第八十三話
「さくらちゃん」
初音は今一度さくらの名を呼んだ。
だが、さくらは初音の胸に縋りついたまま、ぼろぼろと泣いている。
「やだあ、やだあ、やだ、やだ、やだああ…
はつねぇぇ…はっ、はつねぇぇ…」
「――さくらちゃん聞いて!」
さくらの顔を上げさせ、敢えて大きな声で、眼前で名を呼ぶ。
目を合わせ、じっと見つめる。聞いて欲しいことがあると、伝えたいことがあると、視線で伝える。
涙を流しながら、さくらは初音の目を正面から見つめ返した。
罪悪感と悔恨で初音も泣きそうになる…だが、ぐっとこらえて、さくらを抱きしめて正面から語り掛けた。
「はっ…はつね…はつね…?」
「…さくらちゃんには、まだ言ってなかったね。
私の名前、初音っていう名前の意味ね」
「う、うん…」
初音は話を一度切る。さくらが聞いてくれているのを悟り、そして続ける。
「初めて心に花咲く音が聞こえたら、その時の気持ちを信じてほしいって。
お父さんとお母さんがくれたの。私の、大事な名前。
その花を咲かせてくれたのは…」
初音はさくらの手を取ると、ゆっくりと自身の胸に…
鬼桜の紋に触れさせた。爛々と輝く紋章は、温かな熱も持っていた。
「さくらちゃん。あなたなんだよ」
自身への訴えと悟ったようで、驚きにさくらの涙が止まった。
そうだ、と初音は頷き返す。納得できぬのか、さくらが小声で初音に問う。
「わらわ、が…?」
「うん。初めて私の前で魔妖夷をやっつけてくれた時…
とっても強くて、やさしくて、少し悲しそうで…
すごくきれいだった」
あの日のことを初音は今も憶えていた。
共に生きる覚悟を問うさくらの言葉。
あの時は意味が分からなかったが、今なら、胸を張って『ある』と答えられる。
今、その想いはさくらにも伝わっている。少しずつ、さくらの瞳は正気を取り戻し始めていた。
初音は続けて語り掛ける。
「あの時、私の心に花が咲いたの。熱くてきれいな、とても綺麗な花。
素敵だなって、このひとはほんものだって、そう思ったらね」
「…花、が…………」
「うん。私――さくらちゃんが好き。さくらちゃんに恋したの」
初音の言葉に、さくらは呆然と聞き入っている…
が、意味を理解し、戸惑い、頬を赤く染めた。
さくらは視線を逸らす…だが初音がじっと真正面から見つめていると、さくらもまた、今一度初音と視線を合わせた。
その言葉にさくらもまた心当たりがあるから、というのは初音はまだわからない。
「だから…私、さくらちゃんとずっと一緒にいたい。
さくらちゃんのお嫁さんになりたい」
「わらわの…嫁、に…」
「こんな所でお別れなんて、絶対いやだから。
あんなのやっつけちゃって、ずっと…ずっと、一緒に。
ずっと一緒に、この命が果てるまで、さくらちゃんと一緒にいたいの…」
ぎゅ、とさくらを抱きしめながら訴える初音。
腕の中でさくらが震えるのが判った。
初音の想いに答えようとする心、答えてはならぬと己を制する心、二つの心の間で揺れている。
「だが…だが、お主はっ……
何もかも、手放して…捨ててしまって……あああ…」
そして、実直で誠実な彼女は、今なお初音の事を思いやっている。
初音が取り戻せたはずの家族の絆を、これからの未来を、彼女は護ろうとしていたのだから当然だ。
家族や級友たちを愛する初音自身にとっても、余りに重すぎる選択ではあった。
だからこそ伝えねばならぬと、初音は今一度さくらの瞳を真正面から見つめる。
この想いは、他の気持ちと比べられるものではない。
鬼となったのはスクナを討つための代償でも、まして己が身を捨てた犠牲でもない。
成子の言葉どおり、他の何かと比べられるものではないのだ。
さくらへの恋ゆえに掴んだ、初音自身の未来にして運命なのだと、伝えるために。
「…さくらちゃん。今はさくらちゃんの気持ちだけ教えて。
さくらちゃんは、私のこと、どう思ってくれてる?」
「初音?」
「お願い。今は、さくらちゃんの気持ちだけが知りたい。
さくらちゃんのお仕事とか、私の将来のこととか、今はいい。
…もし私が嫌いだったら、1人でどこか遠くに行く。ずっと独りでいるから」
初音の言葉に目を見開くさくら。
今のさくらの気持ちは、魔妖夷討取改方の使命や、自分の未来以上に大事な答えだと、初音は訴える。
さくらの本音。さくら自身の本当の心、願いこそが。
もし拒まれれば…想いが叶わねばすべて捨てると、初音は本心から決めていた。
どれほどの覚悟を持って、初音が鬼へと変じたのか…さくらに伝わったかと、少し不安になったが。
「だから…お願い、さくらちゃんの気持ちだけ。
わたしをどう思ってくれてるか。今はそれだけ、教えて」
「――…………わらわ、は…」
さくらは唇を震わせながら、答えようとしてくれていた。
即ち確かに己の想いが伝わったことを、初音は感じる。
自分の気持ちを誰かに伝えるという苦手な行いに、選ぶ言葉に迷いながら、さくらは少しずつ答える。
「わらわ、は…わらわは……
初音は…人で、わらわは鬼で…ともにはおれぬと…
お主はおとう殿たちと仲直りして、新しい友もいて…」
「うん」
「だから、だから…わらわはスクナを討ったら、かくれ里に帰らねばと…
これからのお主の幸せを、邪魔してはならぬと…
ずっと…我慢……がまん、してっ…」
さくらの声が震え始めた。抱きしめ、敢えて顔を見ぬ様にして初音は答えを聞く。
己の肩に涙の雫がこぼれたのを、初音は感じた――さくらは再び涙を流していた。
「わらわだって、お主が… 初音が、好きで…好きで、好きで…
好きなのに…だから、父上達にも言わず、ずっとがまんしておったのに…」
「うん……」
「ひどい…初音は、こんなの……ひどいっ………」
せめて別れられたのなら、己の心を押し隠して初音を護ろうとしたさくらの決意が、どれだけ救われたことか。
本来ならスクナを討ち、別れ、そして互いに全て忘れるはずであった。
初音は70か80年ほど生きて天寿をまっとうし、さくらも長い長い時の間に、初音たちのことを忘れるはずだった。
共に暮らせぬはずの鬼と人は、そうやって別れてきたのだ。
なのに初音との短くも深い交流が、さくらの胸に初めての想いを生んだ。
それがさくらの心をどれほどかき乱したか。
さくらがどれほど強く自分を想っていたか…初音は今更ながらに知った。
そして――そしてさくらが、三度初音を真正面から見つめた。
瞳に先ほどの絶望は無かった。悲しく、苦しく、涙にぬれた熱い視線が、初音の瞳を貫く。
ぎゅっと口元を引きむずび、見つめ合う二人。
やがてさくらが口を開く。
「初音」
「うん」
「わらわも、お主が好きじゃ…」
――初音は胸の内に、今一度熱い花が開くのを感じた。
2人とも同じ想いだ。お互いに恋をしたのだ…
互いの視線と赤く染まる頬で、初音は悟った。
とん、と2人の額が触れ合った。涙を流すさくらの瞳が、初音の眼前に迫った。
「…だから、お主を、護りたかった……」
その言葉を聞いた途端、ついに初音も涙を流した。
抱きしめ合い、胸の鼓動を感じ合う。熱い鼓動が互いに伝わる。
互いの愛の深さと熱さが伝わり合うのを、2人は確信する。
「ごめんね、ごめんなさいさくらちゃん…
私、さくらちゃんとの約束、破ってばっかりで…
でも――でも、この気持ちは止められないの……!」
2人が出会い、さくらが初めて初音の前で魔妖夷を斃した日――
神社で待てという約束を破って、捨て身でさくらを救おうとして。
それからも初音は、避難しろというさくらの言いつけを、幾度か破ってきた。
今もそうだ。神社で待っていたが、己の想いを止められず、初音はここに来た。
愛情も、護りたいという意志も、どちらも自身へと向けられたさくらの本心だ。
その2つの想いに挟まれ続けたさくらの苦しみに、初音は今になって思い至る。
そんな初音の謝罪に、さくらはただ優しくうなずくだけであった。
告白に答えた瞬間、さくらがさくら自身の心についに素直になれたことを、初音は悟った。
「さくらちゃん……――好き、さくらちゃん。ずっと一緒だよ」
「ああ…ずっとじゃ。命が果てるまで、ずっと…
初音。わらわとお主は、ずっと一緒じゃ…!」
共に添い遂げる誓いで、互いの愛の深さを、2人は伝え合った。
もう離れない、絶対に離さないと…輝く桜吹雪の中、初音とさくらは互いに誓い合う。
やがて桜吹雪が晴れ、夜空が広がった。
豪雨も雷光も無く、幽世の夜空は晴れ渡っていた。
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