第六十六話
成子に言われたことで、初音は自身がさくらをどう思っているのか、初めて知った。
「何より…?」
「そうよ。さくらちゃんがくれたっていう、これを大事にしてるんだもの。
一緒にいられて嬉しくて、これからも一緒でいたい。そうね?」
初めて知ったその気持ちを、初音は自らの胸の内で反芻する。
さくらと出会えたことの幸福。共にいたいという願い。
先刻のように、自分どころか茶太郎まで命の危機にあってさえ、さくらのことを考えていた…
さくらに会いたいと。さくらに会うため、生き延びなくてはいけないと。
家族より、級友より、さくらのことを考えていた――
「………さくらちゃんのことが…大事…一番…」
自分で初めて言葉にして、初音は自分がさくらを大切に想っているのを自覚した。
自分自身がそのことに驚愕し、初音は胸の鬼桜の紋を押さえ、湯船の中でへたりこむ。
さくらのことが大事で、大切で、共にいたいと考えている自覚はあった。
だがさくらが大好きな家族以上に大切な存在だということを、全く思ってもいなかったのだ。
「お父さんやお母さんより、さくらちゃんのことが…私は、大事なの…?」
「きっとそう。鬼になってしまうのが怖くても、さくらちゃんと一緒にいたいのなら」
「…でも、家族より大事なんて……」
「初音」
戸惑う初音の頭を成子が優しく撫でる。
大切な家族以上に大切な人…という、自分自身の初めての想いに混乱する初音の心を、成子は宥めてやった。
「その気持ちは初音自身のものよ。
さくらちゃんと出会って初めて生まれた、初音の気持ち。
だから別の気持ちと比べないで、大事にして。ね」
「……」
初音の額と成子の額が触れ合う。正面から見つめる成子の目は、愛娘をいつくしむ愛情に満ちていた。
娘が自分だけの大切なひとと出会えたことを、成子は心の底から喜んでいる。
と同時に、その目に僅かな寂しさがあることも、初音には判った。
成子はそっと初音を抱き寄せる。
「……例えどんな結果になるとしても…
あなたが自分で選んだ決断なら、お母さんもお父さんも応援する」
「お母さん…」
どんな結果になるとしても――その言葉の真意に、初音はまだ気づかない。
漠然と初音の将来のことを予感しているのかもしれない。
初音とさくらの哀しい別れを予見しているのか。それとも初音との別れか。
いずれにしろ、成子は悲しいことを考えてしまったかもしれない。
そう思うと、母の考えを初音は訊くことができなかった。
初音と成子が浴室から出ると、続けて寧々子と渚が入浴に向かった。
男子勢はきのめから受け取った温かいココアなどを飲み、順番を待っている。
千歳は成子から傘を借り、学校まで初音たちの荷物を取りに行ったという。
徒歩で行って自分の車で戻って来るとのことであった。放課後の廃校に関する説明会は欠席するそうだ。
実ときのめは成子からドアノブの破損の事を聞いているのだろう、初音を気遣って、撫でたり肩を叩いたりする。
2人の優しさが、今の初音には有難かった。
初音はさくらを寝かせた布団の横に座り、改めて巌十郎とイトを見た。
屈強な肉体に加え、頑健な精神が顔に現れている巌十郎。
穏やかで優しく、常に柔和な笑みを浮かべるイト。
2人の手には、きのめが淹れたらしい玄米茶の湯飲みがあった。
――2人はさくらの両親。さくらの顔立ちや雰囲気は、2人によく似ている。
さくらは父から強さ、母からやさしさを受け継いだのであろう。
初音と目が合うと、鬼煌院夫妻は穏やかにほほ笑んだ。
「花咲の娘御よ、名を教えてくれぬか」
巌十郎が姿勢を直し、初音と正面から向き合って尋ねる。
突然のことに驚きつつ、初音は答えた。
「初音…花咲 初音です」
「はつね…うむ、良き名だ」
自分の娘を愛でるように、巌十郎もイトも優しく微笑みつつうなずいた。
初音はここで気になっていたことを尋ねた。
「あの、私が花咲の娘だって、どうしてわかったんですか。
学校では自己紹介とか、してなかったですけど」
「わふ?」
体を洗い終えた茶太郎が、てふてふ歩いてきて初音の隣に座る。
初音は茶太郎の体にそっと触れた。鎌鼬の魔妖夷による傷は、さくらの鬼力によって完治し、傷跡も痛みも無いようだ。
初音がこう訊くと、巌十郎もイトも表情を曇らせた。
答えたのはイトである。
「あなた様から、ほんのわずかですが、鬼力と幽世の気配を感じたのです。
初音様が幽世に引きずり込まれた時のことは、わたくし達にもある程度見えておりました。
鬼仁鋼のこと。そして、魔妖夷があなた様――花咲の子を狙っていたことも」
イトの回答に誰より驚愕したのは花咲夫妻であった。
初音が幽世に引きずり込まれた日のことが見えていたという。
しかしスクナを封じ続けていたがため、彼らは動くことができなかった。
そして魔妖夷が何者を狙うのかを鬼が知っている…ということは。
実と茶太郎が問う。
「――魔妖夷は、初音が花咲の家の人間だと知った上で…
つまり、目的があって花咲の家系の子供を狙っているという事ですか?」
「わふ!」
「左様にございます。魔妖夷が初音様を狙う訳を、さくらからは?」
「いえ、聞いてはいません。恐らくさくらちゃんも知らないと思います」
実の答えに、イトと巌十郎は僅かに意外そうな顔をするも、すぐ思い直したようだ。
顔を合わせ、当時の事を思い出し、互いに確かめ合う。
「成程…スクナを封じたのは、あの子達がかくれ里に帰ってからでございますから…」
「さくらは仔細を知る間もなく、現世で眠りに入ったからのう…
我等もさくらには、何も話さぬよう申し付けておったゆえ…」
さくらから魔妖夷とスクナの説明はあった。
だがさくらは魔妖夷が初音を狙う理由について、一切言及していない。判らないとも特に言わなかった。
説明されたのは、あくまでも彼女が知る限りの事であった。
落ち度と言えば落ち度だが、理由があるのなら仕方ないと、実は納得した。
そもそも彼女はスクナのことを何も話さぬよう言われていたのである。
「…すべては皆が揃ってから話すゆえ、すまぬが今しばし待っていただきたい」
巌十郎がそう言うと、初音、実、成子はうなずいた。
ちょうどそこに千歳が戻ってきた。理一らの手伝いで子供達の荷物を運びこむ。
初音と男子たちは自分の荷物が全てあることを確かめた。
折よく渚と寧々子が浴室を出てきた。入れ替わりに男子3人が入浴を開始。
女子2人も荷物を確かめる。その間、千歳はSNSで保護者達にメッセージを送っていた。
さくらの親の話を聞くこと、そのために子供達が初音の家にあつまっていること。
急を要するため、メッセージはいたって簡潔だ。
既に保護者達もスクナのことをさくらから聞いているため、了解の返答のみが帰ってきた。
寧々子と渚は縁側に座り、辰丸を見上げる。
地面に突いた足の裏から頭まで、優に3メートルはあろうかという巨馬である。
軒下では少々狭いらしく、尻尾の先が雨に濡れていた。
「……先ほども見ましたけれど、頭が龍で体が馬なんですのね。こちらも妖怪ですの?」
「バルルル…」
「フニ~」
渚が問う間、辰丸の頭にはコロ左衛門がしがみついている。
辰丸の方も好きにさせており、仲の良さがうかがえた。
二百年ぶりの再会で旧交を温めているようだ。
「うむ。そやつは辰丸、妖怪『龍馬』じゃ」
「りゅうば。そのままですのね」
「唐…今で言う中国から日本に来た妖怪での。
現地で魔妖夷を討つのを手伝うてくれて、以後はわしらと暮らしておる」
「さくらが産まれる前にございます。さくらとコロ左衛門も、辰丸の背に乗ったのですよ」
巌十郎とイトの説明に、渚が感心する。
なるほど、さくらの相棒のコロ左衛門とも仲がいいわけだ。
そして唐の時代となれば、古くは西暦600年代。
日本で言えば飛鳥時代の中盤頃、聖徳太子が死去した頃だ。
スクナが魔妖夷を掌握するだいぶ前のことである。
「バルルル…」
「フニ~」
辰丸の声は力強いが、それでもさくらに向けられる不安そうな視線から、彼女を心配しているのがわかる。
辰丸にとってもまた、さくらは娘のような存在なのであろう。
と、そこまで話を聞いた寧々子が、鬼煌院夫妻の方を向いて居住まいを正した。
「あの…うちの父さんと母さん、助けてくれてありがとうございました」
床に両手を突き、うやうやしく寧々子は頭を下げる。
神社の娘だけに、作法については祖父からしっかり教育されているようだ。
友人の意外な礼儀正しさに渚が驚いている。
巌十郎とイトは柔和にほほ笑んだ。
「いえ、むしろこちらこそ感謝しておりますよ。
宮野のご夫妻は、まことよく働いてくださいました」
「今は休ませ、親子で今一度語り合うがよい」
鬼の夫妻からの賞賛とねぎらいの言葉に、寧々子は感激し、両目を潤ませる。
数秒黙り込んだのち、小さく、ハイと返事をして両目を拭った。
とりあえず、今は初音とさくらにからむ話を聞いておきたいとだけ伝え、この場に残る旨を告げる。
千歳からは両親と会わなくて大丈夫かと聞かれたが、今は病院で治療中だと答えた。
「じゃあ、終わったら病院に行きましょうか」
「ハイ!」
寧々子が久しぶりに両親に会えると知り、渚も千歳も喜ぶ。
そして丁度そこに男子達が浴室から出てきた。
寧々子は両親が帰ってきたこと、鬼煌院夫妻の話を聞いたら病院へ見舞に行くことを男子たちにも告げた。
3人とも、寧々子の両親が無事であったことを、自分自身のことのように喜んだ。
恐ろしい状況での数少ない幸運に、初音も安堵する。
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