ――私は鬼なんだ。もうこっちにはいられないんだ――
そう思うと、ますます涙があふれた。
茶太郎が初音の膝の上に乗り、一声鳴いてすぐ飛び降りて、ドアに触れた。
導かれるままに初音は部屋を出て、両親の部屋に向かった。
茶太郎が小さな前足でドアを叩きつつ、何度か鳴く。
すぐに実が出てきた。初音のただならぬ様子に、実も成子もすぐ部屋に迎え入れる。
きのめも起きて心配そうに見守っていたが、実が大丈夫というと、彼女は初音と茶太郎に就寝の挨拶をして自室に戻った。
実と成子は自分達の間に初音を座らせた。膝の上には茶太郎が座り込む。
なぜこんなにも哀しくなるのか、自分でもわからない。
初音がそう説明すると、実と成子は、現世から永遠に離れるのが哀しいのではないか…と答えた。
初音にとって、世界は決して広くない。
家庭、学校、町。家族、級友たちと担任の千歳。
広くない世界のどれもが大切で、その全てに二度と戻れなくなるのが哀しいのではないか。
優しく両親に抱きしめられ、初音は改めて、自分がどれだけこの世界を愛しているかを自覚した。
鬼になったことは後悔していない。さくらと共にいられることは、何より嬉しい。
それでも、二度と元に戻れない事実は、ただ哀しい。
泣きじゃくる初音に、実と成子は感謝の言葉を告げた。
自分達の子供でいてくれて、自分達を愛してくれてありがとうと。
魔妖夷の恐怖を忘れさせるために冷たくした時も、見捨てずに愛してくれてありがとうと。
自分達がいるこの世界を愛してくれて、ありがとうと…
そして改めて、2人は初音に名前の意味を諭した。
心に花咲く音が初めて聞こえたら、その時の想いを信じて生きてほしい。
初音にとってのそれは、さくらへの恋だ。
胸に咲いた想いを何より大事に。そして自分達や現世への愛情は、心の支えにしてほしい。
両親の言葉に初音はうなずき、少しずつ泣き止んだ。
そしてまた初音自身も、実と成子に感謝の言葉を告げた。
この夜、親子3人は一緒に眠った。
さらに茶太郎が初音の布団に潜り込む。
愛する両親、そして茶太郎のぬくもりと優しさに、初音の心が安らいだ。
悪夢も哀しい想いも無く、初音は深く眠った。
そして、卒業式の日が訪れた。
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