第七十五話
力無くひざまずく初音の体を、実と成子が支え、社務所へと連れていく。
状況を見届けた花咲夫妻は、初音の想いをここで初めて知った。
自身も知らぬまま、初音はさくらに恋していた。
共にいたいと願うのも、闘い生き抜いて欲しいと願ったのも、恋が生まれたからこそ。
愛娘をずっと見守り、まだ小さくかよわい存在として接してきた花咲夫妻は、明らかに友情と異なる娘の表情を見た。
初音の胸の内を知って驚き、喜び…そして想いが叶うかもわからぬ運命の哀しさ、恐ろしさに、何も言えなかった。
「初音、さくらちゃんを待とう。
一緒にいられるかどうか、帰ってきてから考えよう」
「…お父さん」
父の優しく、しかし――共にいられぬ可能性を示唆する残酷な言葉に、初音の涙がこぼれた。
異なる種族。何もかもが違うため、共に過ごすことは絶対にできないのだと、彼の言葉が言外に告げる。
それでも、初音の想いを最大限汲み取ろうとしていた。
それは成子も同じだ。
恐るべき運命の真っただ中でも、初音がさくらへの想いを育んできたことを、母たる成子は知っている。
鎌鼬の魔妖夷に襲われた日の約束…どんな結果でも初音を応援する約束を、彼女は忘れていない。
「私達も一緒に考える。初音の願いが一番叶うように、一緒に考えるから。
だから今は元気を出して。泣いてる暇なんて無いのよ、初音」
「お母さん………」
「今はさくらちゃんの言う事を聞きましょうね、初音ちゃん」
「わふ!」
「…………うん…」
両親に励まされ、きのめと茶太郎に優しく諭され、初音は立ち上がった。
花咲家、そして避難してきた桜ヶ守小6-1のメンバーと家族が、社務所の応接間へと戻る。
そして巌十郎はイトを応接間に座らせると、自身は屋外に向かう。
「ではイト、皆をたのむ」
「はい。巌十郎様も、お気をつけて」
巌十郎が社務所を出た所で、イトは小さく何かを唱え、両手を組み合わせて印を結ぶ。
両手の桜色の輝きが周囲に広がり、社務所を包み込んだ。
同時に境内のあらゆる方角に、同じ色の光の壁が生まれた。
神社の敷地全体を巨大な箱で、その中にいる者達を球体で包み込む形だ。
さらに境内の大きな桜の樹、そして見下ろす町の全ての桜の樹が輝きだした。
「これ、結界だね。父さん」
「そうだよ。鬼煌院様ご夫妻が、この町全体を結界で包んだんだ」
寧々子とその父の会話で、鬼煌院夫妻が途方もない法力を持っていることを、初音は初めて知った。
集中してもらうために話しかけてはならぬと、応接間にいる者達は、敢えてイトから距離を取る。
そして初音は結界の中心、イトの隣に座らされた。
巌十郎とイトが張った結界に反応し、胸に下げたお守りが淡く輝く。
全てが合わさって、初音を邪気から護る、強固な防護結界が形成された。
「わふっ」
「フニ~」
初音の膝に茶太郎とコロ左衛門がしがみつく。
自分達も初音を護ると、小さな獣たちもまた意気込んでいた。
初音は2匹をそっと撫でながら、夜に闇に消えた小さな背中を想った。
きっとスクナを討ち、そして帰ってくると、さくらを信じて。
冷たい豪雨が降り続ける中、さくらは住宅街を駆け抜ける。
桜色の髪と褐色の肌は、すでに水浸しだ。
道路を走り、住宅の屋根から屋根へ跳び、電柱を跳び越えて。
目指すのはスクナの居場所だ。まだ現れてはいないようだが、邪悪な気配は周辺に充満している。
住宅街は静かだった。
どうやら幽世への変転に巻き込まれたのは、初音とさくらの関係者だけらしい。
身近な者達までも巻き込み、初音を絶望の底に叩き落そうという算段であろう。
(させぬ…絶対にさせぬぞ…!)
スクナの野望を阻むため、さくらはここにいる…
だがその姿は今以て見えない。記憶に刻まれた、醜悪な姿が。
父の腕と片目、母の脚、両親の武具を奪ったスクナのことを、200年経った今もさくらは憶えている。
一目見ればすぐさまそれとわかるほどに。
(――…初音…初音……
絶対、絶対に護ってみせるからの…)
住宅街を駆けながら、さくらは先刻の初音の声を思い出していた。
己の名を呼ぶ、愛おしさと哀しさが入り混じった叫びを。
共にいたい、離れたくないと、人と鬼の間では絶対に叶わぬ願いを。
愛おしい声が未だに耳に響いている。
髪切と網剪の魔妖夷を討った日、己に向けられた初音の想いを知ってからだ。
いつしかさくらもまた、初音を愛しく思っていた。
使命のことを忘れ、会いたいと思い、共にいたいと願っていた。
だがそれは叶わない。叶えてはいけない。人と鬼はともにはいられないのだ。
数千年を生きる鬼が現世にいれば、たった70年程度で愛する人を弔うことになる。
逆に人が鬼になるという事は、人がひとでなしになってしまうということだ。
触れるもの全てを蹂躙し破壊する、ただの化け物にしてしまう。
初音が取り戻した家族の愛を、これからの幸福を、全て捨てさせる…
さくら自身が奪ってしまうのと、同じこと。
例え思うことはちがえど、それはスクナの行いと変わらない。
今できるのは、ただ初音と人間を護る事。それだけなのだと、さくらは己に言い聞かせる。
さくらは町の中心近くで立ち止まった。
同時に上空に気配を感じ、空を振り仰ぐ。
稲光が轟く中、雲の下に黒い影が浮かんでいた。
座した姿勢のまま、観音像の如く腕を掲げた姿だ。先日、初音が見たのと同じ姿である。
影は黒い炎に包まれて消え、直後にさくらの眼前でどす黒い火柱が立ち上った。
跳び退き、電柱の上に立ったさくらの前に現れたのは――
身長は18メートルもあろうか。
さくらの記憶の中の姿より、さらに巨大になっていた。
凄まじい邪気が肉体を肥大化させたのであろう。
背中合わせになった2人分の巨大な人体が、腰から上で融合した姿。
普通の人体で言うと胸部に当たる部位に、左右一対の腕が生えていた。
残る2本の腕は、普通の人体の肩とほぼ同じ位置にある。
4本全ての手にどす黒い刀を持っていた。
脚は普通の人体と比べ、左右が逆になっている。
これは背中合わせの姿勢で2体の木乃伊が縫い合わされているため、正面に位置する脚が人体と左右逆になったためだ。
使われない脚は腰に巻き付いている。腰には長い腰布を巻いていた。
どす黒い肌には、スクナを生んだ邪教が使っていた、不気味な白い文字が並んでいる。
そして頭部。正面を向いて隣り合った頭が2つ、首から上が融合している。
目と鼻は歪み切った形、位置にある。
うち1つの眼球は無数に分裂し、いくつもの瞳孔が不規則に並んでいた。
2つの額には、不規則にねじくれた腫瘍が、角のごとく隆起していた。
無尽蔵の邪気を孕む呪物、千年の呪いをその身に宿した人造の奇形児。
両面宿儺もどきの魔妖夷の長――『スクナ』。
禍々しい邪悪が200年の時を超え、ふたたび顕現した。
視界を遮る豪雨が赤い稲妻のひらめきに光り、スクナの醜悪な影をあらわにする。
『『これは豪気なことよ。此度の鬼は小童一人だけかえ?』』
電柱に立ってなお見上げるほどの巨躯のスクナと、さくらの目が合った。
2つの口が全く同時に動き、全く同じ言葉を話している。
スクナの2つの凶貌が嗤った。かなうはずも無いと嘲笑っているのだろう。
さくらにとってみれば200年ぶりの邂逅…しかし、スクナはさくらの顔など憶えてはいない。
有象無象の鬼の中の小娘一人、その程度の扱いである。
『『確かうぬは…ああ、この間会ったのお。
独りで良いのか? この己を相手に?』』
スクナの挑発に、さくらはあくまでも乗らなかった。
鬼仁鋼を水平に構え、深く息を吸う。
「今宵こそ貴様を討つ。現世の人々のために――
――鬼力!!」
前髪をかき分け、金属音と共に額に角が生えた。
同時に全身から桜色の光が迸る。
いつもより遥かにまばゆい輝きが、真夜中の住宅街を照らす。
父と母から授かった分も上乗せされ、通常の数十倍の鬼力を発揮したのである。
更に、豪雨の中でも町中の桜の樹が輝き、幽世と化した町全体に結界を張っている。
スクナの力をわずかでも弱める結界である。
これがさくらの鬼力発現と共に、輝きを一層増した。
「魔妖夷討取改方筆頭与力!!
鬼煌院 さくら! 見参っ!!」
呼吸を整え、さくらは両手で鬼仁鋼を構え直して、スクナと向き合った。
スクナの全身にあふれる邪気の黒い炎が、桜の樹の輝きが増すとともに幾分か減る。
それでも容易く斃せる相手ではない。
スクナはこの状況下にあっても、なお歪んだ笑みを崩さなかった。
『『結界かえ。なるほど、鬼どもも考えたものよのお。
よかろう…ほれ来い、小娘』』
スクナが刀の一振りの切っ先をさくらに向け、挑発した。
直後、さくらが電柱を蹴って高く跳ぶ。
鬼仁鋼を振りかぶり、スクナの顔面に向けて振り下ろした。
「ぬりゃあああっ!!」
甲高い金属音を上げ、金棒の一撃は長大な刃に阻まれた。
身長10メートルを越える巨躯に反し、スクナの動きは素早い。
遥かに素早い筈のさくらの一撃が、第一の腕…通常の人体でいう胸の側に生えた右手の刀で、容易く防がれる。
さらに第二、つまり背中側の右手が刀を突き出す。
さくらは眼前の刃を蹴って後方に跳び、迫る新たな刃を避けて電線に着地。
続いて振り下ろされた第二の左手の刀を、横に跳んで避ける。
両断された電線が虚空ではねた。幽世なので電機は通っておらず、火花が飛び散ることは無い。
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