第七十七話
刃を転移させては防げぬと悟ったか、スクナは4振りすべての刀でさくらの一撃を防ごうとする。
その瞬間、さくらは頭部を振り、鬼貫針を刃に向けて突き出した。
髪の先端は針を掴んでいる…寧々子の祖父から貰った針が、重なった黒い刃に突き立つ。
『『むぅ…!』』
スクナの2つの顔が僅かに歪む。針を通じ、桜色の鬼力が黒い刃を走る。
スクナの口が唾液の針を数本吐き出した。敢えてよけず、さくらはその身に受ける。
飛び散った血が雨と共に地面に消える。さくらは怯まず、鬼仁鋼を針に向けて振り下ろした。
「鬼ころしっっっ!!」
自身のもの、上乗せされたもの、全ての鬼力を鬼仁鋼に注ぎ込む。
雨の雫を照らし、虚空に無数の桜色の線が生まれる。
町中の桜の樹が輝きを増し、結界がスクナの総身に満ちた邪気を削っていくのが、さくらにも感じ取れた。
かつてスクナを封じていたのと同じ法力だ。
「真向っっ!!」
今なら討てる。全ての力を籠め、討つ。
さくらは全ての力を籠め、清めの一撃を叩き込もうとした。
「両っ、だ――」
だが。
『『やはり…かっかっか…』』
鬼仁鋼が針を撃ったとほぼ同時。
スクナの全身を黒い炎が包み込んだ。邪気の炎だ。
封じられつつあるはずの邪気が、再びスクナの総身に満ちている。
驚愕に目を見開くさくら。その眼前で針が砕け、黒い炎はたちまち鬼仁鋼を呑み込んだ。
のみならず、地面を迸り、民家やアスファルトをも焼き尽くしてゆく。
更には周囲の桜の輝きさえも失せていった――巌十郎たちの法力を、スクナは自力でうち破った。
それほどにスクナの邪気は高まっていたのだ。
『『やはり餓鬼よなあああ!!』』
スクナが刀を押し返し、さくらを弾き飛ばす。
鬼仁鋼の輝き――清めの一撃が打ち消された。吹き飛ばされながらさくらは驚愕する。
スクナにしても防がねばならぬ一撃であった、というのは確かだ。
しかしそれを真正面から迎え撃たれ、邪気の高まりだけでかき消された。
「ばっ…莫迦なっ!!」
数百メートル吹き飛ばされ、いくつもの住宅を破壊して、小さな背が地面にめり込む。
咳込み、さくらは血を吐きだした。
鬼力そのものが封じ籠められたわけではないが、押し返す威力に耐え切れなかった。
ただ弾き飛ばしただけでありながら、スクナの膂力は鬼の強靭さを上回っている。
重々しい足音に、さくらはすぐに起き上がった。
スクナが走って来る…迎え撃たねばと、さくらは鬼仁鋼を構えた。
だがすぐさま、本能的に後方に跳んだ。
その肩が、両腕が、腹が、頬が突然裂け、血が飛び散った。黒い刃の転移である。
続けて両脚、首筋が裂ける。スクナの刀は目にも止まらぬ速度で転移を繰り返している。
「ぐっ、うぅうああっ!」
『『かっかっか!! どうした小娘ぇ!!』』
真上からまとめて4振りの刃が迫る。
さくらは鬼仁鋼を水平に構え、凄まじい一撃を何とか防ぐが、そのまま真下の地面にたたきつけられた。
直後、鬼仁鋼を持つ手に奇妙な手ごたえが伝わった。
金属の破片が金棒の表面からこぼれる――
鬼仁鋼の表面にひびがあった。
『『鬼仁鋼ばかりは厄介だからのお!
早めに砕いてしまわねばならぬわい!!』』
受けていた刃が消え、同時に真上から巨大な影が迫った。
跳躍したスクナが飛び掛かり、地面に倒れたままのさくらに向け、4振りの刀を一斉に振り下ろす。
再びふせぐさくら。しかし剛力の腕4本で振るわれる剣の重量に押され、小さな体が地面にめり込む。
それにもまして、鬼仁鋼のひびが大きくなっていく。
ここまで自らの心を落ち着けていたさくらが、ここで初めて焦燥に駆られた。
(まずい、まずい、このままではっ…!)
「っぁあああっ!!」
無理やり刀を押し返し、地面を蹴ってスクナの足元から跳び出す。
だがスクナはそれを逃さず、刀を一振り地面に突き立てると、さくらの脚を掴み、振り回し、手近な民家にたたきつけた。
屋根、窓、外壁…さくらの小さな体の激突で、家一棟が粉々に砕け散る。
破片がさくらの皮膚に突き刺さり、頬を切り裂く。
そして破片と共に地面に落下しようとしていた小さな体めがけ、スクナは足を振り抜いた。
真横からの蹴りが、さくらをさらに吹き飛ばす。
「ごはぁああっ!!」
さくらの口が再び大量の血を吐きだした。
重い蹴りの一撃に骨が砕け、内臓が破壊された。
細い体が宙を舞う。激痛にさくらは意識を失いかける。
気を失う直前、さくらは頭を振って無理やり目を覚ました。
その視界に迫る巨体が映る。再びすべての手に刀を握ってスクナが跳び、空中にいるさくらにむけ、4振りの刀を突き出してきた。
咄嗟にさくらは鬼仁鋼で防ぐ。防ぎこそしたが、重い一撃が内臓に響き、痛みに歯を食いしばる。
「ぐっ…ふぅっ…」
――それが限界であったのだろう。
構えた鬼仁鋼の中心から、ひびが全面に走っていく。
「あ……」
鬼仁鋼が中心から折れ、破片が飛び散る。
邪気の炎に燃える刃を幾度も受け止め、その末に必殺の一撃が押し返された。
この短時間で鬼仁鋼は最早使い物にならなくなっていたのだ。
砕けた破片が、そしてさくらの手に残っていた柄が、桜色の光とともに消滅する。
同時に、さくらの額の角が縮み、前髪の下に収まった。
鬼力が掻き消えた――
(初音……!)
脳裡を初音の姿がよぎる。愛する少女の涙にぬれた顔が、自身を呼んだ初音の声が。
しかし初音の名を呼ぶ前に、スクナが突き出した刃がせまった。
逃げ場のない空中。邪気を伴う激烈な一撃。避けられない。
『『――ご苦労であったのお』』
嘲笑うスクナの声とともに、どす黒い炎を纏う刀が、さくらの腹に突き刺さった。
少し前の時間。
桜ヶ守神社社務所の暗い応接間で、初音は結界の真っただ中に座っていた。
さくらが神社を出てから、実らには何度も励まされた。
きっと大丈夫だ、スクナをやっつけて帰ってくると。
お別れまでにちゃんと会えると、何度も。
それでも不安はぬぐえなかった。
「……さくらちゃん」
何度、声に出してさくらの名を呼んだことか。
そのたびに胸が熱く、そして痛くなる。
さくらが勝てばそのまま別れに。そしてもし、さくらがスクナに斃されたら…
となりで結界を張り続けるイトにも、その悲痛な思いは伝わっていた。
膝のそばで茶太郎が初音を見上げ、そして隣に座るコロ左衛門に寄り添う。
コロ左衛門など、相方に同行を拒否されたのだ。
初音を護るよう言いつけられてはいるが、彼もまた不安に想っている。
初音はコロ左衛門を優しく撫でた。きっと大丈夫だと、家族や友人たちと同じ言葉で慰めようとする。
だが慰めの言葉は口から出てこなかった。
初音自身が不安を抱いているのだから、それも当然であった。
「初音」
初音を護るように隣に座る実が、小さな肩に手を置く。
「…お父さん」
「心配ばかりしても仕方ないよ。さくらちゃんを信じてあげなさい」
この励ましも何度言われたことか判らない。
初音自身も父の言葉通りだと思っているが、それ以上に、さくらとの別れのことが胸の中で重しになっていた。
しかしそれは言った所でどうなる事でもないからと、初音はずっと黙っているのだが。
だが、初音はどうしても諦めきれずにいた。
さくらと共にいたい。
さくらは初音が鬼になることを赦さないと言った。
そして初音自身、鬼になることへの恐怖はまだある。
先日は茶太郎を絞め殺しかけ、先刻は理一の手を腕力だけでへし折りかけた。
まともに物を考えられぬ今茶太郎を抱きしめたら、間違いなく首を折ってしまうだろう…
縋れるものも無いまま、初音は座っていた。
「さくら様、大丈夫かしら…」
「大丈夫に決まってんだろ。花咲や俺達を助けてくれたんだ。
強いんだぞ、さくらちゃんは…」
廊下にいるクラスメイト達の声が聞こえた。
心配する渚、励ます理一。しかし理一の声も、いつもほどの元気が無い。
うなずく寿司や真登の声も、やはり不安に沈んでいた。
と、そこに千歳と寧々子が湯呑を乗せたお盆を持ってやってきた。
千歳は初音たち花咲家の面々に湯呑を手渡す。どうやら寧々子がお茶を淹れようと言い出し、千歳が手伝ったらしい。
実たちは礼を言って受け取った。
「初音さん、元気を出して」
「先生…」
「さくらさんがスクナをやっつけてくれたら、また学校に通えるはずよ。
みんなで一緒に卒業しましょう」
「……はい…」
壊さぬ様にそっと湯呑を受け取ると、返答して一口飲む。緑茶の香りがするが、甘く温かい。
千歳は初音の頭を撫で、すぐにまた台所に立った。続けて子供達の保護者にもお茶を配る。
茶太郎とコロ左衛門には、寧々子が温めたミルクをやった。
「…先生の言う通りよ、初音。
待ちましょ。さくらちゃんが帰ってくるまで…」
「お母さん…うん…」
「…さくらちゃんも学校に通えるように、巌十郎さんたちに相談しようと思うの」
「それいいね、成子さん。僕も一緒にお願いするよ」
この会話はイトには聞こえているであろうが、集中している彼女からの返答は無かった。
さくらが言い出せば、おそらく巌十郎達も賛成するであろう。
もうしばらくの間、さくらと共にいられるかも知れない…両親の心遣いに、初音は曖昧に笑ってうなずいた。
本心ではそうではないと、まだ言えぬままに。
そう、本心では。
(私は)
初音は改めて、己の胸の内に問う。
実がかつて助言した、自分自身が後悔することのない選択。
自分は何を選ぶのだろうか。さくらと共にいることを、後悔しないために――
(私は、どうしたらいいんだろう…どうしたいんだろう…?)
敢えて問う――否、答えは既に分かっていた。
さくらと共にいたい。一生、共にいるためには…
そう思った時だった。突然、初音の胸の『鬼桜の紋』が激しく明滅した。
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