第九十一話
初音はさくらに抱えられて自室へと運ばれ、ベッドに横たえられた。
茶太郎とコロ左衛門はペット用の寝床で並んで横になる。
といっても、コロ左衛門の方はいずれかくれ里に帰るので、あくまで仮眠である…の、はずである。
完全に茶太郎を抱え込んで後頭部に顔をうずめ、すっかり眠りそうな体勢だが、仮眠の筈である。
茶太郎の心配もどこ吹く風とばかり、もふもふしている。
「わふ~」
「…ちゃんと起きられるんじゃろうの、お主?」
「フニ~」
呑気に返答するコロ左衛門。長年の相棒を信じる以外、手立てはなさそうだ。
さくらは電灯のスイッチを切り、初音の隣に潜り込んだ。
暗闇の中で見つめ合う2人。鬼桜の紋の薄明かりで、互いの顔が見えた。
柔らかな桜色の光の中、2人はじっと見つめ合う。
そっとつないだ両手から、互いのぬくもりが伝わる。
「初音」
真っ直ぐに見つめ合う中、さくらが初音に問う。
ほんの少し物悲し気な表情だ。
「もしわらわが一人でスクナを討てていたら、お主はどうした?
素直に別れられたか、それとも――やはり鬼になっていたか?」
スクナを討ち、さくらが戻ってきて別れを告げたとしたら、自分はどうしただろう…
素直に彼女の言葉を聞けるだろうか。あるいは両親やさくらの父母に止められて、従えるだろうか?
初音は少しの間考え、正面から見つめ返して答えた。
「きっと同じだよ。さくらちゃんと一緒にいたいって、鬼仁鋼を出して…
でも、そしたらさくらちゃんを一生悲しませてたね…」
「うむ。わらわが立ち直れたのは、あの場でお主が胸の内を伝えてくれたからだしの…
もしそうなればお主を島流しにするか、お主を殺してわらわも死ぬか。
そのくらいはしておったやもしれぬ」
「……それはヤダなあ」
今でこそ言える冗談に、初音もさくらも揃って苦笑した。
今更人に戻る術などあるわけもない。そんな『もしも』のことをこれ以上話すことも無く、この話題はすぐに終わった。
ふいに初音が目を逸らし、もう一度さくらを見つめた。
少しだけ、さくらの手を握る力を強め、初音は問う。
「…明日になったら、もうこっちにはいないんだね」
「うむ。父上が言うたとおり、次の春。
桜が咲き始める頃に迎えに来るつもりじゃ」
初音の切なげなささやきに、さくらは優しく答えた。
「そうじゃの…恐らく、お主が学び舎を出る頃かのお」
「…卒業式の日?」
次の春で桜の花が咲く頃といえば、ちょうどそのくらいの時期だ。
3月か、遅くとも4月か。その頃になったら、初音もまた現世からかくれ里へと渡ることになる筈だ。
初音がこちらにいられるのは、のこり1年弱。
かくれ里へ渡るのは、できれば学校を卒業してからにしたかった。
初音の希望を悟り、さくらは微笑む。
「日付のことは父上達に話してみよう。
わらわも、お主にはしっかりと勉学を修めてほしいしの」
「うん。お願い」
初音とさくらは微笑み合い、どちらからともなく抱きしめ合った。
温かく甘い香りに包まれながら、初音はそっと目を閉じる。
その髪を優しく撫でながらさくらが囁く。
「その間待たせることになるが、他の者になびくでないぞ。
それに怪我や病もいかん。お主はわらわの花嫁なのじゃからな」
「うん…約束する」
「約束じゃ。もし破ったら、今度こそ島流しでも何でもして、お主を一人きりにしてやるからの」
「うん……」
小指と小指が触れ合い、からまる。約束の指切りだ。
そしてすぐ離れた。急速に意識が失せていくのを、初音は感じた。
もっと話したいのに。もっと触れ合いたいのに。まだ起きていたいのに。
そう思うも、恐るべき運命の只中を抜けた今、初音の心も体も疲れ切っていた。
何よりもさくらのぬくもりが、さくらの両腕に包み込まれる幸福感が、眠気を助長する。
離すまいと初音はさくらを抱きしめた。
お互いに鬼であるがゆえに、多少力を入れてもさくらの体は折れない。
それなのに、夜が明けたら…
「もっと……おはなし…… さくら、ちゃ…さく…――」
「――おやすみ、初音。また次の春にの」
まぶたが落ち、優しい温もりの中で意識が失せた。
眠りに落ちる直前、初音は額に何かが触れるのを感じた。
柔らかく、少しだけ湿った感触があった――きっと口づけであろうと思いながら、初音は眠った。
目が覚めると、隣には誰もいなかった。
机の上にはお守りが残っている。さくらが残したのはそれだけだった。
さくらが眠っていたであろうシーツに触れる。温もりと残り香がほんの少しだけ。
体を起こし、初音は窓から裏庭の桜の樹を見下ろした。
さくらの下駄のものであろう足跡、そしていくつかの大きな蹄の跡が、根元の周囲に残っていた。
どこかに跳んで行ったか、それともかくれ里につながる出入口のようなものでもあるのか。
いずれにしろさくらは巌十郎と辰丸に迎えられ、かくれ里に帰ったようだ。
初音は窓を開けて顔を出し、桜の樹を見つめる。
ほんの数週間前、樹のすぐそばにあったはずの蔵は、もう跡形もない。
初めて出会った瞬間、初めて目が合った瞬間が、今でも胸に残っていた。
桜色の髪をなびかせ、朝のそよ風に身を任せて目を閉じ、しばらくのあいだ邂逅の日の記憶にふける。
そしてもう一度目を開け、さくらとの約束を思い出した。
さくらは次の春に迎えに来る。
それまで心身ともに健康で、そしてさくらを想いながら待ち続けなくてはいけない。
「…うんっ」
初音は起き上がり、大きく伸びをして、窓を閉めた。
時刻は7時30分過ぎ。学校が無事であれば、午後から授業がある。
家族できちんと朝ご飯を食べよう。支度も整えて、学校に行こう。
たくさん家族とふれあい、勉強して、友達と遊ぼう。
そして卒業の日までさくらを待ち続けるのだ。
初音がベッドから出ると、同時に茶太郎も目を覚ました。
となりにコロ左衛門はいない。ちゃんとさくらと共にかくれ里に帰ったようだ。
少し寂し気だったが、初音と目が合うと、茶太郎は元気を取り戻した。
「おはよ、茶太郎」
「わふっ」
「朝ご飯食べよ。みんな待ってる」
「わふ!」
初音と茶太郎は連れ立って部屋から出て、居間に顔を出した。
実、成子、きのめが2人を迎えた。元気に朝の挨拶をする初音と茶太郎。
ちゃぶ台には既に朝食が並んでいる。
「おはよう!」
「わふ!」
「初音ちゃん、茶太郎ちゃんもおはよう」
「おはよう初音。よく眠れたか?」
実の質問に、初音はうなずいて答えた。
「うん。いつもよりよく寝れたくらい」
「昨日は大変だったものね。授業は予定通り午後からだけど、出られそう?」
成子が指し示したスマートフォンの画面には、午後1時から授業開始とのグループメッセージが表示されていた。
炊き立ての白米をよそった茶碗を並べつつ、成子が問う。
もし疲れが残っていたら休ませるつもりなのだろう。
大丈夫と、こちらにも初音はうなずいた。
「うん、行けるよ」
「じゃあ実さん、送ってあげて」
「ほいほい、承ったよ。お昼の少し前に着くくらいでいいのかな?」
「ええ。みんなでお昼ごはんを食べて、それから授業にするんですって」
そして料理が全て並び、茶太郎の皿にはドッグフードが盛られた。
家族で席について手を合わせ、食前の挨拶をする。
と、きのめが初音の隣に目を向けた。
空席――そこにさくらはいない。既に家族の一員とも言えたさくらとコロ左衛門が、今はいなかった。
居間に置いていた筈の、武具をしまう木箱も無い。持ち帰ったようだ。
ほんの少し、家族全員が寂しそうな顔をした。
「…さくらちゃん、少しだけ寂しそうな顔してたのよ」
彼女たちを見送ったのだろう、成子が言う。
昨夜は初音にそのような顔を見せなかった。
待っていろと言った手前、見せられなかったのだろう。
「何か言ってた?」
「また来るから元気で、とだけ言われたわ」
簡素な別れの言葉だ。だが日の出までわずかな時間の間で、誰かに伝え残すのも難しい。
昨夜のうちに交わした言葉だけでは足りず、きっと言いたいことはたくさんあったはずだ。
本来の家族とはまた別に、さくらもまた花咲家を愛していた。
だからせめて初音がかくれ里に渡るまでの間、どうか家族で幸せにいてほしいと、後腐れの無いように。
湿っぽい言葉は残さず、簡素な答えだけ残して帰っていったのだろう。
「そっか…」
「わふ…」
「そうだね。じゃあ、元気で過ごせるようにご飯を食べようか」
「――うん」
改めて実が、そして続いて初音たちも手を合わせ、いただきます、と食前の挨拶をした。
家族が作る料理のおいしさを、初音は改めて噛みしめながら食べた。
茶碗や箸を壊さぬようにそっと握る…力が抜けすぎて、箸が手から落ちそうになると、慌てて実が受け止めた。
「あ…ありがと、お父さん」
「どういたしまして。ゆっくりでいいよ、初音」
鬼の膂力のコントロールに慣れるのは難しそうだ。
だが幸せな日々を送るため、初音は改めて練習をしようと心に決めた。
ふと両親の視線を感じて、初音は顔を上げた。
実と成子が見つめているのは初音の顔ではなく、髪だった。
朝の日の光の中、桜色に変じた初音の髪は、鮮やかに艶めいていた。
「不思議な感じだけど、桜の色もよく似合うじゃないか、初音」
「そうね。さくらちゃんとお揃いだからかしら? 綺麗だわ」
どこか嬉しそうに笑いながら言う両親に、初音も自慢げに答える。
「うん――きっとそう。さくらちゃんがくれた色…さくらちゃんの色、だから…」
「なるほど、それなら納得だ」
鬼へと変ずる以前の艶めいた黒髪も、そして今の鮮やかな桜色の髪も、初音はどちらも気に入っていた。
そして両親がそれを褒めてくれた。さくらとお揃いだと。
初音はそれがとてもうれしかった。
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