第七話
疲れた頭にはキング・ダイアモンドの歌声がキく
軽くゆすられた初音は1つ呼吸をすると、顔を上げてさくらの目を見る。
目が合った。桜色の瞳…髪と同じ色の瞳に見つめられ、僅かに安堵する初音。
優しい目だった。
初音は再びうつむき、さくらの横を通り抜けて歩き出した。慌ててついていく茶太郎。
「大丈夫…です。茶太郎、行こう」
「わふっ」
初音はさくらを無視した。だが、その表情や背中に漂う不安を…
否、恐怖をさくらとコロ左衛門は見逃さなかった。
「初音」
「フニ~」
何かがある、とさくらは悟った。
初音のそっけなく冷たい態度の原因が、先ほどの自分の説明の中にある。
しかし、今の初音に問いただしても聞けまい…頑なに自身の事を明かさぬ初音に疑いを持ちつつ、さくらは後についていった。
そしてしばし歩き、きのめから聞かされていた文房具店の場所までやって来た一行。
だがきのめが言っていた文房具屋はそこに無かった。呆気にとられ、初音は目の前の建物を見上げる。
そこには幾つかの古い建物と共に、文房具店や駄菓子屋があった…ような気がしていた。
幼い頃に何度か見ただけの、おぼろげな記憶だ。だが目の前にあるのは。
「これが…おばあ殿が言っていた、文具の店、か?」
「……たぶん、違う…」
白い壁、自動ドア、全国に展開している店名。
引っ越し前の町でも見かけた、コンビニエンスストアだった。
店内を少しだけ覗くと、文房具も確かに置いてある。
田舎町のコンビニ特有の、どこか「商店」の雰囲気が抜けない、少し古そうな店内の雰囲気。
店にいるのはあか抜けない青年で、だるそうに来客に対応していた。
きのめが言った文具店の関係者ではなさそうだ。
どうするのかと見上げる茶太郎。犬を伴う入店は禁止とのステッカーがドアに貼られていた。
「わふ?」
「……ここで買っていくしかないかな…」
普段茶太郎と共にいる初音には、店先に茶太郎をつないでおくことに抵抗があった。
しかし連れて入れぬ以上、諦めるしかない。
が、そこにさくらが助け舟を出した。
「初音、茶太郎ならわらわ達が一緒にいてやる。気兼ねせず、買い物をしてくるがよい」
「フニ~」
「え…」
コロ左衛門も前足を上げて自己主張した。快く引き受けてくれるらしい。
初音はしばし逡巡する。が、当の茶太郎がさくらの発言に賛成の意思を見せていた。
「わふわふっ」
「茶太郎も良いと言うておる。わらわ達に任せろ」
「フニ~」
初音はさくらとコロ左衛門を、そして茶太郎を何度か見比べ、やがて諦めてリードをさくらに手渡した。
「…お願いします」
実質的に初対面の相手に、親友を預けるという行為…今の初音には許容できることではない。
だがさくらの言葉には嘘を感じられない。彼女の実直さは、初対面でもわかるほどに顔に出ている。
そんなことがわかるものかと、内心で問う初音…だが同時に、理屈で説明できるものでもないとも理解した。
「心得た!」
「わふ!」
「フニ~」
1人と2匹に見送られ、初音はコンビニエンスストアの自動ドアをくぐった。
入店を知らせるチャイムと店員のけだるげな声が聞こえた。
さくらは店の前に座り込み、茶太郎とコロ左衛門の頭を撫でる。
茶太郎は何かを懇願するようにさくらを見上げていた。
先刻、黒い雲の話をした時からずっとだ。
「わかっておる」
「わふっ」
茶太郎の頭をもふもふ撫でるさくら。
美少女が小さな犬猫を愛でる姿に、通行人が振り向き、感嘆の声を上げる。
勿論さくらはそんな声も視線も気にせず、ふかふかの2匹を撫でまわしている。
「お主の友は苦しんでおるな…話を聞かねばならぬ。
わらわとも大いに関係があるはずじゃ」
「わふ…」
「フニ~」
「軽々しく話せることではあるまい。難しいのう…」
さくらは軽くため息を吐いた。いかに鬼とはいえ、人の心の機微まですべて理解しているわけでは無い。
茶太郎も似た表情でうなだれている。両者を見上げるコロ左衛門だけが呑気な顔だ。
2匹を撫でつつ、さくらは夕暮れの空を見上げた。
逢魔が時――午後6時前後。夕方と夜の曖昧な境目。ただのススキさえ、恐怖によって怪異と化してしまう時間。
おぼろな闇に紛れて怪しき存在が現世に這い出し、恐怖に震える人間を脅かす時間。
異界の者を脅かすのは、本来なら出会うべからざる者同士故、互いに遭遇を忘れていつもの日々に戻るための行為だ。
だが、稀に人の命を喰らいに来る物の怪も存在する。
初音が反応を見せたのは、さくらがそんな話をした時だった。
「わふっ」
考え事をするさくらに、茶太郎が一声鳴いて初音の帰りを教えた。
初音は紙袋を両手に持って戻ってきた。購入したのは筆記用具とノート数冊。
「おう、お帰り。買い物が終わったのなら帰ろうかの」
「……」
さくらは初音に茶太郎のリードを手渡した。
礼も言わずに初音は受け取り、茶太郎を連れて歩き出す。
その後についてさくらとコロ左衛門も歩き出した。
夕焼けの住宅街に、カコンカコンと下駄の音が響く。
先刻と異なるルートで家に帰る一行。初音が茶太郎に散歩のコースの選定を任せているのだ。
行きと違うルートではあるが、茶太郎は間違いなく新しい家に向かっていた。賢い仔犬である。
住宅街を歩き、小さな公園の前を通り過ぎ、行きと同じ川沿いの道路に出たところで、さくらは初音に声をかける。
「初音。聞いておきたいことがあるのじゃ」
「……」
初音は返事をせず、軽く背後に視線を送るだけだった。
構わずにさくらは話し続けるが、初音は無視する。
「お主、先ほどのわらわの言葉で何か気になったことがあるのであろ。
黒い雲と赤い稲光――心当たりがあるのではないか?」
無視する初音――だが、リードを握る手に少しだけ力が籠ったのを、さくらは見逃さなかった。
「…もしや見たのか? 赤い稲光を」
「………」
「それが真実なら聞かせてくれぬか。わらわにも、そしてこの地にも大事なことじゃ。
噓などとは思わぬ。わらわは幾度も見て、この世に出でた化物どもを葬ってきたのじゃ」
初音の足がついに止まった。噛みしめた唇が震えている。足元で気づかわし気に茶太郎が見上げる。
1つ深呼吸し、初音が振り向く。先刻までの無表情とも異なる、すがるような…それでいてどこか虚ろな瞳だ。
やはり何かあると、さくらは自分の推測が的中したことを悟る。
足元では茶太郎がさくらに駆け寄って脚に縋った。助けを求めているのだ。
「では、すこし休もうかの。まだ逢魔が時まで時間はある。
親御殿には話せぬことであろ?」
「………はい」
初音は初めてさくらの言葉に明確に返答した。
河川敷の公園に降り、古びたベンチに2人で座る。
茶太郎が初音の膝に、コロ左衛門がさくらの隣に座った。
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