第四十九話
人類の社会は、たった10年前後で滅亡寸前まで衰退した。
しかしそれでもどうにか持ち直し、再び社会を発展させたのである。
その後も災害、疫病、様々な事態にあったが、『スクナ』と魔妖夷による虐殺ほどの被害は起きていない。
「あの…」
「わふ」
そこで初音と茶太郎が手を挙げた。スタッフに促され、発言を続ける。
「説明だと記録が残されていないとか、隠されているって言ってましたけど…
博物館にはどうして資料が残ってるんですか?」
「わふ?」
初音と茶太郎の疑問に、スタッフが答える。
「20年ほど前、先ほどの最後の魔妖夷が封印されたお寺から、この資料を提供されたんです。
現在のご住職の何代も前、つまり闘いがあった頃、平和になったら世に知らしめて欲しいと預けられたそうで」
「じゃ、今はもう平和だと…その魔妖夷は出ないっていうことなんですか?」
「ご住職は当時、そう思われていたようですよ。
それでもあくまでこの博物館だけで展示してほしいと、町の外には出さないでほしい、とのことでした」
なるほど、と初音は頷いた。
人間の間では、どうやら『スクナ』の復活はあり得ないとされていたようだ。
ただ、それも資料が提供された当時。20年前の認識だ。
今その住職に聞いて、果たして同じことを答えるかはわからないと、スタッフも少しだけ不安そうに答えた。
ちなみに『スクナ』との最後の闘いの被害については、記録を読んだ提供者の推察であるらしい。
と、スタッフがさくらの顔、闘いの記録画を交互に見比べる。
それはそうだ、絵の中にいる人物とよく似た美少女が、目の前にいるのだ。
子供達の視線もさくらに集まる。スタッフが気づいたらしいと知り、さくらは唇の前に指をたて、何も言わぬ様に仕草で伝えた。
その仕草が愛らしくも美しく、初音の胸がまた密かに高鳴った。
午前中のスケジュールを無事消化し、千歳と子供達は中庭に移動した。
中庭には飲食が可能な休憩スペースがあり、彼らはその一角のテーブルに集まっていた。
それぞれが弁当を持ってきて見せ合っている。
初音の弁当は洋食風で、実の手作りの小さなオムレツが入っていた。
ちなみに茶太郎はドッグフード、コロ左衛門は焼き魚といつものメニューだ。
そしてさくらの弁当は…
「さくらちゃんのお弁当は?」
「それが、おばあ殿からいただいたのはこれだけでの」
「フニ~」
初音のリュックにまとめて入れていた自分の弁当を、さくらは取り出した。
ドンとテーブルに置かれたその異様さに、全員が目を見開く。
むしろさくら自身が一番驚いていた。
「でかいお握りじゃ」
「ホントに大きいわね…」
「うちの母ちゃんのよりでけえじゃん!」
あまりの大きさに驚愕する千歳と理一。
理一のおにぎりも自身のゲンコツの1.5倍ほどで大概大きいが、さくらのはそれ以上。
それこそさくら自身の顔ほどもある。
「何せ魔妖夷を討った後じゃから、さすがに腹が減ったのう。ありがたい限りじゃ」
「お祖母ちゃん、朝から台所にずっといると思ったら…
こんなおっきいおにぎり握ってたんだ…?」
「わふ~…」
「うむ。具が色々詰まっているようじゃの」
さくらの推測では、卵焼き、焼いた肉、ゆでた野菜などが入っているらしい。栄養満点である。
千歳が大きめの水筒から紙コップに緑茶を注ぎ、子供達に配った。
全員が弁当をテーブルに出し、いただきますと食前の挨拶を済ませ、食べ始める。
初音はオムレツを、さくらは特大おにぎりを一口食べ、美味しさに顔をほころばせる。
他の子供達も同様に、親の手作りの弁当を美味しそうに食べる。
学校でのことや日常のことなど、他愛のない話題のおしゃべりが始まった。
初音もさくらも混ざり、時折笑い、時折ツッコミを入れつつ、級友たちと話す。
そんな話をするうち、やがて話題は展示品、そして鬼と人間の歴史のことに移った。
「――それにしても、人間から見るとあのような歴史になるのだな」
さくらが言うのは、先刻スタッフからも説明があった、鬼と人間の歴史である。
あらかじめ鬼と人間の同盟について子供達と千歳はさくらから聞かされていたが、さくらが教えたのは鬼の視点での歴史だ。
大まかにはほぼ同じ記録であるが、人間からすると、いずれも忌々しい事、あるいは社会への影響が大きい事ばかりである。
今さくらと共にすごしている初音にとって、ある意味では意外な歴史であった。
「鬼と協力してたっていうのが、人間の社会には知られてなかったっていうし…」
「わふ」
「鬼と言えば恐ろしい地獄の番人、というのが当時の人間の認識じゃ。
いわば地獄からやってきた化け物と取られ兼ねぬ。隠匿するのもやむをえまい。
さぞ朝廷や幕府は難儀したことであろう」
「怖がったら魔妖夷を呼び寄せちゃうからなあ。そりゃ隠すよな」
理に適っているといえば適っている。
理一は感心しつつ、そうせざるを得なかったことに複雑な表情を浮かべた。
警察機構でもある魔妖夷討取改方を設立したとはいえ、人間が抱く印象は容易に覆せない。
当時の政府は、鬼が敢えて人間の軍門に下ったように表現し、鬼への恐怖を幾分か和らげようとしたのだろう。
そしてある程度脚色しつつ、後世に記録をを残したことで、自身の過ごす日々の成り立ちを後世の人々が知ることができる。
記録が常識の範疇を逸脱し、しかも現実であった場合、人々は混乱、恐怖する。
それを防ぐため、記録を開示する範囲はこの町に限られた。
限られる形で、それでも封殺されず、当時の政府によって記録はのこされたのだ。
「…誰かには知ってほしかった、あるいは同じことが起こるのを予見していたのですわね」
「あの恐ろしいバケモノを誰も知らなかったら、人間には対処ができませんからねぇ」
「うむ。恐らくは父上たちも、同じことを考えておった。
だから人間が絵に残す事を許したのであろうな」
当時の高僧たちが後世に残したのは、ただそれが故であろう。
渚と寿司の推測に全員がうなずいた。
「でも…人間の社会も、こわしたくなかった…」
「左様じゃ。……父上達のお気持ち、今ならよくわかる」
真登が言う通り、さくらの父は人間社会の平和を守るため、苦渋の選択をしたに違いない。
いま初音が鬼になるかどうかの瀬戸際にあり、その命運を握る一人たるさくらには、両親や先達の鬼の気持ちが痛い程判った。
少なくとも改方に属する鬼たちは、みな小さな命を愛する心優しき者達だ。
故にこそ何も起こらず平和であることを願い、それでいて何かあった時のための知識も残しておきたかった。
矛盾した決断ではあるが、そうせざるを得なかったのである。
ふと、初音は寧々子の顔を見た。
初音たちが話している間、寧々子は一度も口を開かず、弁当にも手をつけていない。
辛そうな顔でじっとうつむいているだけだった。
初音の視線に気づくと、全員の視線が寧々子に集中する。
自分に向けられた視線に気づき、寧々子は慌てて顔を上げた。
「ど、どしたのみんな。アタシ何かした?」
「ううん。寧々子さん、ずっと黙ってたから」
初音が言うと、寧々子は笑顔で答えた。
「あ、あー、うん、ちょい考え事。何でもないよ」
明らかに作り笑いだった。本当に大丈夫かと、理一が問い詰めようとするが。
寧々子は身を乗り出そうとした理一を無視し、さくらと初音の方を向く。
「2人とも、そろそろクリーニング終わる時間じゃない?」
「あ…そうだね。先生、そろそろお願いします」
「ええ…」
千歳も寧々子の様子には気づいているが、問い詰められるのを寧々子自身が拒んでいるのも気づいていた。
初音は級友たちの表情を観察した――寧々子の様子に皆何かを考え込んでいる。
敢えて何も言わないのは、恐らく事情を知っているからだろう。
訊くべきことかと迷い、初音は逡巡する。その手に茶太郎が自らの手を重ねた。
「わふっ」
促すような一声。初音はさくらの方を見る。さくらも同じことを考えていたらしく、うなずいた。
それを見て取った千歳は弁当箱を片づけ、一旦館内に戻り、クリーニング店に行く旨をスタッフに告げる。
昼食を終えてさくらはおにぎりの包みを初音に手渡すと、コロ左衛門を伴って千歳と共にワゴンに乗った。
窓から顔を出した千歳とさくらは、子供達にここで待つように言う。
「午後は自由見学だけど、みんなスタッフの方の言う事をちゃんと聞くのよ。
先生とさくらさんが戻ってくるまでは、スタッフさんの目が届くように一緒にいること」
「では行ってくるぞ、初音。皆と勉学を楽しむが良い」
「うん。行ってらっしゃい」
「わふっ」
「フニ~」
千歳が発進させたワゴンを見送り、子供達は館内に戻って、午前中の引率スタッフと合流した。
スタッフの案内で、まずはこの町の江戸時代の生活文化のコーナーに向かう。
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