第八十六話
彼女の背にしがみつくコロ左衛門の頭の毛が、数本だけ立っている。
まだ魔妖夷…スクナが生きているようだ。
しかしそれにしては危機感が無いように感じられ、初音は首をかしげた。
「どうしたの? …まだ生きてるの?」
「わふ?」
「うむ…」
茶太郎を胸に抱え直し、さくらと並んで歩きだす初音。
何歩か歩いて立ち止まったさくらが、地面を見下ろしてため息をついていた。
つられて見下ろした初音と茶太郎も、心底嫌そうなため息に納得した。
さくらの足元には、がさがさに乾き切った肉片――否、スクナの2つあった頭部の片方が転がっていた。
残された全ての邪気をどうにかこちらの…2つあるうちどちらであったか、初音は憶えていない…の頭に移し、生き延びようとしたのだろう。
その甲斐なく地面に転がる生首は、すでに人間の赤子ほどの大きさに縮み、挙句少しずつ乾いた肉が零れ落ちていた。
なるほど、さくらにしても危機と思えるものでは無い。
「…しつっこい奴じゃ」
「フニ~」
抵抗するように、スクナの首の口元が動く。ふがふがと不明瞭な声の後、うめき声が聞こえた。
既に口が1つしかないため、声は1人分しか発することができない。
『うヴ…うえぇぇ…己は…己は、父母の…恨み…恨みをぉぉ』
「まだ言うておるのか、こやつは…」
愚痴をこぼすさくらの横顔を見ながら、ふと初音はスクナの言う『両親の恨み』のことが気になった。
それは本当に、日本潰滅を狙う程の恨みなのか。それとも…
「さくらちゃんは、スクナの恨みが何なのか、知ってる?」
「うむ…事細かに全てを知っているわけではないがの。
こやつがもともと邪教に作られた呪いの道具、というのは話したな?」
「うん。その、邪教が関係あるの?」
「スクナが現れる前の頃に聞いたのだがの。
当時の検非違使が言うに、こやつの親がその邪教の徒であったらしい」
検非違使(天暦の時代の治安維持機構)の話では、捕らえた邪教の信徒の一人の女が、刑罰を受けた末に双子を獄中で生んだという。
実際の所は、出産ではなく己の手で腹を裂き、他の信徒たちに生まれる前の胎児を引きずり出させたのである。
そして胎児がいつの間にか牢から消えた後、父親にあたる男が自ら首を斬りつけ、命を絶っていた。
その2人の子らがスクナとなった…という話である。
「そ奴らは日本の各地で畑や井戸水に毒を撒き、多数の人間の命を奪った。
その罪で捕らえられ、厳しい刑罰の末にみな獄中で死んだらしい。
いわばその邪教全体、まるごとただの暴徒ども、大罪人の集団と言うわけじゃ」
検非違使によれば、腐った大地を邪神に捧げてどうたらこうたらと、教祖は言っていたらしい。
そして教祖の言う邪神とやらは、教祖自身が妄想で生み出しただけのものであった。
現代で言えば、カルト教団にしてテロリストという所である。
「悪い人達が捕まって、その恨みを…つまりただの逆恨みかもって?」
「左様じゃ。そして、その呪物に邪気が宿ったのがこやつじゃ。
元が逆恨みとは言え、こやつの力はあまりにも悍ましかった。
ゆえに鬼と人が同盟を結び、現世を護らんとしたのじゃ…」
「フニ~」
逆恨みと言えば軽々しい感情にも聞こえる。
しかしそれが育ち続けた末、人類を絶滅させかけたのである。
怨嗟と邪気が強く結びついた結果であろう。
が、ここでまた一つ、初音には気になったことがあった。
元となった呪物を生み出した人間の怨嗟と、その呪物を魔妖夷と化した邪気の関係だ。
親から子へ受け継がれた怨嗟から魔妖夷へとなったと思ったが、両者の関係を示すものが無い。
さくらにも、そして魔妖夷討取改方にも判らなかったようだ。
もしや、と思って初音はかがみこむ。
さくらが止めようとするが、視線で大丈夫と答える。
「……スクナ」
『あああ…うぬぁ、はなざぎのごぉ…
うぬが、うぬぅがぁああ』
スクナは返事をしたが、よくわからぬことを言うだけであった。
最早何を言いたいのか、スクナ自身も判ってはいまい。
それに構わず、初音が問う――ある意味、あまりに残酷な質問だった。
「お父さんとお母さんのこと、あなたは憶えてる?
抱っこしてもらったこととか、ある?」
質問に対し、しばし残された頭でスクナは考え事をしていた…
が、突然カッと目を見開き、荒い息を吐き出した。
頭だけが玩具の仕掛けの如く震え出す。
己の推測に間違いが無かったことを初音は確信した。
『ぢぢ…は゛は゛、うらみ…あ、あれ…な……なん…
なん…だっげ…ぞれ゛………?』
父と母のことを幾度も口にしていたはずのスクナの口調が、突然幼い子供のそれになった。
憶えていないというより、その言葉自体を理解できないような言い方だ。
スクナは父母やその恨みの事を、言葉でしか知らないのではないか…というのが、初音の推測だった。
心の底から両親と愛し合った初音は、スクナの言う『両親の怨み』なる言葉に、得体の知れない空虚さを感じていたのである。
ただのテロリストに過ぎぬ邪教の信者が、逆恨みであるとしても、恨みを託すほどに己の子を愛するものなのか。
『父』も『母』もその恨みも、胎児だった頃におぼろに記憶した言葉でしかないのではないか。
胎から引きずり出され、死骸をただの呪いの道具とされたというスクナ自身の出自が、その推測を裏付ける。
愛も無く、道具として扱われただけ。親に抱かれるわけもなく、その意味すら理解することも無く。
結果は初音が推し量った通りだ。
強烈極まる怨嗟が邪気を生み出したのであろうか、確かに異常な事態ではあったようだ。
しかし魔妖夷と化したのは、その即身仏に偶発的に邪気がたまり、怨嗟と結びつき、頭の中に残されたおぼろげな記憶が肥大化した結果だ。
父母というものの意味もその愛も知らず、その恨みの原因も、自身で考えることは無かった。
肉体と知能が育っただけで、何も知らず学ばぬまま、笑いながら『ちちとははのうらみ』とやらを振りかざしていただけだ。
強大極まる邪気によって力だけは持つも、押し付けられた怨嗟の本質を千年も顧みず、殺戮の享楽に耽り続けた、空っぽの――ただの怪物。
『子供』になれることさえなかった。それがスクナの本質だ。
今際の際になって、己の『恨み』が空っぽであることに、スクナはやっと気づかされたのである。
『ああああ、あああああ…』
虚ろな呻き声が響く。
もう何も言うことは無いと、初音は憐れみの籠った視線でスクナを見下ろしつつ、立ち上がった。
あとは任せるとさくらに視線を送る。うなずき、さくらは金棒を一振りして進み出た。
スクナは虚ろな目でさくらを見上げた。呻き声を上げつつ、首を振るかのように蠢く。
だがさくらはその拒絶を無視し、鬼仁鋼を振り上げた。
「これ以上の申し開きはあるまいな。
まさか己が親に捨てられた哀れな子だからと、助かりたいなどとは思っておるまいな?
長きにわたり、幾つもの命を奪い続けたその罪。
魔妖夷討取改方筆頭与力として、赦すわけにいかぬ」
『や、やだ、やだ、やめえええ』
「…………ふぅ…――
…これで、仕舞いじゃっ!!」
振り下ろされた鬼仁鋼は、容赦なくスクナの頭を叩き潰した。
砂の如く乾いた肉の破片が飛び散り、初音たちの鬼力に触れて消滅した。
断末魔の悲鳴は一言も無かった。遺言さえ残させることなく、さくらはその命を完全に断った。
千年もの間、虚ろな怨嗟で鬼と人を苦しめ続けた人造の奇形児――スクナは、この瞬間に完全に消滅したのであった。
さくらの手の中で鬼仁鋼が光り、輝く球体となって、初音の胸に飛び込む。
同時に鬼力の発現が解け、2人の角は縮み、前髪の下の額に収まった。
最後の闘いが終わり、町は幽世から少しずつ現世へと戻っていく。
現世の方でも雨はやみ、空には星が見えていた。
ふと視線を感じ、初音はさくらの方を見た。
先ほども見せた物悲し気な視線が、初音の淡い桜色の瞳をじっと見ていた。
茶太郎とコロ左衛門が、それぞれ初音とさくらから離れ、地面に降りた。
さくらが手を差し出す。初音がそっと握ると、さくらにぐいと引き寄せられ、抱きしめられた。
突然のことに驚く初音…だが、さくらの吐息を聞き、すぐに背中に手を回してやった。
初音が鬼に変じたことへの複雑で切ない想いが、己の桜色の髪を撫でる手、そしてさくらの抱擁から伝わってくる。
愛する者と一生を共にする幸福感。愛する者があまりに重い決断を下したことへの哀しみ。
2つの想いは、どちらも初音を愛しているがゆえのものだった。
初音もまた、抱擁で答える。
共にいられることが嬉しいのだと。これが自分の決断だと。
頬に触れる髪が揺れ、さくらがうなずくのがわかった。
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