第八十四話
直後、さくらは上空を見上げる。何かが空を切る音が聞こえた。
次第に近付き落下した物体は、地面に激突し、金属音を上げて粉々に砕け散った。
突然のことに驚くさくらは、スクナを見上げ、その正体を知った。
「これは――」
スクナの刀の折れた破片だ。
折れた刀身の先端側が上空に吹き飛び、今しがた落下してきたのである。
スクナの右の胸側にある手、第一の手に握られた刀の黒い刃は、半ばから真っ二つに折れていた。
『『何をした』』
これまでの嘲笑から一転し、露骨に不機嫌そうなスクナの声が聞こえた。
予想外の出来事に、相当不機嫌になっているらしく、2つの凶貌の口元がゆがんでいた。
さくらはこの刀を折れる武具など持っていない。何が起こったかと、考えを巡らせるが…
たった1つ。否、たった1人。刀を折れる武具をもった者が、ここにいる。
それができた者が。胸に『鬼桜の紋』を持つ者が――
初音がゆっくりと立ち上がった。その両手は何かを掴んでいる。
角ばった金属製の棒で、太さは初音自身の腿の一回りか二回り。柄の部分だけが細い。
長さは身長の倍はある。表面に並ぶのは白い梵字、そしていくつもの棘。
さくらが用いていたものと同一の武具、初音が胸の紋章から召喚していた清めの金棒。
鬼仁鋼を、今は鬼となった初音が手にしていた。
胸の鬼桜の紋を完成させた、6度目の召喚…
初音を完全なる鬼へと変化させた、6度目の鬼仁鋼の召喚だ。
『『花咲の餓鬼、うぬか。うぬが折ったのか。
うぬごとき餓鬼が、この俺の得物を折ったとぬかすか』』
見下ろすスクナ。答える代わり、初音は桜色の髪をなびかせ、金棒を構えた。
闘った経験のない初音の構えは、当然素人のそれ…金棒の先端を敵に向け、距離を取って身を護るだけの構えだ。
だが初音の脚は震えてなどいなかった。
スクナと相対したのはこれが初めてだが、知らぬ相手だから平気などというものではない。
初音はスクナへの恐れなど、微塵も抱いていない。
『『この己を恐れぬか。大した度胸よなあ、花咲の餓鬼よ』』
勇気を湛えた初音の両目が、まっすぐにスクナを睨んでいた。
いかにも素人という初音の構え方を見て、スクナが嘲笑う。
『『それとも怖いもの知らずの振りでもしておるのか。
気張りよる、たかだか人の餓鬼のくせに――』』
「怖くないよ」
だが初音は、その嘲笑をたった一言で切り捨てた。当然、声も震えていない。
これまで恐怖を感知して出現し、そして敵対する鬼たちを恐怖の底に叩き落したスクナには、予想外の反応であったらしい。
挑発の言葉を打ち切り、初音の言葉にたじろいでいた。
スクナに恐怖せぬ者。すなわち、スクナの怨嗟さえも切って捨てるであろう人物。
初めて相対する相手に、スクナはあきらかに当惑していた。
「私は、家族、先生、友達から、いっぱい愛されて育ってきた。
みんな私を支えてくれたし、私もみんなが好き。
そして、いまはさくらちゃんが隣にいる。大好きなさくらちゃんが」
『『何ぃ…?』』
「だから私はここにいられる。さくらちゃんの隣に立っていられる。
あなたなんかやっつけて、ずっと一緒にいるって、決めたから。
怖くない。あなたの恨み言なんか、全っ然! 怖くない!!」
一方の初音の心は、いくつもの大きな愛に包まれ、いつしか魔妖夷の恐怖に負けぬほど強くなっていた。
堂々斃すと宣言する初音に、スクナはやっと苛立ちを覚えたのか、顔をゆがめる。
当然である。そもそもスクナは初音の魂、その中の恐怖の感情を狙っているのだ。
その初音がスクナをまるで怖くないという。
しかも両親から継いだ怨嗟を、ただの恨み言と言い捨てられたのである。
思惑通りに事が運ばず、今のスクナは相当苛立っている。
その様子を見守っていたさくらの許に、コロ左衛門と茶太郎がやってきた。
2匹とも鉄下駄を片方ずつ持っている。どこかに失せていた下駄を、2匹で片方ずつ回収してきたのであった。
受け取り、さくらは履いて立ち上がった。
かつて鬼たちを恐怖させたはずのスクナが、今は初音相手に苛立っている。
初めて見る光景に、さくらは唖然としていた。
「初音。奴が恐ろしくはないのか…」
唖然としつつ、口調はいつものそれに戻っていた。どうやら立ち直れたらしい。
それでも、初音が鬼仁鋼を振るい、しかもスクナの刀を折ったことには、まるで理解が及ばなかったようだ。
何しろ先刻まで、自身の手では折るどころかひびの一つすら入れられなかったのだ。
それに対し、初音はさくらの方を振り向いて、微笑んで答えるだけであった。
「うん。怖くなんかないよ」
「わふ!」
足元にいる茶太郎も、初音の言葉に同意を示す。
茶太郎の尻尾の付け根の痣もまた、初音の『鬼桜の紋』と同じ、桜の花の形で輝いていた。
初音が鬼となるのと同時に、茶太郎もまた、ただの犬ではなくなったようだ。
先ほどさくらの鉄下駄を持ってきたのが証拠だ。普通の犬で持てる重さではない、さくらの鉄下駄を…
さくらと共にいると決断した初音にとって、最早スクナなど取るに足らぬ相手であった。
不可思議な迫力に、むしろスクナの方が気圧されつつあるほどだ。
それでも、まだ初音を殺せばどうにかなると思ったのか、スクナは気を取り直し刀を構えていた。
『『うぬら…この己を虚仮にするか…
我が父母の恨みを、ただの恨み言とぬかしおるか…!』』
スクナの凶貌に、明らかな怒りが浮かんでいた。
『『赦さぬぞ…餓鬼どもが…』』
怒り心頭のスクナが、折れた刀を振り上げる。
すぐさま挙動に気付いた初音は、振り向いて手を伸ばした。
「さくらちゃん! 一緒に!!」
同時に茶太郎が初音の肩に、コロ左衛門がさくらの背中にしがみつく。
すぐさまさくらの手が初音の手を握った。
完全に気力を取り戻したさくらと目が合い、初音はまた胸に熱を感じた。
「おう、初音! ――鬼力!!」
さくらの前髪をかき分け、再び角が生えた。
鬼仁鋼を持っているのは初音である。
だが初音の鬼力を通じ、いわば『2人で鬼仁鋼を持っている』状態となったようで、さくらもまた鬼力を発現できた。
同時に初音の胸に下げたお守りが光る。
お守りの光は2人の鬼力の輝きに混ざり合った。
発現した鬼力もつながり、2人分の鬼力が一心同体となった。
手をつないださくらとともに、初音はスクナを見上げる。
その直後、スクナが第一の手で折れた刀を振り下ろした。
『『赦さぬぞ、餓鬼どもがぁっっ!!』』
轟音を立てて刀が空を切る。
折れているとはいえ、殺傷力は先刻までと変わらぬ筈だった。
だが、2人は恐れなかった。
「どりゃあああっ!!」
「やあーっ!!」
初音とさくらは、手をつないだまま同時に跳んだ。
子供とは言え鬼2人の脚力が合わさり、跳び上がる勢いも凄まじい。
そのままの勢いで、2人は同時に足を突き出し、振り下ろされた刀を蹴りつけた。
2人に膂力で勝る筈のスクナの第一の手ごと、刀は大きく真上へと弾かれる。
刀こそ手離さなかったが、2人の蹴りの威力に、スクナの手はしびれていた。
一心同体と化した鬼力で、ただの一撃に鬼2人分の力がこもる。
すなわちスクナに押し負けぬ剛力であった。
『『な、なにっ…』』
「まず奴の刀じゃ! 全て砕くぞ、初音!」
「うん!」
さくらが空中で初音の手を離し、上空へと投げる。
初音はためらうことなく鬼仁鋼を振り抜いた。
「――えーいっ!!」
折れた刀を金棒が打ち付け、ただの一撃で粉々に粉砕してしまった。
驚愕にスクナの顔がゆがむ。まぐれ当たりで砕いたのではないと、今更になって知ったようだ。
素人ゆえに掛け声も力が抜けているが、そんな初音が軽々と巨大な金棒を振り、巨大な刀を砕いている。
異様な光景ですらあった。
続けて、さくらが鬼幇襷をほどいて上空へと振り抜く。
初音の手がたすきを掴み、引き寄せた。
空中で初音とさくらが並ぶ。
初音の手からすぐさま鬼仁鋼を受け取ると、さくらは初音を抱えたままスクナの第一の手を蹴り、第二の手まで飛び移った。
単に跳び移っただけの動きだ。
しかしスクナの目では追いきれぬ、素早くも軽やかにして華麗な、舞うような動きであった。
『『うぬっ…させるかぁっ!』』
またも得物を砕かせてはならぬと、スクナは左の第二の手に持った刀をさくらの背に突き出す。
挙動に気付いた初音が振り向き、茶太郎に声をかけた。
「茶太郎!」
「わふっ!!」
空中に桜色の輝きが出現した。
茶太郎が用いる桜型の盾だが、その大きさも厚みも段違いに増していた。
突き出された刀はがっちりと盾に阻まれた。
「でかした、茶太郎っ! ふぅんっっ!!」
その隙にさくらは鬼仁鋼を振り下ろす。金棒は一撃で刀の刃を、さらには鍔や柄までも砕いた。
得物を2振り喪ったことに、スクナは焦り出した。
茶太郎の盾に阻まれていた第二の左手の刀を引き戻し、再び2人に向けて振り抜く。
刃が消え、初音とさくらの背後に出現した。スクナが得意とする、刃の転移の技だ。
『『おのれ、おのれ餓鬼ども!』』
「わふーっ!」
それを見逃さず、茶太郎がいま一度吠える。
空間に出現した穴が転移した刃を呑み込む。
再び消えた刃が、何とスクナの眼前に突然現れ、右の顔の額にめり込んだ。
『『どぼぁああっ!!』』
真っ二つにこそならなかったが、突然の激痛にスクナが大きく眼を剥いた。
茶太郎の空間転移能力もまた強化され、ごく短い距離での転移も可能になったのだ。
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