第七十二話
ひとしきり笑い合ったところで、巌十郎が咳ばらいをして、全員の表情が変わった。
まださくらの体は弱っており、初音に支えてもらいながら上体を起こしている。
それでも聞かねばならぬと、さくらは休もうとはしなかった。
「――さくら。今わしらがここにいることの意味は、分かるな?」
罪悪感を帯びた顔の巌十郎が、さくらに問う。
スクナを封じてきた筈の父母、そして辰丸がここにいることは、即ち――
「…スクナが目覚めてしまったのでございますね、父上」
「うむ…」
初音たちは先に巌十郎から聞かされ、知っていた。さくら自身もスクナの刀で腹を斬られた。
だがさくらにとってこの事実は、彼女がスクナ討伐に赴ける唯一の鬼と言う事もあり、初音たちが感じた以上に重い事実であった。
日本各地では今、スクナ復活に乗じて現世に乗り込まんとする魔妖夷を阻むべく、子供の鬼たちが懸命に闘っている。
1人が闘いを止めれば、たちまちのうちに侵略を赦してしまう状況の中、黒幕たるスクナに立ち向かえるのはさくらだけ。
それでも、さくらは恐れを顔に浮かべることは無かった。
「そなたには苦労を掛ける。不甲斐ない親で済まぬ、さくらよ…」
「――いえ。さくらは平気にございます」
そう答える愛娘の笑顔に、巌十郎もイトも、より眉間のしわを深めた。
さくらがこう答えた理由はただ一つ。筆頭与力、即ち今闘っている子供の鬼たちのリーダーたる自覚からだ。
たとえ絶望的な状況であってさえ、子供達や大人の鬼たち、人間たちには負担を掛けまいとしている。
スクナとの闘いは独りで引き受ける。それがさくらの決断である。
「…スクナはさくらが引き受けます。
父上達はどうか、この町をお守りください」
「無理を言ってはいけませんよ、さくら」
イトが僅かに語気を強める。母として、さくらの意思には賛成できないからだ。
だが明治の闘いで、彼女は両脚の膝から下を、巌十郎は片腕と片目を喪っている。
仲間達は自分の持ち場を離れることができない。
さくらにしてみれば、この状況で自分が1人引き受けるのは、ごく当然のことであった。
渋い顔をする巌十郎とイト、辰丸。コロ左衛門も浮かない顔だ。
だがさくらに任せざるをえない負い目から、どうしても止められないのだろう。
当然、隣で話を聞く初音も同じ。
「……さくらちゃん」
「初音、何も言うでない。わらわが何度も言うたであろ。
奴を討ち、お主はいつも通りの日々に戻る、我らはかくれ里に戻る。それだけじゃ」
「わふ…」
さくらの手に茶太郎がすがる。
その前足はさくらの手に触れているが、視線は初音の方に向けられていた。
茶太郎の視線に促され、初音は意を決して問う。
「さくらちゃんはそれでいいの?」
さくらの手を握り、目を合わせて問う。
さくらは一瞬だけ目を伏せた。初音の気遣いが判るからだ。
命を捨てるような行為だと諫める眼差しに、さくらは目を伏せた一瞬だけ、答えあぐねたのだ。
それでも顔を上げ、初音を正面から見つめ返しながら、さくらは答えた。
「無論だ――わらわがやるしか無いのだ、初音。
…と言うても、結局お主に頼るしかないのだが」
「それは…」
「すまぬ、初音。あと一度だけじゃ」
さくらは初音の頭に手を置き、優しく諭す。
物悲し気な桜色の瞳に、今度は初音自身の息が詰まる。
「あと一度だけ、鬼仁鋼を使わせておくれ……」
「………」
初音を護るために闘っているはずが、初音を鬼――即ち異形の存在へと近づけることを頼むという、矛盾した行い。
絞り出すような声に、初音はさくらの胸の内を悟った。
さくら自身、使命とは関係なしに、初音の事を大切に想っている。
初音を守り魔妖夷と闘わねばならぬ使命と、初音を鬼へと近づけねば闘えぬ矛盾、そして初音への想いとのせめぎ合いで、さくらの心はずっと揺れている。
それでもさくらは己の心を置き去りにしてまで、初音のため、人類のためにスクナを討つ気だ。
その覚悟は、先日魔妖夷に両脚を引き裂かれて尚さくらを信じた初音にさえ、あまりに重すぎた。
「でも」
再び問おうとした初音を、さくらは手で制する。
「初音。何も言わず、鬼仁鋼を頼む」
「………」
「――父上、母上。しばし休ませていただいたら、さくらはスクナを討ちにまいります」
さくらの決意は重く、硬い。その重すぎる覚悟を知る初音には、止める術が無かった。
しかし、巌十郎もイトもさくらの宣言には何も言わず、黙りこくっている。
初音とさくらは揃って2人を見上げる。
やがて巌十郎がそっと手を伸ばし、桜の頭に置いた。
やさしくあやす父親の手つきだ。続けてイトがさくらの手を取る。
「…無闇と気を張ってはなりません」
「母上」
「お前が平気そうにしている時は、だいたい気に病むことがある時です。
母にはすぐわかるのですよ、さくら」
母の手を振りほどこうとしたさくらの手は、その一言で動きを止めた。
つらい時ほど平気なふりをするのは、人間の前では見せたことが無い、彼女の悪癖の一つである。
というより、人間からはそもそも悪癖とおもわれていない。
鬼である彼女の発言ゆえ、大丈夫であろうと人間たちは信頼し、さくら自身も言葉通りに平気な姿を見せてきた。
主に両親の不在の間、さくらが人間たちの安全を任された時は、常にそうだった。
「わしらの育て方とスクナのせいではあるが、さくら。
そなたは甘えるのが下手だな」
続いて、巌十郎の大きな手がさくらの頭を撫でる。
自覚があるのか、さくらはその言葉に目を伏せた。
初めて見るさくらの子供らしい表情に、初音は驚き、しかし同時に理解した。
先日悟った通り。さくらは精神年齢が高いだけの…高くならざるを得なかっただけの、子供である。
巌十郎は穏やかにほほ笑み、初音の目を見てうなずく。
初音が今しがたさくらの本来の姿に気付いたことを、巌十郎も悟ったのである。
「たまには親に甘えろ。苦しい思いならわしらに吐き出せ」
「いえ、父上…そのようなことは」
「イトが言うた通りだ。親には判るのだぞ。
言えぬことがあるなら、今は言わんで良い。だが、たまにはわしらに甘えろ」
断ろうとしたさくらは、両親の優しいまなざしを見て黙り込んでしまう。
当惑して初音たちの方を見るが、初音や実、成子もまた、鬼煌院夫妻と同じ意見らしい。
初音はさくらの肩に手を添え、助け船を出す。
「さくらちゃんは頑張りすぎだよ。もっとご両親に頼っていいと思う」
「しかし…その……」
「今だけでもいいから。ね」
「む、む…」
「初音様の言う通りです、さくら。
それに200年も会えなかったのですからね。母は寂しゅうございましたよ」
照れているのか。それとも巌十郎の言う、言えない事があるからなのか。
だがイトの言葉がとどめとなったようで、さくらは両親の手を取り、自らの胸に抱き寄せた。
恥じらいにそまる褐色の頬と、僅かに尖らせた唇。いつもは見られぬさくらの子供らしさ。
きっとさくら本来の表情だ。
「父上、母上……」
小さな声で、しかし先刻とは明らかに異なる声…
いつもの姿からは想像もできぬ弱弱しい声で、さくらは両親を呼び、両手を胸に抱きしめる。
「………お会いしとうございました…」
「フニ~」
うつむく顔は初音からはよく見えなかったが、恥じらいに赤く染まり、それでも確かに幸福な表情であった。
鬼煌院夫妻もまた幸福そうに微笑み、愛娘のさくらを抱き寄せる。
その中にコロ左衛門も混ざり、巌十郎達の手を取った。
辰丸は大柄故に外でその光景を見つめるのみだが、眼差しは温かい。
長寿の種族たる鬼にしても、200年の時間は長いのだろう。
3人と1匹は、何も言わずに互いのぬくもりに触れ合った。
さくらは子供だと、初音は知っている。
明治の闘いでは自らも傷を負い、さらに目の前で両親が再起不能の傷を負わされた。
その結果、筆頭与力として子供の鬼たちを率いることになった。
挙句にたった一人で200年も先の未来まで眠り続け、見知らぬ人間を護らなくてはいけなかった。
さくらがどれだけ寂しく、そしてそれを耐えねばならなかったかと、初音は思いをはせる。
しばし抱き合い、鬼煌院家の3人は家族の愛情を確かめ合う。
その最中、さくらは口を引き結び、両親に告げた。
「スクナと闘うのは、本心から平気にございます。
ですが……ですが…初音を鬼にしてしまうのは、嫌でございます…」
それは紛れもなく、さくらの本心であった。
ちらりと初音に向けられたさくらの視線は、罪悪感に満ち、痛ましく落ち込んでいる。
巌十郎もイトも、そしてコロ左衛門も、その苦しみを理解している。
「うむ…」
「初音を巻き込んでしまったのは、さくらの責です…
ゆえに、せめて、スクナを討って、初音の元通りの日々を、取り戻しとうございます」
「そうだな。我らも、人を鬼と化すのは望まぬ」
「初音様を鬼にはさせません。わたくしたちも尽力しますよ、さくら」
優しく温かな両親の腕に抱きしめられ、苦しみが和らいだらしく、さくらの表情が少しだけ柔和になった。
周りの花咲夫妻にきのめ、そして茶太郎に辰丸も、温かな眼差しで親子を見守る。
コロ左衛門も巌十郎とイトの手に縋っていた。その表情は嬉しそうだ。
だがある一瞬、初音はさくらの表情の変化に気づいた――
申し訳なさそうに目を伏せ、口を引き結ぶさくらの表情は、親の愛に縋る子のものではなかった。
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