第九十二話
出発の時間まで、初音は鉛筆でノートに文字を書く練習をした。
何度かノートが破れ、ページを貫通し、机に敷いたゴムマットにも穴を空けてしまった。
時には鉛筆を真っ二つに折ってしまう。引っ越し以前から使っている鉛筆で、かなり短くなっていた。
それでも全身の力を抜き、薄い線を描くつもりで文字を書くと、うまく書くことができた。
ひらがな、カタカナ、少し難しい漢字…と練習を重ねた。
正午前に家を出て、実が運転する自家用車で学校に向かった。
ランドセルには教科書ノート筆記用具、それと両親が作ってくれた弁当を入れてある。
首にはさくらがくれたお守りを下げていた。
校門前で降りてからそっとドアを閉めると、級友たちもやってきた。
実はそのまま町役場へ向かった。
大雨の翌日ということで、町の住民から川の氾濫や土砂崩れなどの通報が舞い込むだろう。
大変になるだろう父を労いつつ、初音は見送った。
6-1の教室にて昼食を取りつつ、友人たちと千歳に囲まれる初音。
やはり話題になるのは桜色の髪のことだった。
「なーんかさあ、不思議と似合うよねえ。初音ちゃんにこの髪色って」
「似合う…かな? 前と全然違う色だけど…」
「うんうん。似合うよ、ねえみんな?」
寧々子にいわれてうなずく級友たちの姿に、初音も嬉しくなってつられて笑う。
今朝の両親と同じことを言われ、初音は内心で喜んでいた。
ちなみに千歳以外の職員は事情を知らないため、何人かは初音が一夜にして髪を染めたものとでも思ったらしい。
「似合うっつーか…改めて見ると、何か…スゲエな」
一方の理一は感嘆を口にするが、また何ともシンプルな言葉の選び方であった。
褒めているとも引いているとも取れる言葉に、相方の寿司、辛辣お嬢様の渚がさすがに咎めるような視線を向けた。
「もちょっと言葉を選びなさいよ、理一クン…」
「綺麗とか似合うとか、ありきたりな言葉さえ出ないのはむしろ驚きですわ」
「いやだってさぁ、マンガかアニメでしか見ねえもんピンクの髪なんて。
だからホントに、それも染めないでピンクって。何か、スゲエよなって」
「……まあ、たしかに…ビックリはした…」
「だよねー…でも、お父さんたちも褒めてくれたし、私もこの色は好きだから。
それに、さくらちゃんとお揃いの色だし」
フォローらしき真登の言葉に、初音は納得しつつも喜ぶ。
実際、級友の髪色がこうも変化したら、それは誰でも驚くだろう。
昨夜のうちに目にしてはいるものの、陽光の下で見れば印象は変わる。
とはいえ貶したりからかったりは一切しない、まさに良い子達である。
さくらとお揃いであり、初音が自ら選んだ運命の結果であるということも、その理由であろう。
ふと初音が横を見ると、寧々子が自分の髪を指先でいじりつつ、自身と初音の髪を見比べていた。
何やら思案しているようだ。初音が尋ねてみると。
「寧々子さん、どうかした?」
「んー、髪染めよっかなあって。インナーだけピンクとか」
初音の髪色を見て、寧々子も何かしらの刺激を受けたようである。
しかし、それを見ていた千歳が僅かに顔をしかめた。
「似合うと思うけど…若いうちに髪を染めると、頭皮が痛むっていうわよ」
「そうだよ。寧々子さんの髪、今のままでも綺麗なんだし。まだ今のままでいいと思う」
「ん~…でもさあ~…」
千歳と初音の説得に、どうやら考え直そうとしているらしい。
そこにトドメを刺したのは理一であった。
「じゃヅラにすりゃいいじゃん」
「ヅラじゃなくウィッグね!? でもそうか、ウィッグなら染めなくていいのか」
「そうそう。家で1人ヅラをかぶって」
「ヅラ言うな!」
珍しく突っ込む側に回りつつ、寧々子は思い直したようだ。
それが良いそれが良いと、クラスの皆が賛成した。
その後昼食を終え、弁当箱を片づけると授業が始まった。
空は晴れ、開けた窓から吹き込む風は温かい。
以前と変わらない、平和な光景であった。
よく学び、よく遊ぶ。家族と、級友たちと平和にすごす。現世での最後の時間。
小学生としての、そして現世での暮らしの、初音の最後の一年が始まった。
桜の花が散り、青々と葉を茂らせ、春が過ぎて梅雨の時期。
淡い青紫の紫陽花が咲き、雨に濡れながら町を彩る。
雨天の灰色の空と淡い色合いが不思議なコントラストを生み出していた。
春に咲いた桜と、どことなく表情や雰囲気が異なるように、初音は感じた。
校庭で級友たちと共に花壇の世話をしていると、茎を這っていたカタツムリを理一が摘み上げ、女子たちに見せつけた。
しかし女子が悲鳴を上げる中、寿司と真登が野生のカタツムリの病原菌や寄生虫など不衛生さを懇切丁寧に解くと、途端に青ざめて花壇に戻した。
その後千歳に言われ、指紋が削れるのではないかと疑う程丁寧に手を洗わされていた。
アホかおのれは、と渚から突っ込みが入ったのは言うまでもない。
ちなみに真登は将来獣医を目指しているとのことで、ペットが触れそうな生物の危険さも勉強しているらしい。
クラスメイトらがそれを褒めると、普段表情に乏しい彼が、照れて笑った。
雨がしばらく続き、散歩に行けない茶太郎が、ストレスからか家の中でじたばたしていた。
初音が抱き上げても暴れ続ける。顔面にあたる肉球や、少し湿ったような毛並みの感触が心地よい。
そこで成子がボクシングのトレーニングで使うパンチングボールを布と綿で作り、実が使い方を教えた。
見よう見まねで茶太郎は布のボールを叩く。気に入ったのか、すぐ楽しそうにリズミカルに叩きだした。
初音は茶太郎を抱え、その光景を後ろから眺める。
わふわふ言いながらパンチングボールにじゃれる茶太郎が楽しそうで、何よりであった。
空が晴れ渡り、熱い太陽が照らす季節、夏。
鬼とはいえ、さすがに夏の暑さには耐えられず、初音は早々に音を上げた。
犬ゆえに汗をかけない茶太郎も大変そうだ。
幸い家にはクーラーがあるため、学校から帰れば暑さ…というより熱さからは逃れられる。
残念ながら学校に冷房は無く、みな暑い暑いと言いながら授業を受けていた。
余りの暑さに耐えかね、千歳が車を出して、近くの川に遊びに行った日もあった。
子供たちは水を掛け合ってあそび、川の水の冷たさに歓声を上げた。
たまに力加減を誤り、初音が盛大に水を跳ね上げた。皆びしょぬれになったが、楽しさに笑った。
時折通行人がそれを眺め、頭がピンクの子がいると驚きの声を上げていた。
夏の終わり頃、桜ヶ守小学校の校庭で夏祭りが開かれた。
あまり規模は大きくなく、屋台が並んだのは校庭の一角だけだ。
花咲家は揃って出かけ、屋台料理や射的、くじ、かき氷などを楽しんだ。
意外なことにペット用の料理などというものが出ており、茶太郎に買ってやると喜んで食べた。
桜ヶ守小6-1の面々も揃い、家が裕福という渚、神社の娘の寧々子は浴衣を着ていた。
どちらも可愛らしいと初音は讃え、理一たち男子も手放しで2人の浴衣姿を絶賛した。
町中の桜の木々の葉が赤く染まっていった。
風が少しずつ冷たくなっていく――秋の訪れ。
花咲家の桜も同様で、夏までは青々としていた葉が、鮮やかな茜色に変わった。
道行く人々も感嘆の声と共に見上げていく。
鬼の子が住んだ家の樹ということもあって、町内ではちょっとした名物らしい。
一方の初音は、気温の変化に合わせ、長袖の服を出した。
時折風の冷たさに震え、春も夏もとうに終わりを告げたのだと実感する。
花咲家の冷蔵庫からも、アイスや冷たい飲料が消えた。
寝具もタオルケットと薄手の毛布に加え、厚手の掛布団を出した。
この時期には初音も腕力のコントロールに慣れ、鬼になる前と同様に生活できるようになった。
町内放送で、空気が乾燥するため火災に注意というアナウンスが流れた。
空気が乾燥し、冬に向かって寒くなり、暖房を使う家も増えていく。花咲家も例外ではない。
桜ヶ守小学校でも防災訓練が行われた。
木造の学校ゆえ、火災には特に注意と、校長から教師と生徒らに伝えられた。
それでいて、時折降る雨は夏までのそれと比べて冷たい。
風邪をひかぬよう、初音は厚着をするようになった。
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