第八十七話
少しだけ体を離し、初音はさくらと見つめ合う。
さくらの幸福そうな微笑みに、自身の想いが伝わったことが初音にもわかった。
「初音」
優しく自分を呼ぶ声に、初音もまた胸が高鳴る。
抱き合ったまま、初音はさくらと手をつないだ。
「行こうかの。皆、待っておる」
「うん」
「わふ!」
「フニ~」
茶太郎とコロ左衛門が初音とさくらの背中に飛びつく。
再び見つめ合った2人は高く跳び、住宅街の屋根をいくつも越えて、桜ヶ守神社へと向かった。
真夜中の住宅街に、桜色の少女が2人。楽しそうに飛び跳ねる。
神社の石段の最上段近くに着地し、残る数段を2人で揃って上る。
やがて、境内で待つ家族、級友たちの顔が見えた。
一様に驚愕の表情を浮かべ、皆が初音を見つめていた。
変わり果てた愛娘の姿に、実と成子が震えながら歩み寄る。
2人の目に浮かぶ哀しみに、初音の胸が締め付けられる…
「初音」
「初音……初音…!」
実と成子はひざまずいて初音を抱きしめた。
父の大きな手、母の柔らかな手。自分を心の底から愛してくれている両親の優しさを感じ、初音は2人の背に手を回した。
だが、力いっぱい抱擁することなど、できなかった。そっと背中に手を置くだけだった。
鬼と化した自身が力を入れて抱きしめたら、きっと父と母の体は砕けてしまう。
今の自分は鬼であり、人間の体を抱きしめることはできない。
2度と両親を抱きしめることはできない――
己の決断がもたらした結果に、初音の目から一筋の涙がこぼれた。
「お父さん…お母さん……!」
鬼となった自分は、もう両親の愛に答えることはできない。
両親を、家族を愛することも…
悔恨、謝罪、それでも自分も両親を愛しているという思いは、両親を呼ぶ以上の言葉として、出てはこなかった。
言葉にならぬ初音の想いを、しかし実も成子も理解したのか。
抱きしめたまま2人は優しく、初音の桜色の瞳を見つめ、同じ色の髪を撫でている。
途中、実が顔を上げ、さくらの方を向いた。初音と成子もその視線を追う。
さくらは口を開き、何か言おうとした――が、実がそれを感謝の言葉で止めた。
「さくらちゃん。ありがとう…」
「…おとう殿、おかあ殿」
「いいのよ、さくらちゃん。何も言わないで、いいの…」
「………かたじけない…」
成子にも諭され、さくらは何も言わずうつむいた。
その肩をきのめが優しく叩く。視線を合わせ、2人とコロ左衛門が微笑み合った。
初音がふと視線を感じて顔を上げると、級友たちと千歳が、遠巻きに花咲家の面々を見守っていた。
友が鬼へと変わったことに、彼らは哀しみ、それでも初音の想いを尊重しながら、複雑な笑顔を浮かべていた。
理一だけがただ一人、泣きそうな顔をしている。
初音は何も言わず、級友たちに向けてうなずいた。
それだけで良かった。千歳と級友たちは、何も言わなかった。
緩やかに真夜中の風が吹き、初音とさくらの桜色の髪がなびいた。
全てが終わり、スクナは消滅した。
さくらが望んだような、全てが元通りになることは叶わなかった。
だが、さくらは初音の決断を受け入れた。
愛する初音の決断。それが今のさくらにとって、この闘いの全てであった。
結界を解いた巌十郎とイト、辰丸がさくらに歩み寄った。
巌十郎とイトはさくらの手に頭を置き、優しく撫でる。
「さくら。大儀であった」
「頑張りましたね、さくら…」
優しい両親の手を感じ、さくらは嬉しそうにほほ笑んだ。
気を張る必要もなく、彼女も素直に賞賛を受けている。
「はい…さくらは、がんばりました…
けれど、初音がいなくては…きっと、奴を討ち果たせてはおりませなんだ…」
「…うむ」
謙虚でありつつ、子供らしい返事だった。巌十郎もその通りとうなずく。
初音がその姿を見ていると、照れくさいのか、さくらは目を逸らした。
両親に甘える姿は既に目にしているのだから、何も気にすることは無いと初音は思うのだが。
そんな可愛らしいさくらの姿に、この場にいる者達も頬を緩める。
そして、巌十郎とイトは初音の方を改めて向く。
初音はその目元が悲し気に伏せられたことには気づいたが、しかし夫妻は初音の姿には何も言わなかった。
さくらが何も言わぬのだからと、夫妻も全て受け入れると決めたようだった。
「初音殿も。魔妖夷討取改方長官として、感謝いたす」
「それにわが愛娘、さくらのことも。初音様がおらねば、わが娘はどうなっていたことか…」
ひざまずき、深々と頭を下げる巌十郎とイト。
初音もまた、感謝して2人に頭を下げた。
「いえ、こっちこそ皆を助けていただいて…
ありがとうございます……でも、その」
感謝しつつ、結局自身を護ろうとしてくれた2人の厚意も反故にしてしまったことを、初音は謝ろうとした。
しかし巌十郎がそれを制し、初音を諭す。
「いや、良い。さくらが何も言わぬのであれば、親たる我らも何も言うまい。
我らは『かくれ里』で備えを済ませるだけじゃ、あとは2人で決めるが良い。さくら、良いな?」
さくらは嬉しそうな顔で、うなずいた。
幼い2人が下した重すぎる決断を、花咲と鬼煌院の両家とも、親は受け止め支えると決めてくれた。
よかったと、初音とさくらは安堵の視線を交わす。
そして初音は思い出した。最初に魔妖夷を斃した日、さくらから聞いた言葉を。
実たちもさくらの説明を思い出したようで、そろって巌十郎達を見ている。
鬼たちは普段、『かくれ里』に住んでいる…改方の本拠地たる別世界に。
そして今しがた、巌十郎は『かくれ里』で備えを済ませると言った。
何の備えか。語るまでも無かった…初音が移り住むための備えだ。
鬼となった初音は、もう人間と同じ世界には住めない。
さくらと同じ世界、『かくれ里』に住まなくてはいけない。
初音の手を握りつつ、実が巌十郎に問う。
「初音は『かくれ里』に、すぐ行かなくてはいけませんか? 今すぐ?」
「否、備えにはしばし時がかかる。それまでは現世で過ごされるが良い。
迎えに上がるのは、恐らく次の春になるであろう」
別れはすぐではないと知り、実と成子が安堵のため息をつく。
この上今すぐこの場で愛する娘がいなくなるとなれば、流石に心が痛む。
あくまでしばしの猶予とは言え、初音と共に過ごせるとなり、安心した夫妻であった。
そして初音自身は――時間が必要と言う巌十郎の言葉で、この世界を去らねばならぬことを、却って実感した。
自分はもう『鬼』なのだと、改めて突き付けられる形となった。
「実殿、成子殿。それまで、娘御を大事にしてやってくだされ。
我らが言えた義理ではないのだが…どうか、初音殿のためにも」
「はい。…ありがとうございます」
感謝する実。初音と成子、それにきのめと茶太郎も、僅かでも家族で過ごす時間をもらえたことに、巌十郎に感謝した。
いつか家族と永遠に離れるその日まで。初音は家族、級友、そしてこの世界で触れ合える全てを大事にしようと。
小さく胸の内で誓った。
全てが終わり、皆で神社の後片付けを始めた。
大雨が降ったことで桜の花びらが散り、境内の設備も荒れていた。
幸い停電は起こっておらず、また現世に戻ったこともあって、境内は照明で照らされている。
初音とさくらは寧々子から社務所で休むように言われ、従った。
応接間で2人…と、茶太郎とコロ左衛門は並んで座る。
ちなみに寧々子の両親は寝室におり、今夜一晩休んだら病院に戻るらしい。
外からは皆の声が聞こえた。楽しそうな子供達の声、遊ぶ子供たちを叱る千歳や保護者達の声。
聞きなれているはずの声を、初音はやけに遠く感じた。
かくれ里に行ったら、彼らの声をもう聞くことは無い。
そんな思いが遠い声に聞かせているのであろう。
少し寂しくなり、初音はさくらの肩にもたれかかった。
さくらの小さな手が初音の頭を撫で、茶太郎が初音の膝に座る。
無言でよりそう2人の優しさに、初音は少し物悲しい気持ちになった。
掃除が終わり、実たちが社務所に上がってきた。
全員がそろそろ帰宅するということで、それぞれ持ってきた荷物をまとめる。
さくらは浴室を借りて普段着に着替え、着物とたすきを移動時に使ったバッグに詰め込む。
帰りの支度を整えた所で、千歳がこの場にいる全員に声をかけた。
全員の視線を浴びつつ、千歳が連絡事項を告げる。
「明日の学校ですが、大雨が降りましたので、校舎の点検のために午前中は休校とします。
校舎に異常が無ければ、授業は午後から開始とします。
SNSで伝えますので、皆さんメッセージの確認を忘れないように」
「えー、明日くらい休みにしようぜぇー!」
「アタシも理一にさんせー。ねー先生、いいでしょー?」
さっそく理一と寧々子が反論すると、千歳は苦笑しながら答えた。
「まあ正直、先生も休みたいんですけどね~。
ただここ何日か、大雨で授業時間を短縮しちゃったので。
急いでカリキュラムを消化しないといけないんです」
と、そんな理由で千歳は反論を封殺してしまったのである。
何しろ廃校寸前の学校で、授業がすべて終わらないとなれば、これは大変な不名誉と言えた。
子供達も納得してうなずく。
「まあ、それなら仕方がありませんわよね…」
「…遊ぶなら、夏休み、冬休みで…」
「勉強についていけなくなったら、このボクが2人っきりで教えてあげますから。頑張りましょ理一クン」
「いやみんなで教えてくれよ!」
渚と真登に諭され、寿司の善意に突っ込みつつ、こちらもまた苦笑しながら理一が諦めた。
皆の間に小さな笑いがあった。
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